顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

謎の多い…御前山城 (城里町)

2019年04月23日 | 歴史散歩

関東の嵐山とも呼ばれる風光明媚な御前山(156m)…、その山頂手前に今は巨木で覆われる御前山城は、承久年間(1220頃)藤原時房の築城説、南北朝期に楠正家が籠城した説、天平時代の女帝孝謙天皇が下野に配流の際、怪僧弓削道鏡と暮らしたという説までもある城址です。(写真はふれあい広場駐車場から)



いろんな説の中で、佐竹氏の中興の祖と呼ばれる15代佐竹義舜の庶長子で、今宮家を継いだ今宮永義が1520年頃城主だったという説が有力のようですが、断言できる確かな根拠はないようです。

山頂まで比高約110m、東西の登山口一帯は、ニリンソウの白い群落が迎えてくれます。

急峻な斜面が山裾からⅠ郭まで続いています。那珂川を配し、陸続きの西側以外は攻略するのが難しい天然の要害です。
Ⅰ郭下の平坦な舌状地に建つ東屋、北方の物見の位置ですが、案内板もありここが頂上のように感じてしまいます。

Ⅱ郭西の堀切、西側の尾根道には何本かの堀切が造られています。

唯一展望の広がる鐘つき堂跡、立地的には当時から物見台として使用され、敵の襲来を鐘で知らせたという伝承がうなずけます。

鐘つき堂跡から南東方向の景観、遠くに那珂川、右手には白山(213m)、赤沢富士(275m)などのハイキングコースの山が続きます。

トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)の薄紫色は、新緑によく似合います。

西登山口へは緩い下り坂、道の駅かつらの那珂川沿いのふれあい広場駐車場に車を停めて一周しても約1時間半、3.7Kmの手軽なハイキングコースです。

御前山という名とともに孝謙天皇と弓削道鏡伝承のもとになった皇都川が麓を流れています。小魚の群れが見えるきれいな川ですが、途中から川の水が姿を消し川底に吸い込まれて地下を流れていく不思議な川です。
上記の地形図でも川を表す線が途中から破線になっているのが分かります。