スナップ写部ログ

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落ち葉のトッピング

2009年12月12日 23時24分21秒 | 日常

食卓に個人個人の小さな布等を敷いたのを“ランチョン・マット”って言いますね

luncheon~ランチョンを簡略にしたのが
lunch~ランチ(昼食)。
元は一緒なんですね。。

そう、昼間に簡単なランチで、夜に正式な食事をとればディナー(晩餐)に

昼間にディナー(午餐)・ランチョンをとれば、夜は簡単にサパー、supperなんぞに

朝昼晩に豪華に行くのはアレですねぇ。

単にディナー(正餐)って言うと、まぁ普通は晩餐なんだけど、稀に昼間の正式な食事の場合も。
つまりディナーが日本の本膳料理ならば、ランチやサパーは会席料理みたいな感じかナ?



イエス・キリストが十字架に貼り付けられて処刑された前の晩に弟子達を集めて『送別会』をしたのが最後の晩餐です

その時の、お食事会のメニューは、キリストの“血と肉体”の象徴であるパンと葡萄酒。

そう!最後の晩餐を英語では
the Last Supper
と言い、決して
the Last Dinnerでは無いのですねぇ

我々日本人が一般的に“最後の晩餐”を思い浮べると、最後の思い出となる?超豪勢なフルコースのディナーだよね!


●リンゴです。



ダイニングルーム~Diningは、正餐(dinner~ディナー)をとる部屋だ。丸っきりそのままだね

TV司会者が、お茶の間の皆さんへ‥とか言う『お茶の間』。これは多分ダイニングキッチン~DKに当たると思う。大名家などで奥‥居間(リビング)に仕える奥女中・腰元、それと下働きの間の存在が、男なら中間(ちゅうげん)、女なら茶の間女だ

これは商家なら仲居(なかい)にあたる。現代でも旅館の客室世話係に名を残すのだけれど

★因みに、お茶の間と言えば卓袱台(ちゃぶ台)だけど、これは中国語由来とも言われ、大正頃?に登場したらしい


コイスルスズメ

2009年12月11日 21時25分13秒 | 鳥 動物たち

愛し合ってるスズメちゃんでした。。


森の小径。。




地元の川面。







●さて、バヌアツ共和国のナタペイ首相が、バヌアツは英連邦の一員なのでトリニダードトバコにて連邦の会議に出るために出かけたのですが…

彼は議会に『欠席届』を出さなかったので、3日連続無断議会欠席の理由で議員失格、ゆえに首相の職を解任される事になりました

初日に欠席した時、指摘する人がいなかったのかな‥3日になるまで黙ってたとしたら…

留守番の人が届けをすればそれで済んだかもしれないのにね!

バヌアツはオーストラリア近くの新潟県と同じ位の面積の島国です。国家元首として大統領が居るのですが、まさか首相が国家を代表して出国するのに誰も知らない訳はないでしょう。一切の妥協のない驚くべき事態であります。

この国、バンジージャンプの元となった成人儀式で有名な島国。ナタペイ首相は二期目の経験豊富な議員です。




近所の風景

2009年12月07日 20時51分12秒 | 鳥 動物たち



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漢字の部首で『ぼくにょう』を知らねばなりません。

牧、の右っかわの部分です。

これは、木の鞭(ムチ)を手に(厳しく)取り締まる、って意味で、例えば『教』は、ムチをシバいて若者を押さえつけて強制的に習わせる、との事を現します

改、の己は本当は巳だそうで、それはつまり『鬼』『邪気』のこと。
季節の変わり目に鬼を追いとばして邪気を払う、一言で言えば節分の豆まきですね

悪霊を追い出して気持ち改め新年を迎える、これが『改』の本当の意味です。
だから、改悪とは、悪を除いて正しい道筋を付けることであります
(中国では。)

日本では何故か真逆の意味になっちゃってますが‥

●その『ぼくにょう』を使う漢字の政(まつりごと)は、非道を正して国を治めることだから正の字を使います。他党(鬼)の揚げ足とって我が身の安泰(当選)を計る、の意味ではございませんです。ハイ。


●今朝の夜明けの月です。。



階段の途中(つまり家の中)で窓を開けて手持ちで撮りました。



歌舞伎座

2009年12月06日 21時49分26秒 | 旅行

桜田門を後に天下の銀座に出ました。
歌舞伎座をちょいと見てみたかったからです。。



これも紅葉。。。



歌舞伎役者、尾上辰之助が尾上松緑(四代目)を襲名しまして屋号は音羽屋です。

屋号は、坂東玉三郎・三津五郎の大和屋、松本幸四郎(兄)の高麗屋に中村吉右衛門(弟)の播磨屋など。
同じ中村でも鴈治郎、橋之助は成駒屋で勘九郎は中村屋。
市川團十郎・新之助は成田屋だが猿之助は澤潟(おもだか)屋。

ややこしいです。。。





梨園(りえん)

言わずと知れた歌舞伎俳優の『世界』の事ですね。
何でこれが梨(なし)の園かって言うと、約1300年前の昔の中国、唐の時代の皇帝であった玄宗が梨の木の園で音楽を教えたとの話しから、梨園とは劇壇を(暗に)示す言葉になり、さらに歌舞伎界を示すようになりました。



昼間の出し物は忠臣蔵でした。

●討ち入りが有った直後に出来た『碁盤太平記』から『仮名手本忠臣蔵』が出来るまで四十年位の間には‥実際の事件と芝居にはどれ位の相違が有るかは知らないけど。

何時の間にか芝居と史実の区別が無くなったらしくて、今、我々が思い描いている忠臣蔵の物語の大半は『仮名手本忠臣蔵』の内容なのですね。

仮名手本とは要するに《いろは歌》です。



いろは歌は、

色葉匂へど
散りぬるを
我が世誰そ
常ならむ
有為の奥山
今日越えて
浅き夢みし
酔ひもせず

と、七五調の解釈も有りますが、やはり仮名手本(寺子屋などで仮名の練習に遣う)なので七字区切りで現すのが通例です


いろはにほへと

ちりぬるをわか

よたれそつねな

らむうゐのおく

やまけふこえて

あさきゆめみし

ゑひもせす


以上の様に四十七文字を一度だけ使った手習い文なのです。
故意か偶然か、各列の最後の文字を順に下に拾うと“とかなくてしす~咎(罪)無くて死す”となる有名な話です。


ちなみに。

内裏(だいり)お抱えの宮大工を匠(たくみ)と言い、匠の取り纏め長官を内匠頭(たくみのかみ)と呼ぶのです。

浅野内匠頭の『官名』、、、名誉職かなんかでしょうが。。。、、、です。




ここは近代化に。。。



もうすぐ解体。。。
でも、この日付と時刻を見れば分かるでしょうが、読売巨人軍の日本一優勝パレードの直後でした。
(地下鉄の出口が封鎖されていたので私は見ていません)




凝った飾り。
はるかギリシャの辺り?から伝来したのかな。。。









これで今回の東京の話は終わりです。
最後に寄った東京駅の駅ナカ、今はすごいんですね~



見た人は全員分かると思いますが、サンタの眼前にある星座はウサギ座ですね。
奥さんがお土産を買っている間に見ていたらすぐ分かりましたよ!



今夜の月です。