顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

梅いろいろ… ②

2016年03月11日 | 水戸の観光

弘道館売店前の臥龍梅


地を這うように幹や枝を伸ばす「臥龍梅」と呼ばれるこの梅は、偕楽園や弘道館に何本もありますが、その由来は、いろいろ説があります。
伊達政宗公が朝鮮に出兵した際、持ち帰り(一説では兜を植木鉢にして)、最初は岩出山城に植えられ、そして仙台城から晩年若林城への居城に伴い、このウメも一緒に若林城へ移植されましたが、この朝鮮ウメは、成長すると地面を這うように枝や幹が伸びていったため臥龍梅と呼ばれていました。城の跡は現在宮城刑務所となっており、現在も臥龍梅は残されており、国内最大のものとして、朝鮮ウメの名前で国の天然記念物に指定されていて、樹齢は220年以上とも360年ともいわれ、最初の梅に接木した2代目といわれています。
また、宮城郡松島町の瑞巌寺にも伊達政宗が朝鮮から持ち帰ったとの伝承を有する臥龍梅(紅梅・白梅の2本)があり、こちらは宮城県指定天然記念物となっています。


偕楽園南崖の臥龍梅

さらには、徳川家康が、幼少の一時期、今川家の人質として清見寺(せいけんじ)という禅寺に暮らしていた頃植えた梅は、さながら龍が臥したような枝ぶりが、家康が身を潜めて天下を狙っていたかのようだということで、いつの頃からか清見の臥龍梅と呼ばれるようになったという話もあります。

また、柳井市余田にある余田の臥龍梅は、室町時代のものと伝えられ、四方に伸びた幹が地について、十数本の独立の株となり、全体として梅林のように広がって、一重小輪の白い花をいっぱいに咲かせ、国の天然記念物に指定されています。



樹皮だけになっても白い梅をいっぱい咲かせている老木(偕楽園)

偕楽園、弘道館の梅の特徴は、老木が多いということです。梅の寿命は、200~300年くらいといわれていますが、通常100年を超えると、幹の芯の部分から枯れていき、栄養分を運ぶ樹皮の部分だけで生きている木を数多く見かけます。
さらに樹皮の色も黒くなり筋や裂け目などができ、いかにも風雪に耐えてきた逞しさが出てきたものを、「鉄幹」と呼び、鑑賞の対象にしています。


その鉄幹から一輪の梅の花、まるで荒くれ男の中の乙女?…胴吹きといわれる現象で、特に古木に多く現れるようです。幹に小さく芽が出て短い枝ができ、そこに花が付いたのですが、まるで幹から直接、花が咲いているようです。(偕楽園)

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