上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

2014年撮影日誌2日目

2014年03月21日 | 俳優活動

昨日今日は上海も寒い。

北京より昨晩、帰着。
日本からの応援俳優さんレベル差が大きくて、大きな役を振られすぎた方の問題で取り残しが出て、2日半戻りが遅れました。
(ネット環境を持っていかなかったのが敗因で、この5日間は世間から隔絶されておりました。)

 


さて、日曜に現場入りした北京の宿舎は映画村にある星美酒店(ホテル)。

 


もう、黄昏時で、庭木には猛禽類が巣を掛けていました。

 


巨大なオープンセットの目の前にある専門宿舎で、コップが無い事と、暖房が前日から切られている事、そしてフロントのお嬢さん達が公営企業の伝統通り押し並べて無愛想な事以外は申し分が無い。

 


御飯はいつものロケ弁当。

翌日の撮影は押してキャンセル。その翌日は待機で、出番は現場入り4日目から。

 


オープンセットでの撮影ですが、御大との掛け合いで、いきなりのセリフ抜けで大目玉。
まぁ、なんとか取り終え、ステージに移動。

 


とてつもなく豪華な(そして巨大な尾形光琳の紅白梅図の壁画が描かれていたりする、大分勘違いされた)セットが組んでありました。

今回日本から来た殆どの方は、超有名大河常連俳優の御大Hさんや、黒沢組や東映太秦のベテランの方々など、超豪華なメンバー(流石はファシスト戦勝70周年記念大作)ですが、そんな方達の中に、御歳72歳になられる、今村昌平「神々の深き欲望」や私の担任、武田一成監督の作品ご出演の大御所がおいでになり、凍える様なステージで3時間ほど一緒に出待ちしていおりました。
その方から、現場入りの3日前に劇作家の藤田傳さんが亡くなったと聞かされました。
母校が日本映画大学になった時、今村昌平開学以来の俳優科が無くなったのですが、そこで教えておられたのが藤田傳先生。
虎は死して皮を残しますが、役者は死して何を残すのでしょう。
少なくとも傳さんは劇団1980と多くの弟子を残しましたが。
さて、26日から最後の北京スタジオ入りですが、またしても御大との掛け合い芝居。
あ~、緊張するなぁ。私、芸歴だけは30年と伊達に長いのが災いしています。

翌日上海に帰り際に毛沢東役の方たちが現場入りする様子。

 


その方たちの食卓はこちら。差が付いてます。

あ、国家労働英雄の毛主席専門俳優さんと一緒に写真撮りたかったなぁ。

 


しかし、私は機上の人となり、暫し北京に別れを告げて上海へ。

 


帰り便の機内誌のい特集は映画制作だったのも何か縁でしょうか。