自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

消えた画学生(再掲)

2013年06月28日 | Weblog


 10数年前に訪れた信州上田の「無言館」で買った本をあらためて観て読んだ。あらためて、ではあるが、時々あらためて、である。
 自己流の下手な油絵を描いた経験からすると、一枚の絵を仕上げる前に、何らかの都合で筆を擱かざるを得ないはめに陥ったときの心残りは後々まで続く。絵がたまらなく好きな画学生が徴兵されたがために筆を擱かざるを得なくなったときの断腸の思いは、僕の経験からは推察できない。そんな画学生を戦争で亡くした親の思いも推察できない。
 弘前の造り酒屋に生まれた千葉四郎は、昭和13年に東京美術学校を卒業した。千葉の徴兵検査の結果は、現役には適さないという丙種合格。「母の坐像」という陶彫を残している。そんな千葉が突然召集されるのは19年7月、30歳の時、物不足で革靴がなく、地下足袋での出征だったという。敗戦後、部隊は満州林口で解散、病院へ行くと言い山を下りた千葉の消息はそこで絶える。母は戦死公報を受け入れず、昭和28年に没するまで息子の還りを待ち続けた。その後、戦死公報を拒否する家が青森県内で千葉家だけになった時、遺族は仕方なく四郎の”死”を認めた。伯父のひとりは、現地で確かめるまでは甥の死を承認できないと言いつつ亡くなった。
 こういう話に現実味を感じ難くなっているのは僕だけではないかもしれない。過去が僕の内面で風化しつつあるのかもしれない。しかし、風化させてはならないと思う。忘れることをよくする人間にとって難しいことではあろうが。だが、記憶するという能力が備わっているのも人間である。
 高台にある「無言館」に入ると誰しもが無言になってしまう。何か崇高な感じがする。