昨日のことである。
とある大学の、春からのオープンカレッジの受講受付が、
はじまったので、早速、万葉集の授業を、
申し込んだのであった。
朝一で予約を入れていた検診に出かけていたもので、
帰ってきてからすぐ、パソコンを開いてみたのであるが、
Web受付は、開始から10分もたっていないのに、
終了していた。
一般の電話受付は、先着順とあったので、
すぐに電話をしてみたのであるが、
何回かけても、
「込み合っていて、繋がりません、
しばらくしてから、おかけ直しください、」
というNTTの音声が流れるのみである。
朝から、何回もかけて、
夕方になって、やっと繋がった。
簡単な、番号のやり取りで、
受付は終了である。
ネット上での、
細かい契約内容を読んでから、
身分証明とかなんとかいう手続きを踏んで、
ようやく成立する最近の約束事に、慣れていると、
心配になってきそうな、簡単さであるが、
人と人との信頼が基本にあれば、
こういうことで、十分なはずであった。
なんだか、昔を思い出だすようであった。
電話で対応してくださった方は、
丁寧で、手際もよく、それでも、
朝からずーっと、というお疲れな感じも
伝わってきた。
電話の向こうでは、忙しそうに対応する声が、
たくさん飛び交っていた。
それにしても、
ネットは終了、
電話も繋がらない、
というのは、
今の時代、だいぶ不便に、
時には、苦痛に、感じるものである。
これも、こちらのおおらかさが、
時と共に、失われているからなのかもしれぬ。
万葉の頃なら、
自分で、行くか、
使いのものを、行かせて、
返事を待つか、
であるし、
そこに、気のきいた歌を、
添えなくては、いけない。
下手な歌など、添えたのでは、
相手にもされないのであるから、
素敵である。
歌を送るほうも、切実ななにかがあったのであろうから、
一生懸命、考えて、作ったに違いない。
その気持ちや心意気を思うと、
涙ぐましくも、楽しい。
春からは、オープンカレッジながら、
大学に通わせていただく。
洋司
とある大学の、春からのオープンカレッジの受講受付が、
はじまったので、早速、万葉集の授業を、
申し込んだのであった。
朝一で予約を入れていた検診に出かけていたもので、
帰ってきてからすぐ、パソコンを開いてみたのであるが、
Web受付は、開始から10分もたっていないのに、
終了していた。
一般の電話受付は、先着順とあったので、
すぐに電話をしてみたのであるが、
何回かけても、
「込み合っていて、繋がりません、
しばらくしてから、おかけ直しください、」
というNTTの音声が流れるのみである。
朝から、何回もかけて、
夕方になって、やっと繋がった。
簡単な、番号のやり取りで、
受付は終了である。
ネット上での、
細かい契約内容を読んでから、
身分証明とかなんとかいう手続きを踏んで、
ようやく成立する最近の約束事に、慣れていると、
心配になってきそうな、簡単さであるが、
人と人との信頼が基本にあれば、
こういうことで、十分なはずであった。
なんだか、昔を思い出だすようであった。
電話で対応してくださった方は、
丁寧で、手際もよく、それでも、
朝からずーっと、というお疲れな感じも
伝わってきた。
電話の向こうでは、忙しそうに対応する声が、
たくさん飛び交っていた。
それにしても、
ネットは終了、
電話も繋がらない、
というのは、
今の時代、だいぶ不便に、
時には、苦痛に、感じるものである。
これも、こちらのおおらかさが、
時と共に、失われているからなのかもしれぬ。
万葉の頃なら、
自分で、行くか、
使いのものを、行かせて、
返事を待つか、
であるし、
そこに、気のきいた歌を、
添えなくては、いけない。
下手な歌など、添えたのでは、
相手にもされないのであるから、
素敵である。
歌を送るほうも、切実ななにかがあったのであろうから、
一生懸命、考えて、作ったに違いない。
その気持ちや心意気を思うと、
涙ぐましくも、楽しい。
春からは、オープンカレッジながら、
大学に通わせていただく。
洋司