谷沢健一のニューアマチュアリズム

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ニューアマチュアリズム(その3)

2005-09-02 | ニューアマチュアリズム
 プロの経験と技術とをアマに役立てるのに、もっとも手っ取り早いのは、プロとアマが同じチームで一緒に野球をやることだ。そんなことはわかりきっているから、JABA(日本野球連盟)もそれを認めてきた。ただし、1チーム2名(来年1月1日からは3名)の選手登録に限るが。
 これはもともとプロファーム化をおそれてのことと言われる。(このあたりの経緯はJABAのホームページに説明されている。http://www.jaba.or.jp/yanagawa_proama.htm)けっきょくは、金銭の絡むややこしさが問題なのである。
 私が考えているのは、もはやプロ選手として競技することができなくなった人たちのことである。彼らは、かなりの幸運に恵まれない限り、野球ができない。もちろん、キャッチボールくらいはできる。しかし、試合には出られないのだ。野球はチーム競技であり、個人の能力の連結によって、つまり集合力によって、ゲームが行われる。元プロ選手の大部分が引退したとたんにゲームに参加する権利を奪われるのだ。つまり、野球をしてはならないと命ぜられるのだ。
 プロ野球選手の多くは、所属チームの事情によって解雇され、他チームに再雇用される例はひじょうに少なく、そのまま引退に追い込まれる。自分の最大の喜びであり、誇りであり、支えであった競技能力が無用の長物になる。
 その辛さから草野球に参加しようとしても、能力に格差がありすぎて相手チームから(時には味方チームからも)忌避されてしまう。(元プロの参加を認めない草野球大会も少なくない。)
 これが大部分の元プロの姿である。野球をしたくともできない、これは残酷なことではないだろうか。「おまえは、たとえ1年とはいっても、プロとして金を稼いだから、もう野球をしてはならん!」というのだろうか。「戦力外通告」という言葉には以上のような意味も含まれているのだ。

ニューアマチュアリズム(その2)

2005-08-22 | ニューアマチュアリズム
 私がアマチュア野球界に関心を抱いたきっかけは、実はこのアマかプロかという問題ではなく、元プロとアマとの関係である。プロ野球選手の寿命(勤続年数)は短い。これは多くのスポーツもそうであり、肉体を過酷に使う競技の宿命だろう。プロを退いた選手の多くは、そのプロとしての能力やプロだったときの経験を、十分に他の人々(さらには社会)に還元していない、というより還元するチャンスがほとんど与えられていない。
 もちろん、どの選手も自分の経験と能力を自分自身の引退後の生活に還元しているだろう。しかし、プロ野球は選手自身のためばかりか、ファンをはじめとする多くの人々のためにも存在するもののはずだ。とすれば、自分一人のためだけではなく、多くの人(=地域社会)に少しでも還元することが、プロだった者の一種の義務ではないかと、私は考える。
 その気持ちが強くなって、大学院に入って勉強し直そうと思ったり、もっともアマチュアらしいクラブチームに関わろうと思ったりして、それを曲がりなりにも実行してきた。そうする中で、改めて気づかされたこと、新たに思いついたことも、少なからず心の中にたまってきた。
 それを、さしあたって「ニューアマチュアリズム」を名付けたのである。すなわち、プロの経験と技術とをアマに役立ててもらい、逆にそうすることでプロに見えないこと、見忘れてしまったことを思い出してもらう、ということである。
 (今日は、このくらいまで言葉にしておこう。)

ニューアマチュアリズム(その1)

2005-08-22 | ニューアマチュアリズム
 先日、このブログを見たある知人から「ニューアマチュアリズムって、何だい? 何がニューなのだ?」と問われた。たまたま、いささかアルコールの入っていた席だったので、十分に返答できなかったが、ここで少し答を書こうと思う。
 従来のアマチュアリズムは、私の知る限りでは、プロの対語というか、プロを意識した考え方ではないだろうか。つまり、スポーツ競技を収入手段としたり、それで生計を立てたりするのをプロフェショナルとし、それと反対にスポーツ競技によって金銭を稼がない人をアマチュアとする、そういう考え方をアマチュア精神=アマチュアリズムと言ってきたように思う。
 そのため、野球界では、金銭をめぐるトラブルなどもあって、アマとプロとの断絶が深くあった。しかし、それがアマのレベルアップをはじめ様々の事柄にマイナスも生み出してきたし、逆にプロの金銭感覚をはじめいくつもの事柄に歪みを発生させてきたことは、だれもがわかっていることである。
 プロ選手のいないスポーツの中には、アマチュアといいながら、多額の金銭を獲得できる競技もある。私にはアマチュア選手が金銭を得ることをやみくもに否定する考えはない。しかし、金銭が第一の目的になったとき、それはやはりアマチュアといえないだろう。

プロローグ

2005-07-16 | ニューアマチュアリズム
 西多摩倶楽部(昨年から私が監督をつとめています)の若い選手に「カントクもブログでも作ってみたらどうですか」とそそのかされて、「清水の舞台から飛び降りる」ような気持ちで作成してみました。
 近年の野球界の状況を鑑みて、アマチュアとプロフェショナルを繋ぐ新たな野球構想ーー野球を愛し、野球のすばらしさに感動して、人生を彩り、豊かにする企てーーを創造したいと願って、第一歩を踏み出しました。
 それが私のニューアマチュアリズムのプロローグです。