プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

過酷事故からの「撤退」などあり得ない

2014-06-03 11:18:09 | 日記
 朝刊(『朝日新聞』)の記事(タイトル)に、「政府の役割定まらない」「原発事故時 撤退基準なし」とありました。内容をまとめると、事故直後(日付は分かりません)、原発事故の対応に当たるはずの(旧)原子力安全・保安院の保安検査院がF1から5キロ離れたオフサイトセンターの現地対策本部(大熊町)に「撤退」、(2011年)3月15日には現地対策本部ごと福島市に「退却」、同日F1の所員の9割がF2(福島第2原発)に「撤退」。

 「原子力災害対策マニュアル」では、過酷事故が起きた場合、国の職員がどの時点まで現場にとどまるのか(「撤退するのか」)の基準がなく、どのような役割を果たすのか、どのような情報を収集するのかも明確ではない、と。過酷事故を経ても尚、あくまで事故は事業者が対応し、政府はそのサポートしか行なわず、政府の役割そのものが「明確」になっていない、と。原子力規制委員会の田中委員長も、「事業者が手に負えないことは想定していない」と。

 (暴力的な私としては)事業者であろうが、政府の役人であろうが、過酷事故からの「撤退」などあり得ないと思います。それが、原発を動かす事業者と国の最低限の「責務」だと思っています。当然、原発を動かすと言うのならば、過酷事故が起きた場合、事業者も国も命を懸けて事故対応を行なうべきです。それが国を守り、国民の生命と財産を守ることになると思います。その「覚悟」もなく、対応もできないというのなら、原発(核)を利用する資格はないのです。

 (これまでにも書いてきましたが)過酷事故が起きた(或いは、想定される)場合、国家の存亡にさえ発展する事態ですから、(検査官が逃げている場合ではありません)国が全ての情報を蒐集し、事業者を含めた一元的な指揮系統の下で、自衛隊をはじめとする全ての人員と手段をもって対処に当たるべきだと思います。国権そのものを発動し、(勿論最小限にしなければいけませんが)どのような犠牲を払ってでも、超法規的な対応を行なってでも、事故を収束させなければいけないと思います。「撤退」などあり得ない、そう思うのです・・・

P.S. 昨日3回目の地下水バイパスが実施され、約330トンの処理水が放流されました。東電によると、当初の半分程度、1日50トンほど汚染水を減らせるとのことです。凍土壁の工事も始まりました。効果は、(来年3月開始のあくまで「予定」だそうですが)1日280トンほど地下水の流入を減らせると。(まあ、そんなに上手くは行かないでしょうから)半分としても1日150トン、バイパスと合わせて(正直私はまだまだ悲観的ですが、楽観的にみれば)1日200トンは減らせるかもしれません。すると(客観的にみれば)来年の3月までは1日400トンずつ汚染水は増え、3月以降は200トンずつ増えるということです。現在タンク900基余りに汚染水が約48万トン(3年前の4倍です)その内、高濃度汚染水が36万トンだそうです。(来年の3月まででいくらになるか計算する気力もありません)やはり、悲観的にならざるを得ない状況です・・・

P.S.2  地盤工学の専門家で、規制委員会の検討会に参加した京大の嘉門教授は、「他の方法で確実に30~50年使える遮水壁を造ることができる」と「凍土壁」反対しています。効果のほどが分かっておらず、大規模に行なうのも初の試みです。危険性も指摘されています。実績があって、確実で、安全な方法を選ぶべきです。さらに事故が生ずるような可能性があるのなら、止めるべきだと思います。費用負担の名目が立たないから「凍土壁」を選んだとの経緯もあります。東電を生かすためには何兆円も使っていながら、事故収束のための対策にその「名目」を気にするとは・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年6月3日)