12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

ローマ人の名前

2008年09月13日 06時26分33秒 | Weblog

ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂の写真である。

ローマ人とはローマ帝国とは何かと考えているが、どうも判ったようで判らないのである。ローマ帝国とは、ラテン人の帝国と宣言した王がいたと本に書いてあったが、これだと益々判らなくなる。

概略の歴史を調べると、次のようである。

BC8世紀;テヴェレ河畔に都市国家建設
BC272年;イタリア半島統一

BC27年;帝政となる
この間、パスク・ロマーナ(ローマの平和)を享受
AD395年;ビザンチン帝国(東ローマ帝国)と西ローマ帝国に分立

AD476年;西ローマ帝国はゲルマン民族の侵入で滅びる
AD1453年まで;東ローマ帝国はビザンチン帝国として存続

年表によっては、やたらと人名が出てくるものがある。ところが、大変似通った名前が何度も出てくることに困らされた。そこでローマ人の名前の構成について調べてみた。

“塩野七生「ローマ人の物語」の旅”に、シピオ(日本読みでは、スキピオと呼ばれる、ハンニバルを破った有名な将軍であり政治家)

「プブリウス・コルネーリウス・シピオ・アフリカーヌス」を例として、次のように書いてあった。

ブリウス; Publius: 個人名
コルネーリウス; Cornelius :コルネリア族の一員
シピオ; Scipio ; シピオーネ家の一員 (日本でスキピオとして有名であるが、家の名前であるため、
スキピオの名は至るところに出た来ることになる)
アフリカーヌス; Africanus ;「アフリカ人」と言う意味。カルタゴのあるアフリカのザマでハンニバルを破った事から付けられた尊称(最も長い名前として引用したと思われる・・・普通の人には最後の「尊称」は付かない)

二番目と三番目すなわち「族」と「家」は、これらが滅び去らないかぎり常につきまとうわけで、繰り返されてしまう。

さらに、一番目の「個人名」も偉大な祖先に借りてくることが多いため、またまた繰り返されてしまう。

この結果、とても似通った名前が歴史に登場しているようである。
こうなると、何年に生まれ、何年に亡くなったXXXさんかを特定しないと誰かはっきりしないのである。

複雑怪奇な歴史に首を突っ込んだと後悔しはじめた。

 ローマの町角編をついでにどうぞ。

 http://jp.youtube.com/watch?v=4vMMZPtdUL0

 


最新の画像もっと見る