12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

みやび

2008年01月23日 06時06分45秒 | Weblog

 NHK教育で「新日曜美術館 千年のみやび・近衛家の名宝 流麗かな書・豪華絵巻」の番組をご案内したが、小生も見た。

 1. 書は、字を読むのではなく、字を読めなくてもよい。

2. 一字一字の美しさもさることながら、全体のバランス・墨の濃淡・筆勢などを抽象画の鑑賞のように楽しめばよいというのである。

書を親しみ楽しむ極意を教わったような、楽しみの一つが増えたような気がした。
絵だけなく書の展覧会にも足を向けることにした。

3. 番組では、出演者がそろって筆を取り「みやび」と書いた。
字を書くことのアドバイスは、上手に書こうとせず、自分の書きたいように自由に書けという。

書き慣れてくると、筆が自由に動いて書いてくれるという。
(奥田監督などは、息を止めて一気に書いていた、彼の映画作品のタイトルは、監督自筆のものだそうである)

 書を書く極意であろう。水墨画を描くときの貴重な参考になった。

    

これは、貴族の奥方や娘さん達が楽しんだ御所人形の写真である。
「頭大(頭が大きいことは、かわいらしいことに通じるという)」と言われ、とてもかわいらしい人形である、。

昔は、貴族などの上流階級(不労所得階級)が、大いなるゆとりのもとの貴族社会の文化として「みやび(書・物語・和歌・絵画・人形などの工藝品)」を楽しんだようである。

若い現役世代には申し訳ないことだが、現代のみやびを楽しめるのは、気持ちにゆとりがもてる我々シルバー世代である。

(現役世代の人達は、いずれ来るであろうゴールデンエイジを楽しみに、毎日を活躍してもらいたい)

今日の日本を作り上げた功績に免じて、大いに楽しませてもらうことにした。

「みやび」とは、上品さであると番組で云っていた。
今後、ぼちぼち「上品さ」とは何か考えることにした。


最新の画像もっと見る