スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

今年のスポーツイベントの結果報告 (2)

2015-07-01 19:36:58 | Vatternrundan:自転車レース

さて、スウェーデンで二番目に大きなベッテルン湖(Vättern)を一周する300kmの自転車レースだが、今年は50回目の開催となる記念すべき大会だった。1966年に第一回目の大会が開催された時には344人が参加したのだが、それ以降、参加者が毎年のように増え続けており、最近ではエントリー枠がすぐに一杯になってしまうほどの人気だ。


コース。水色ポイントはスタート&ゴール(Motala)および時間計測ポイント。
赤色ポイントは今回、休憩したエイドステーション。ピンク色ポイントは今回、通過したエイドステーション

私と父が初めて参加したのは2003年大会だった。この頃はその年の3月に申し込んでも、まだ空きがあったのを覚えている。しかし、人気の高まりとともにエントリー枠が一杯になる時期が毎年早くなっていった。2008年大会頃にはもう前年の暮れまでには一杯になっていたように記憶している。大会主催者側もできる限りエントリー枠を増やしているのが、人気に全く追いつかないのである。

近年では、秋のある日午後7時申し込み受付がオンラインで開始される。2013年大会では受付開始から1時間ほどですべてのエントリー権が完売した。その次の2014年大会では受付開始からわずか12分で完売。この時、私は開始から1分以内に申し込みを完了させたものの、第一希望であった朝3時以降のスタート枠は逃し、朝2時50分のスタートになってしまった(朝3時以前のスタートだとライトの点灯が義務付けられているため)。

そして、今回の2015年大会の申し込み。11月のある月曜日の夜7時が申し込み開始日時と告知されていた。私はその晩、大学の研究室でたまたま日本の雑誌の取材を受けていたが「10分だけインタビューを休憩してほしい」とお願いして、自分のパソコンの前に陣取り、猛烈な集中力を発揮して夜7時が来るのを待った。そして、夜7時。所定の手続きにしたがってオンラインで参加申し込みを完了させたのは、おそらく7時00分20秒くらいだっただろうか。しかし、この時も第一希望であった朝3時以降のスタート枠を逃し、朝1時46分のスタート枠が割り当てられる結果となった。わずか20秒でも第一希望を逃してしまうのか、と驚いたものだが、次の日に大会主催事務局から発表されたプレスリリースを読んで仰天した。なんと申し込み受付開始からたったの45秒でエントリー枠が完売したというのである!

そんな貴重なエントリー権を手にして挑んだ今回の2015年大会であるが、第50回大会であるだけでなく、父と私にとってはこれが10回目の出場となる記念すべき大会だった。私たちに加え、父の友人であるDavidもイギリスから参加(彼は4回目)。

以前にもこのブログで書いたが、2万人を超える参加者が一度にスタートするわけではなく、60人ほどのグループに分かれ、2分ごとに順次スタートしていく。第1グループが6月12日(金)の午後7時30分にスタートし、第2グループが7時32分にスタート、第3グループが7時34分に、といった具合だ。日が変わって13日(土)朝1時46分にスタートする私たちは第189グループ。最後のグループがスタートするのは朝の06時16分。

(通常のスタートとは別にSUB9と呼ばれる9時間以内のゴールを目指すエリートグループのスタートは、通常のスタートが終了してしばらく経った土曜日正午~午後1時に順次スタートしていく。非エリートのサイクリストの追い越しを極力避けるためである。)


真夜中1時過ぎなのにモータラの街は、自分のスタート時間を待つサイクリストで溢れている。(筆者撮影)

初夏とはいえ夜中のスタートなので寒さへの備えは例年通りきちんとしているが、今年は天気にも恵まれ、気温も高かった。スタート地点であるモータラ(Motala)の街は夜中でもむしろ熱気に包まれているように感じた。


01:48と書いてあるのは「この次のスタートグループは1時48分発」という意味。(sportografより購入)

朝1時46分に私と父とその友人のDavidが50人ほどのサイクリストとともにスタート。最初の500mほどの区間をバイクに先導された後、国道に出た時がレースの始まりだ。最初の10kmほどは父とDavidに付いていこうと努力したけれど、このペースでは300km持たないと諦めた。モータラ(Motala)の次にはヴァードステーナ(Vadstena)という街を通過するが、ここも町中には生ぬるく暖かい空気が漂っていた。しかし、一たび街を抜け、開けた農場が広がる地帯に出た途端、急に気温が下がるのが肌で感じられる。そこはかとなく漂っている馬糞の香りが妙に懐かしい(私の通っていた小学校の通学路の両脇にはいつも肥料用の馬糞が積まれていた)。

そのうち、Umeåのサイクリングクラブのグループ(8人)に加えてもらい、しばらく走っていたけれど、何度目かの先頭交代の時に私がスピードを出しすぎてしまい、気がついたらそのグループが遥か後ろにいた。せっかく親切に仲間に入れてもらったのに申し訳ないが、そのペースで先を急ぐことにした。


(大会主催事務局のプレス用写真)

3時を回るとかなり明るくなり、4時を過ぎれば東の地平線から太陽が昇り始める。朝日を浴びながら長ーい影を地面に引きずりながら、国道を滑走するのはとても気分がよい。農地にはところどころに朝靄が立ち込めている。83km地点のエイドステーションまで一気に走り抜けた。


ヨンショーピンの街を後にした直後の写真(大会主催事務局のプレス用写真)

