顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

さくら訪ねて…2019

2019年04月08日 | 季節の花

親鸞上人ゆかりの阿弥陀寺(那珂市)の糸枝垂桜は樹齢約320年、寺伝では親鸞上人末孫16代住職信栄の時代、元禄11年(1698)3月7日光圀公御成の際に自らお手植えされたと伝わります。

中世の大城郭額田城の一画に位置し、寺院裏手にはその広大な城郭の一部が残っています。鐘楼のある珍しい山門は、那珂八景「額田の晩鐘」にも入っていますが、天狗騒乱で今の5倍の大きさだったといわれる本堂などが燃えてしまったので、それ以後の建立でしょうか。

こちらも光圀公ゆかりの六地蔵寺(水戸市)、創建は大同2年(807)頃といわれる真言宗の古刹で境内に残る法宝蔵は光圀公が建立しました。樹齢200年の見事なシダレザクラは、光圀公が鑑賞した桜の子孫といわれておりますが、近年傷みが見られ後継樹の方が大きくなってきました。

墓地には、大日本史編纂の彰孝館総裁をつとめた立原翠軒や、明治になってからもその完成に尽力した栗田寛、勤親子の墓があります。また、樹齢1,100年を越える大杉や800年の大銀杏もあり、静寂な景観の中で鑑賞できます。

那珂市の法満山一乗院は日本一の毘沙門像があることで知られ、境内の毘沙門堂前にしだれ桜が咲いていました。

日本一の毘沙門像は高さ約16メートル、胎内巡りもできるようです。広い境内にはいろんなお堂や石像などが並び観光地のように看板が立ち並んでいます。

東光山護国寺(大洗町)は日蓮宗の寺院、境内の案内板によると昭和4年の創建で当時は立正護国堂と呼ばれ日本精神の研修道場として、初代住職井上日召のもとで学んだ青年たちが血盟団事件などを起こしました。

大井神社(水戸市)の祭神は建借馬命(たけかしまのみこと)で崇神天皇の御代、当地の夷賊を退治し後に那珂国国造となったといわれ、奈良時代にこの地を治めた宇治部氏が建借馬命を祭神として奉祭したといわれます。

もとは意冨比(おほひ)神社といい延喜式内社(平安時代の「延喜式」の神名帳に記載されている神社)で那賀郡七座の筆頭社として登録されています。なお東方にある近辺最大規模の愛宕山古墳は、祭神・建借馬命の墳墓であるとされます。

弘仁元年(810年)弘法大師の開創と伝わる高根山大山寺(たいさんじ)は城里町にある真言宗の古刹で、仁王門と鐘楼を覆う桜がちょうど見頃でした。

本尊は大日如来で、子供の夜泣き、ひきつけなどの虫封じ、子授け、開運厄除に霊験あらたかとされ、「虫封じ高根山」として広く信仰されてきました。

大洗磯前神社(大洗町)の主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)別名大国主命と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神、共に力をあわせて国造りを行ったことが『古事記』などに記されています。

海に面した高台にあるので、最後の鳥居を振り返ると大海原が目に飛び込んできます。

平重盛の墓で知られる白雲山小松寺(城里町)は、天平17年(745)行基の開山と伝えられる真言宗の古刹で、本尊は大日如来です。

平成8年に水戸市の愛称名「さくら通り」に決まった総延長5キロの道路は、車線拡幅のため抜根されて桜の残っている区間がだんだん少なくなってきました。

締めは涸沼自然公園(茨城町)、約34haの丘陵をあまりいじらずに遊歩道と広場を作った公園なので、自然そのものを楽しめます。なんと言っても人が少ないのが最大の魅力です。