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偕楽園とともに水戸の梅まつりの会場になっている弘道館は、天保12年(1841)水戸藩9代藩主徳川斉昭公が創立した水戸藩の藩校です。正門と正庁、至善堂は、幕末の藩内抗争や昭和20年の水戸大空襲の消失を奇跡的に免れ、現存する数少ない江戸時代の教育施設として、国の重要文化財に指定されています。
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白壁に似合う紅梅の花びらは、もう地面にこぼれていました。「品字梅」という名札が付いていますが、「座論梅」や「八房梅」と同じ品種ともいわれています。仙人は雌しべの数が多く実が三つ重なって生ることもあるので「品」という字に見えるというこの名が気に入っていますが。
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水戸の六名木、「白難波」がお迎えする正庁の入り口です。正庁は藩主が臨席し、文武の大試験や諸儀式が行われたところです。
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正庁の御座の間南側には対試場があり、その脇には斉昭公の諡号と付いた「烈公梅」が植えられています。公の七言絶句「弘道館中梅花に題す」をここで吟詠する方の姿を見かけることもあります。
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対試場に面した正庁の長押に架かる扁額は、斉昭公が篆書体で「游於藝(げいにあそぶ)」と書いてあります。藝とは六芸(りくげい)のことで、礼(儀礼)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬術)、書(習字)、数(算数)をいい、「文武にこりかたまらず悠々と芸をきわめる」という意味です。
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至善堂は藩主の休息所や諸公子の勉学所で、最後の将軍慶喜公も幼少期にここで学び、明治元年には同じ部屋で厳しい謹慎生活をおくったことで知られています。
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正庁と至善堂の間の中庭にも白梅が植えられています。昨夏にアライグマが住み付いて重文の柱に爪痕が残っているのが見つかり、檻を仕掛けて捕獲したというニュースがありました。
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弘道館は有料区域の他に北西側に梅林と弘道館の付帯施設が点在しています。
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三の丸にある梅林全体で約60種800本といわれる梅が梅まつりを彩っています。
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弘道館建学の精神である「神儒一致」によって建てられた、儒学の祖である孔子を祀る孔子廟と戟門は、藩校には必ずある施設です。
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「神儒一致」「文武不岐」をうたう弘道館のもう一つの拠りどころは、武神の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀る鹿島神社です。昭和20年の空襲で焼失しましたが、第60回伊勢神宮式年遷宮の折、伊勢神宮別宮「風日折宮」の旧殿一式が特別譲与され、伊勢神宮独特の「唯一神明造り」の社殿として再建されました。
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弘道館の建学精神を記した弘道館記を納めた八卦堂は、敷地の中央に位置していました。手前の梅花は、たぐいないほど薄紅の絞りが美しいという命名の「無類絞り」です。
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真っ赤な「蘇芳梅」に彩られた種梅記碑は、斉昭公が水戸に梅を植えた由来を書いたもので、独特の水戸八分という隷書体で彫られています。
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斉昭の自詠自筆で「行末(いくすえ)も ふみなたがへそ 蜻島(あきつしま) 大和の道ぞ 要なりける」と記された「要石歌碑」は、樹齢300年以上といわれる楠木に左右を護られて建っています。鹿島神宮にある要石に準えて名付けられました。
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弘道館の寄宿生や学生に時を告げた学生警鐘は、昭和20年の大空襲を免れ弘道館内の展示室で展示されています。(写真のものは複製です)
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老木が多い梅林の中で右側の梅は「臥竜梅」といい、本来は竜が臥せるような形になるのが命名由来ですが、地面に横たわってしまいました。
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老木の梅は必死に枝葉を出して栄養分を取り込もうとします。太い幹から梅が咲いているように見えるので「胴吹き」とよばれますが、実際は幹から細い枝が出てその先に花が付いています。
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梅林では枯朽した梅に変わって新しい品種も植えられているので、思わぬところで珍しい梅を見つける楽しみもあります。有料区間以外の梅林は無料ですので、水戸駅から約500mのこの公園は空いた時間でもちょっと立ち寄れる穴場スポットです。(有料区間の弘道館は入館料400円、70歳以上は半額です)
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南側に隣接する三の丸小学校は、藩校時代は武館や医学館があったところです。この一帯は白壁の塀など水戸城址のイメージに景観を合わせているので、梅花に囲まれた校門も冠木門様式で、校舎も白壁です。
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