自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

『風の谷のナウシカ』

2013年06月06日 | Weblog

 ご多分にもれず、僕は宮崎アニメのファンだ。近作は観ていないが、『となりのトトロ』で虜になり、『もののけ姫』まではすべて(?)観た。思い出してみると、『風の谷のナウシカ』が、BGMのせいもあってか、出色の作品だと思う。昨晩、ビデオで何度目か、観た。ナウシカは風と戯れ自由に空を翔け、慈しむものの命を救うためには捨て身になる。やさしさというものが、時には死をも恐れない勇気に支えられなければならない事を少女は身をもって示す。
 20世紀初頭のイギリスの作家W.H.ハドソンは『緑の館』を書いた。イギリスの文学史上これほど幻想に溢れた創造はない、とまで言われたヒロイン、森の少女リマは、南米の秘境に棲む少女で、風のように巨木の枝から枝へ飛び渡り、森の生きものを、毒蛇さえも、友としている。
 ナウシカもリマも、木や鳥や虫と共存する(創造上の)自然人だ。産業革命による緑の破壊を容認したイギリスにあって、リマは自らの死をもって自然破壊の残酷さを告発した。
 それから約80年後、「巨大産業文明崩壊後千年をへた地球」を想定して、ナウシカが生まれた。人間は有毒物質で地球を汚染し続けてきた。汚染された大地の怒りが人類を滅亡へとおいやる、というのがナウシカの舞台だ。少女は腐った大地に繁茂する有毒植物の胞子を集めて育てる。そして、どんなに異様な植物でもきれいな水と土で育てれば、花が咲き毒を出さない事を知る。大地を腐らせ人類を追い詰めているのは、人間の奢りや敵意や憎しみなのだ。
 自然破壊の時代が生んだリマとナウシカに共通するのは、女性原理とでも言える思想と生きとし生けるものの共存の感性だ、と思う。宮崎作品のいずれにもヒロインが登場する。
 昨晩はちょっと疲れていたのか、ナウシカを観ている内にうとうとしてしまった。