谷沢健一のニューアマチュアリズム

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NPO法人YBC(その1)

2007-06-23 | ニューアマチュアリズム
 6月8日、総務庁から一通の文書が届いた。谷沢野球コミュニティ千葉がNPO法人(特定非営利活動法人)として認証されたのだ。あとは2週間以内に登記登録の手続きに済ませるだけである。「NPO法人」としてまっとうな活動を続ければ、1年後に「認定NPO法人」の認可がおりるだろう。
 YBC創設準備期(2005年8月)に、加藤副部長と二人で、柏市のNPO設立相談事務所にリサーチに行った記憶が甦ってくる。ボランティアの女性スタッフから丁寧な説明を受けて、一層NPO活動のイメージが膨らんだ。千葉県だけで活動するのであれば千葉県に申請をしなければならないし、二県以上に跨る場合には総務庁(内閣府)の管轄だとその時に知った。どちらにするかの決断は実際の活動を行う中で下すこととして、YBC創設の「設立趣旨」「理念と活動」を作成していった。だからCP会員やNPO contributionという造語は、創設準備段階の過程で誕生し、派生したものである。
 創設時からこのブログを読んでいただいている方々には「さもあらん」と思ってもらえるだろうが、チーム運営だけで身体が幾つあっても足りない状態であった。当初は定期的に理事会を開いていた。様々の課題の中でも、年間スケジュールの決定、年間費用の概算、チームスタッフ・選手の参加形態の確認、スタッフの役割分担、スポンサーシップの考え方等等、それぞれ確定していったが、項目によっては一日も早い改善を求める声も出て、その対応もかなり迅速に実行したつもりでいる。
 チームの状況・雰囲気の変化が顕著な時には、スタッフ・選手にレポートの提出も促した。私と加藤副部長は皆に最小限の共通理解を求め、即座に出来ることとすぐには出来ないこととに分類・整理しながら、一歩前進、半歩後退、半歩前進、半々歩後退を繰り返し、水の流れが澱まぬように気をつけた。
 このような時期に、川島理事と根本マネ(今年3月に退団して熊球クラブへ移籍)が「NPO申請はオレ達がやるよ」と申し出てくれた。とくに川島君(大学野球部の同期生だから「君」呼ばわりをしておこう。ちなみにYBCで私を「谷沢」と呼び捨てにする唯一のメンバーである)のお陰で、遅々として進まなかったものが一気に加速していった。