プロの経験と技術とをアマに役立てるのに、もっとも手っ取り早いのは、プロとアマが同じチームで一緒に野球をやることだ。そんなことはわかりきっているから、JABA(日本野球連盟)もそれを認めてきた。ただし、1チーム2名(来年1月1日からは3名)の選手登録に限るが。
これはもともとプロファーム化をおそれてのことと言われる。(このあたりの経緯はJABAのホームページに説明されている。http://www.jaba.or.jp/yanagawa_proama.htm)けっきょくは、金銭の絡むややこしさが問題なのである。
私が考えているのは、もはやプロ選手として競技することができなくなった人たちのことである。彼らは、かなりの幸運に恵まれない限り、野球ができない。もちろん、キャッチボールくらいはできる。しかし、試合には出られないのだ。野球はチーム競技であり、個人の能力の連結によって、つまり集合力によって、ゲームが行われる。元プロ選手の大部分が引退したとたんにゲームに参加する権利を奪われるのだ。つまり、野球をしてはならないと命ぜられるのだ。
プロ野球選手の多くは、所属チームの事情によって解雇され、他チームに再雇用される例はひじょうに少なく、そのまま引退に追い込まれる。自分の最大の喜びであり、誇りであり、支えであった競技能力が無用の長物になる。
その辛さから草野球に参加しようとしても、能力に格差がありすぎて相手チームから(時には味方チームからも)忌避されてしまう。(元プロの参加を認めない草野球大会も少なくない。)
これが大部分の元プロの姿である。野球をしたくともできない、これは残酷なことではないだろうか。「おまえは、たとえ1年とはいっても、プロとして金を稼いだから、もう野球をしてはならん!」というのだろうか。「戦力外通告」という言葉には以上のような意味も含まれているのだ。
これはもともとプロファーム化をおそれてのことと言われる。(このあたりの経緯はJABAのホームページに説明されている。http://www.jaba.or.jp/yanagawa_proama.htm)けっきょくは、金銭の絡むややこしさが問題なのである。
私が考えているのは、もはやプロ選手として競技することができなくなった人たちのことである。彼らは、かなりの幸運に恵まれない限り、野球ができない。もちろん、キャッチボールくらいはできる。しかし、試合には出られないのだ。野球はチーム競技であり、個人の能力の連結によって、つまり集合力によって、ゲームが行われる。元プロ選手の大部分が引退したとたんにゲームに参加する権利を奪われるのだ。つまり、野球をしてはならないと命ぜられるのだ。
プロ野球選手の多くは、所属チームの事情によって解雇され、他チームに再雇用される例はひじょうに少なく、そのまま引退に追い込まれる。自分の最大の喜びであり、誇りであり、支えであった競技能力が無用の長物になる。
その辛さから草野球に参加しようとしても、能力に格差がありすぎて相手チームから(時には味方チームからも)忌避されてしまう。(元プロの参加を認めない草野球大会も少なくない。)
これが大部分の元プロの姿である。野球をしたくともできない、これは残酷なことではないだろうか。「おまえは、たとえ1年とはいっても、プロとして金を稼いだから、もう野球をしてはならん!」というのだろうか。「戦力外通告」という言葉には以上のような意味も含まれているのだ。