スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

転機となる2009年 (1)

2009-01-07 07:47:50 | スウェーデン・その他の社会
私がいつも愛読しているスウェーデン人のあるコラムニストが、年の始まりにあたって今年2009年の予言をしている。彼曰く「09」で終わる年は、スウェーデンにとって大きな転機となる年らしい。

1709年と言えば、戦争狂のスウェーデン国王カール12世がロシアに攻め込み、ロシアの焦土作戦にまんまと引っかかって、敵の領土に深く入りすぎてしまい、今のウクライナに位置するポルタヴァという町で、完膚なきまでに叩きのめされてしまった年だ。

スウェーデンは、中世後半は力をどんどん蓄えていき、デンマークを追いやったり、ポーランドと戦争をしたり、ドイツの三十年戦争にも介入して、ウェストファリア条約で北ドイツ・ポメラニア地方に領土を獲得したりと、大国主義・強国主義を誇示していた。しかし、ヨーロッパの北端に位置する小国のそんな無謀な夢も、ポルタヴァの敗戦で打ち砕かれてしまう。

その夢に完全なる終止符を打つことになったのは1809年。この時、スウェーデンは北方戦争で再びロシアに敗れ、それまで数百年にわたって領有していたフィンランドを奪われたのだ。「スウェーデンは200年以上、戦争をしていない」とよく言われるが、この北方戦争がスウェーデン近代史で最後の戦争となった。そして、軍事力や威勢で国づくりを行っていくのではなく、小国なりに細々と教育や産業に力を入れて行く路線へと転換して行くことになったと言われる。

(ただし、ナポレオン戦争末期の1814年に、スウェーデンはノルウェーをデンマークから引き継ぎ、1905年にノルウェーが独立するまで同君連合を形成することになった)

さて、1909年というとスウェーデン史上、最初で最後のゼネストが起こった。労働者側のストライキに対して、使用者側がロックアウトを行うなどし、双方が1ヶ月にもわたって全面対立したために、経済が完全に麻痺してしまった。その上、最終的に何か勝ち取れたものがあったかというと、ほとんどなく、労使双方にとって非常に苦い経験となった。この経験をもとに、労使交渉における紛争はなるべく平和的に解決すべきではないか、という意識が労使の間に生まれていき、1938年のサルトショーバーデン協定という形で実を結び、その後の安定した経済成長の基礎になったと言われる。

では、2009年はどのような「大打撃」→「転機」(→「ハッピーエンド」)につながっていくというのだろうか?

まず、大打撃の部分ははっきりしている。1930年代の世界恐慌以来といわれる、現在の世界的な経済ショックだ。さて、どのような「転機」となるのだろうか・・・?(続く・・・)


P.S. ちなみに、このコラムニストは「09」という数字に本当に不思議なミステリーがあるとはもちろん信じているわけではなく、歴史を振り返ってみると、たまたま興味深い共通性が見つかったよ、という程度で話を進め、だったら2009年はどのように解釈できるのかな?という遊び心で論を展開している。