El Camino de UK

旅とサッカーを中心に、備忘録として思いを綴っていきます。

中田英寿

2004-12-13 | Japan Football
 中京テレビ(日本テレビ系)で放送された「世界を駆けるヒーローたち」を見た。セリエA、フィオレンティーナ所属の中田英寿。
 彼を初めて知ったのは、'93年に日本で開催されたU-17世界選手権の時。U-17日本代表は準々決勝へコマを進み、ヌワンコ・カヌらを擁したナイジェリア代表とベスト4をかけて戦った。
 その試合が行われたのが岐阜の長良川競技場。代表クラスの試合が岐阜で行われることは滅多になく、この絶好の機会を見逃すわけにはいかないと、僕は前売りチケットを買いその試合を見に行った。僕にとって生まれて初めてのサッカー観戦だった。

 試合は惜しくも1-2で敗れてしまったが、自分と同じ高校生の選手が世界の強豪と対等に戦っていることに強く感動した。それからますますサッカーというスポーツが好きになった。
 当時中田よりも10番をつけていた財前(現・ベガルタ仙台)という選手の方が、将来の有望株として注目を浴びていた。しかし、この試合で唯一得点を挙げたのは中田。コーナーキックからボレーかヘッドで押し込みゴールが決まった瞬間、彼がガッツポーズをして大喜びしていたのを今でも覚えている。この時、僕は初めて中田の存在を知ったのである。
 彼はその4年後イタリアの地へ渡り、今では世界を代表するファンタジスタとして認められるまでになった。あの時の彼がここまで上り詰めるとは夢にも思わなかった。

 マスコミへの対応やファンサービスが悪いとかいろいろバッシングもあるようだけど、僕は彼の生き方や考え方はすごく好きだし尊敬できる。サッカーに限らず、ファッションやビジネス、旅行などいろいろなことに興味を持ち、独自の世界観を広げていこうとする行動力は本当に素晴らしい。
 番組で自分の人生の中で大切にしたいものはと聞かれたとき、彼は「人種とか国境など関係なく人との出会いを大切にしたい」と答えていたのが印象的だった。ペルージャでは父親を亡くしたイタリア人母娘と出会い、まるで家族のように接し元気を分け与えたことからも、彼の優しさが見てとれる。
 
 そして彼はイタリアの生活や文化にいち早く溶け込み、言葉までも完全に自分のものにしてしまった。中田も含めて外国語を巧みに操り、外国人とコミュニケーションをとっている日本人の人たちを見てると本当にカッコいいし憧れる。
 俺もあんな風になりたい!ヨーロッパで働いてみたい!そのためにはひたすら努力、前進あるのみ。