ポケットの中で映画を温めて

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『伊丹万作エッセイ集』より「戦争責任者の問題」について

2016年08月15日 | 本(小説ほか)
戦前の映画監督であり脚本家であった著名人のひとりに伊丹万作(1900-1946)がいる。
監督としての代表作に『國士無双』(1932年)、『赤西蠣太』(1936年)があるが、残念なことに、この二作は完全な形でフィルムが残っていない。
伊丹万作の名は、どちらかと言えば『無法松の一生』(稲垣浩監督・1943年版および1958年版、ほか)のシナリオの方が有名かもしれない。

また、よく知られているように、伊丹万作の長男は故伊丹十三で、長女がゆかりさん。ゆかりさんは大江健三郎夫人である。
このような関係からか、伊丹万作の著作集の中に、大江健三郎編として『伊丹万作エッセイ集』(筑摩叢書、1971年)がある。
若かった頃から私は大江健三郎に傾倒し、伊丹万作の名も知っていたため、このエッセイ集が出ると早速読んだ。
その中で、今でも妙に印象が残っているのが、「戦争責任者の問題」と題する文である。
それを要約して載せておこうと思う。

“多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。

いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、
つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 
だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
私は、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。
だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

つまりだますものだけでは戦争は起らない。
だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、
戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、
信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。
 
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、
私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。
現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、
徹底的に自己を改造する努力を始めることである。”
(『映画春秋』昭和21年8月号)

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2 コメント

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真理はあせない (ろこ)
2016-08-15 01:21:52
こんにちは。
 古い本なのに、言っている内容と真理は少しも色あせないのが驚きであり、現在の日本人にも当てはまっているのが恐ろしいです。
 「国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。
 また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。」

 先の選挙の時、あれだけ戦争法案を決めてしまい、秘密保護法を作り、マスコミの報道規制をしている安倍政権に投票する国民が多かったことに、万作氏の言葉が当てはまりすぎて怖いです。
 戦争を知っている人が少なくなってくると、戦争がはじまる。
 今まさにその危機が迫っています。
 国民がそのことに無自覚で無反応、自我の放棄、状態です。
 この本が少しも古くなく現代に当てはまることが無念極まりないです。
 
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>ろこさんへ (初老ytおじ)
2016-08-15 12:40:02
コメントありがとうございます。
返事が遅れてしまいました。
おっしゃるとおり、全くそのとおりだと思います。
伊丹万作が言っている内容が、今現在、無意味となっていればいいのですが、現実は、この警告がピッタリ当てはまっています。
いつの時代も、自分の意志よりも他人に流される人が多いように思われてなりません。
権力者は、情報操作をしようとマスコミ等に睨みをきかせ、そのマスコミはその目を恐れて自己規制し、萎縮しています。
特に、公共放送のはずのNHKは、権力者のお友達と言っていい人物がトップとして君臨しているえげつなさで、やり切れません。
このことは、ろこさんがいつも口酸っぱくおしゃっていることですね。
テレビで、出演者がはしゃいだり、バカ笑いしているバラエティがすたれないところをみると、日本人はまだまだ骨抜きにされているのかなと思ってしまいます。
ほんの少しでもいいから、主体的に物事を考えていかなければ、と思っています。
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