裕次郎の玉手箱3

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九度山町と真田幸村

2016年12月19日 | 旅行

 

橋本市に居る親類を訪ねる用がありお墓参りをすませ その後今年の話題になった大河ドラマ「真田丸」で賑わう和歌山北部の九度山町を訪ねてみました。この付近は時々は通るのですが、最近高速道路が近くを通りこの辺の道を走る事が無くなり久しぶりです。先ずは道の駅 「柿の里くどやま」に着きます。新しく真田丸にからんで出来たのでしょうか 広い駐車場は月曜日のせいですか空いています。

 

道の駅から徒歩でも10分から20分で「真田ミュ-ジアム」や「真田庵」へ行けます。この道の駅内に案内所も有りました。

真田庵には真田昌幸の墓と真田幸村の供養碑が有りました。高野山の冬が厳しかったため、昌幸・幸村は山麓の九度山に庵を移しそうです。その跡地に建つのが善名称院(真田庵)です。父子は再起を待っていましたが、父昌幸はこの地で慶長16(1611)年に65歳で亡くなり、幸村は大坂の陣で豊臣方の武将として出陣しますが、慶長20年、大坂夏の陣にて茶臼山付近で激戦の末、壮烈な最期を遂げられたようですね ミュ-ジアム内で勉強しました。

 

ここから歩いてすぐの所に 九度山 真田ミュ-ジアムが有ります。平成28年3月13日(日)にオープンした九度山・真田ミュージアムへ

ここは、真田昌幸・幸村・大助の真田三代の物語を長く後世へ語り継ぐことを目的とした施設です。

 

真田昌幸>は、信濃国上田城を本拠地に、知謀の限りをつくして戦国時代を生き抜いた武将で、徳川の大軍を2度まで破り、関ヶ原の戦いの後、ここ九度山で雌伏の時を過ごしながら天下の動静に目を配り、再び己の実力を世に問う機会が訪れるのをひたすら待ち続けました人 真田幸村>は、父昌幸に軍略を授けられるとともに、上杉家や豊臣家で人質となった機会に、上杉景勝の家老を務めた直江兼続や豊臣秀吉から多くのことを学びました。大坂夏の陣では、徳川家康の本陣にまで斬り込んで、家康をあと一歩のところまで追い詰め、敵の徳川方からも「日本一の兵」と賞賛されました。 真田大助>は九度山で生まれ、父幸村とともに大坂の陣を戦い、主君・豊臣秀頼と運命をともにしたんですね

こんな重い銃を持って戦ったんですね えらい力ですね 

 

入場するとこんな記念写真を頂けます。関ヶ原の敗戦後、父昌幸とともに蟄居を命じられた地、九度山。真田昌幸、幸村、大助の真田三代の軌跡と、十四年間という幸村の生涯で一番長い時間を過ごした九度山での生活をパネル展示やドラマ仕立ての映像により紹介していました。大阪にも和歌山にも随分と関係した歴史人だったようですね 少し色々な資料読んでみたくなりました。 久しぶりに我がふるさと和歌山県の歴史をちよっとだけかじった様な感じです。

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