その後、丘陵地を一つ超えるとヨンショーピン(Jönköping)の街。私が修士号を取得したヨンショーピン大学がある街だが、ここを境に南下をやめ、北上を始めることになる。例年はここから向かい風になるものの、今年はほとんど風がなく、133km地点にあるファーゲルフルト(Fagerhult)のエイドステーションまで何の問題もなく到達することができた。この時点で朝6時20分。スタートから4時間半余りが経っている。


ファーゲルフルト(Fagerhult)のエイドステーションにて。朝の日光浴をしている人がたくさんいた。(筆者撮影)

ここで10分ほど休憩した後に出発しようとしたところ、10mほど先にどこかで見覚えのある人が佇んでいた。あまりに意外だったのでそれが誰かを特定するまでに数秒かかったが、なんと父だった。私はもうとっくに先へ行っているかと思っていたので意外だったのだ(しかし、後で分かったことだがこのエイドステーションへの到着時点で5分ほどしか差がなかった)。実力で父に追いついたのは初めてのこと。この後は二人で走ることにした。二人で走るといっても、他のサイクリストと一緒に大きな集団が自然発生的に形成される。風の抵抗を避けるためだ。昔、国語の教科書にあったスイミーのようである。


ヨー(Hjo)のエイドステーションはヴェッテルン湖のすぐ側にあり景色が良い。今回はこのエイドステーションを通過。(大会主催事務局のプレス用写真)

171km地点にあるヨー(Hjo)のエイドステーションでは大部分の人が休憩をとってしまったが、私たち二人は休憩なしで北上を続けた。今年は風が穏やかなので体力の消耗が少ない。Hjoを出てから周りに適当なグループがおらず、父と二人の単独行になったため、私は「申し訳ないが私は体力がないから、先頭に立って引っ張っていくことができない」と父に言ったものの、その後、前に出てかなり長い間、先導した。それでも体力の消耗は少なかった。今回の大会でもう一つ気をつけていたのは、水分とエネルギーの補給をしっかりとすることだった。エネルギードリンクもきちんと用意し、実際に口に入れていたので、このおかげかもしれない。204km地点にあるカールスボリ(Karlsborg)のエイドステーションに到達。

ここまで来れば、残りは「たったの」100kmほどだ。この感覚が自分でも少し滑稽に感じる。ハーフマラソン(21km)のときは、残り5km地点に来た段階で「あと少しでゴール」と感じる。フルマラソン(42km)では、残り10kmのところで「あともう少し」と感じる。そして、150km自転車レースの時は残り50kmのところで「あとひと踏ん張り」と思う。そして、今300kmのレースでは、残り100kmがその精神的安堵の壁になっている。距離のスケールがどんどん大きくなっているのである。

カールスボリ(Karlsborg)は冷戦中、有事の際の臨時首都にする施設が用意されている街で、毎年、陸軍基地の横がエイドステーションになっているが、今年は少し場所が異なっていた。カールスボリ(Karlsborg)のもう一つの特徴はヨータ運河の架橋があること。300kmのこの大会の全行程中、止まらせられる可能性がある唯一の場所がこの架橋だ。30分に一回の頻度で橋が上がるので、運が悪ければ停止させられる。

今回は、上がっていた橋がちょうど降りた時に私たちが差し掛かった。だから、待たされていた数百人のサイクリストによる一斉スタートになった。片側車線をはみ出しながら6列か7列縦隊になって、最初のうちはごった返していたが、そのうち、ペースごとにグループが自発的に形成されていく。ここからの区間は丘陵地のアップダウンが何回か続くのだが、今年は私は疲れをほとんど感じず、むしろ、太ももやふくらはぎにエネルギーが湧いてくる感じがした。自転車に関しては練習不足だったので意外だが、ランニングの効果もあったのだろうか。

257km地点にあるハンマルシュンデット(Hammarsundet)のエイドステーションで最後の休憩。この時点で父が「この調子だと11時間を切れるかもしれない」と言う。私は時間のことを全く考えていなかったので驚いた。私の自己記録は11時間31分(2009年大会)なので、11時間を切ることができれば大幅な時間短縮となる。

Hammarsundetを出発した後、丘を3つ越える。今年はこの区間で一般車の通行量が多く、少しヒヤッとすることもあったが何とかクリアし、例年は気力だけで走っている最後20km区間の林道でも他のサイクリストを次々と追い越しながら軽快に前に進んでいった。同じ日の早朝にスタートしたモータラ(Motala)の街に戻って、父とともにゴールしたのは土曜日の昼過ぎ。タイムは10時間40分で自己記録更新となった(父の自己記録は9時間46分で、今回はそれに次ぐ記録となった。)。二人とも10回目の完走なので特別メダルをもらうことができた。


(大会主催事務局のプレス用写真)

今回の大会は、これまでの10回の出場の中で一番、満足度の高いものだった。天気にも恵まれ(かなり日に焼けた)、風も穏やかで、しかも、初めて父に追い付くことができ、自己記録も更新できたからだ。

この大会の凄いところは、公道を使った全行程300kmのうち、交通規制をかけたり近隣住民以外の車を排除している区間は80kmほどであり、残りの区間では一般車も通過するが、それでも自転車が我が物顔で走ることが事実上、公認されていることだ。2万人の参加者と共に夜中にスタートし、公道を10時間以上も走り続けるレースがどんなものか、想像がつかない人には次の動画を見ていただきたい。これは昨年の2014年大会で私がアクションカメラで撮影した動画。初出場の弟と私と父の3人で一緒に完走する様子を撮影した。少し長いかもしれないが、5分頃に登場する日の出はとても綺麗。



今年の大会では撮影しなかったことを後悔している。今年は昨年よりも1時間半近くタイムを短縮したので、動画に映っている、ビュンビュン追い越しをする側に自分たちがいただろうから。