やんまの気まぐれ・一句拝借!

俳句喫茶店<つぶやく堂>へご来店ください。

青き踏む土に元気をいただけり 塩川雄三

2017年03月17日 | 俳句
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塩川雄三
青き踏む土に元気をいただけり
春の山野に青草が萌え出した。まだ土もあちこちに露はであるが暖かく柔らかである。こんな地面を歩く感触がとても心地よい。一歩一歩と踏みしめる度に元気が湧いてくる。自分もまだまだ捨てたもんではない。さて今日もグランドゴルフに精を出すか。人生日々是好日。:俳誌「俳句」(2016年3月号)所載

鷹鳩と化すや呪文のちちんぷい 大島雄作

2017年03月16日 | 俳句
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大島雄作
鷹鳩と化すや呪文のちちんぷい
鷹鳩と化すは 七十二節季の一つ。陽暦の三月十六日から 二十日のころ。 穏やかな春に鷹が鳩に姿を変えるという春の穏やかさへの表現である。問題は「ちちんぷい」の呪文、小生の場合これはどんな難問にも効いた。頭痛だろうが腹痛だろうが、母の懐に抱かれて「痛いの痛いの飛んで行け・ちちんぷいぷいちちんのぷい!」と聞かされて、治らぬ痛みはなかった。ましてや荒ぶる鷹が鳩の様に大人しいのどかな春である。こんな呪文を母が耳元に囁けば、どんな傷心もたちまち癒されてしまうのである。後世になって全ての愛憎傷心が、実は時の流れに溶かされてゆくのを知るのではあるが。:「俳句」(2014年5月号)所載。

白木蓮の蕾大空押し上げて 飯村周子

2017年03月15日 | 俳句
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飯村周子
白木蓮の蕾大空押し上げて
花の季節がやって来た。花は空を飾り地を飾る。さきがけて木蓮が蕾を持った。その気配に淡いながらも純白に咲く花の気品が漂う。白樺・青空・水車小屋、列島を縦断して花の季節が進行する。空は大空の体を成し大柄な白い花の開花を待つ。春色の空がぐんぐんと広がってゆく。:『新版・俳句歳時記』(2012・雄山閣)所載。

春炬燵新聞たたみ又ひろぐ をがはまなぶ

2017年03月14日 | 俳句
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をがはまなぶ
春炬燵新聞たたみ又ひろぐ
春とは言えどまだ寒い。仕舞えない炬燵にまだ入っている。いったん入ってしまうとこれがなかなか抜け出せぬ。普段でも立ち上がる時には「どっこいしょ」と声がでてしまう年齢になっているのだ。さあそうなると炬燵で出来る事は新聞を読む事ぐらい。一度読んではみたものの外にやる事が無いものだからまた開くはめになる。天下の事象を手中に収め総じてみれば「世は事も無し」とつぶやく。:読売新聞「読売俳壇」(2017年3月13日)所載。

吾も知る母の軽さや春の虹 白馬

2017年03月13日 | 俳句
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白馬
吾も知る母の軽さや春の虹
戯れに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず(石川啄木)。その母の軽さを自分も知っている。家族を育てた偉大な力を蔵しながらも今にも崩れ落ちそうな弱々しさを合わせ持つている。晩年手をとって歩いた時に何と軽い母だったか。負えば何処までも負って行けそうだが何故か胸が締め付けられる。正面に大きな春の虹が掛かった。今はこの胸にある母さんと大きな虹へ向かって歩いてゆこう。:丘ふみ游俳倶楽部「百五十号発刊記念集」(2017年春号)所載

春休みよく出来た子も出来ぬ子も 不肖子

2017年03月12日 | 俳句
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不肖子
春休みよく出来た子も出来ぬ子も
春休みは一番楽しいお休みだ。まず宿題が無い。進級にしても進学にしても新しい出発が待っている。昔は通信簿という成績表が渡されたが今もあるのだろうか。よく出来た子は嬉しいし出来なかった子もほっと一息。心が解放された中で思い切り遊べるのだ。わーい、わい。:糸瓜俳句会20周年記念「へちま歳時記」(2016年12月)所収。

春泥に埋もれし瓦礫動かざる 竹田忠子

2017年03月11日 | 俳句
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竹田忠子
春泥に埋もれし瓦礫動かざる
また3月11日を迎える。想像を絶する天災に襲われたのが2011年の3月11日。震度8だったか。現地の復興は未だにままならぬ。春泥に埋もれた瓦礫が未だにそのままである。人は大自然の恵みの中に生きているが同時に大いなる自然の暴力と隣り合わせに暮らす。そしてその天災は忘れた頃にやって来る。だから忘れまい何時までも。:俳誌「春燈」(2016年5月号)所収。

児の靴とトコトコとんとん山笑ふ れんげ

2017年03月10日 | 俳句
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れんげ
児の靴とトコトコとんとん山笑ふ

母と子が手をつないで歩いている。空いっぱいに春が溢れている。春は何故か嬉しい季節である。山までが笑っているやに見えてくる。年々成長する児の靴は新品でぴっかぴか。人の心もうきうきと自ずから歌の一つも飛び出してくる。お手てつないで野道をゆけば~韻が弾んでいる。お山がにこにこと見下ろしている。:つぶやく堂「俳句喫茶店」(2017年3月5日)所載

春の夢みてゐて瞼ぬれにけり 鷹女

2017年03月09日 | 俳句
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三橋鷹女
春の夢みてゐて瞼ぬれにけり
憧れが具現化されたような春の夢を見る。明るい青春の様々が脳裏に伸び縮みして漂う。恋をする。現実の苦くもどかしい恋ではない。天女の羽衣を抱くような淡く清らかな恋である。そして私の恋はいつも砕ける。覚めれば瞬時に夢は消えている。瞼に残る涙の故をも忘れている。:角川書店「合本・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。

春の田の起こされてより鳥あまた 竹腰素

2017年03月08日 | 俳句
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竹腰 素
春の田の起こされてより鳥あまた
今年の農事が本格的に始まった。耕運機が黒黒とした土を起こしてゆく。啓蟄も過ぎ土中の虫たちが次々と姿を露にする。餌にありつく鳥たちが狂気のごとく騒ぎ出す。春の田に明るく賑やかな日々が始まった。余談であるが私の近辺の田畑は次々と開発され巨大な物流倉庫に変貌してゆく。野鳥観察も蛍の鑑賞も今年は無くなった。行く春の思い出を惜しむ。:俳誌「はるもにあ」(2016年5月号)所収。

翌日しらぬ身の楽しみや花に酒 井月

2017年03月07日 | 俳句
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井上井月
翌日(あす)しらぬ身の楽しみや花に酒
一読我が意を得たりの感あり。こよなく花を好み酒を好んだであろう。もと越後長岡藩士ながら無断で出たままの放浪生活、自称「乞食井月」とうそぶいていた。万朶の花の下で酒を酌み口癖の「千両!千両!」と悦に入っている。どうせ一度は死ぬ身思い通りに生きたいものだ。世間体などどうでもいいのさ。千両、今ならジャンボ籤に当たるしかないかなあ。そしたら若くキュートな娘さんをガイドにして世界旅行でもしようかな。そんないい事ある訳ない!(←きっぱり)。:俳誌「俳句」(2016年3月号)所載

菜の花やスローテンポのハーモニカ 秋波

2017年03月06日 | 俳句
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秋波
菜の花やスローテンポのハーモニカ

一面に菜の花が咲いている。風に乗って爽やかな音色の曲が流れてきた。おおこれはハーモカそしてこの曲はダニーボーイだ。あの故郷で無心に遊び暮らした思い出がどっと蘇る。ハモニカ名人の幼友達は今どうしているだろう。菜の花畑に沿った小川ではまだ小鮒が釣れるのだろうか。遠く富士山が見えたあの丘にまだ辛夷の花が咲くのだろうか。心がスローに波打って来る。何故か懐かしい事に涙ぐむ歳とはなった。:丘ふみ游俳倶楽部「百五十号発刊記念集」(2017年春号)所載

一人静大きな家に小さき母 資料館

2017年03月05日 | 俳句
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資料館
一人静大きな家に小さき母

私には両親の介護の為職業を去り介護に専念した時期があった。隙間風が寒い木造のぼろ家であったがそれが普通の日常であった。その中で母は殊更に小さく見えていた。やがて父が先立ち母が残された。母の悩み苦しさは一手に私に向けられた。人間関係や心の悩みには相槌が打てたが肉体を襲う痛み苦しみには手の差し出しようがなかった。来る日も来る日も夜を徹して背中をさすり続けた。季節の花を病室に飾ったのも慰みのひとつであった。「母さんカタクリが咲きましたよ」「一人静かが咲きましたよ」、、、その小さな母もやがて去っていった。後には心の空白だけが残った。晩年職の無かった私は今もど貧乏であるがそれは私の誇りでもある。私の手足の指は母譲りの短指であるが母の様に器用で無いのが残念だ。:丘ふみ游俳倶楽部「百五十号発刊記念集」(2017年春号)所載

ぜんまいののの字ばかりの寂光土 茅舎

2017年03月04日 | 俳句
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川端茅舎
ぜんまいののの字ばかりの寂光土

フキノトウから始まってワラビ、ゼンマイ、タラノメと山野草が春の訪れを告げる。繰り返す季節の巡回の中で一番心が明るいときではある。作者は生まれ育ち円熟した後の黄泉の寂光まで一気に感得する。眼前ののの字の存在と行く末の寂光土を一つの平面に見る。ただこれだけの事。一瞬一瞬の存在が訪れ消えてゆく。オオイヌフグリ、レンゲ、タンポポ、スミレソウとまだまだ季節は連なって行く。君は暗黒へ堕ちるに非ず、そこには寂光ほどの明りがある。:句集「華厳」より

立雛や一人も欠けぬ四姉妹 木村みどり

2017年03月03日 | 俳句
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木村みどり
立雛や一人も欠けぬ四姉妹

立ち姿のお内裏様の女雛に男雛が飾られた。男の子の五月の端午の節句に対し女の子の三月桃の節句がある。桃の節句はひな祭りとも言われお雛様が飾られる。当家では立ち姿のお内裏様の女雛と男雛がまず飾られる。なにせ四姉妹、長女次女三女四女とその都度雛人形の数も増え今や豪華絢爛の段飾りとなった。父母祖父母の溺愛もあったのか今や四姉妹それぞれに健在である。めでたいが集まると姦しいったらありゃしない。:俳誌「春燈」(2016年5月号)所載