遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

行く秋

2019-11-03 16:52:16 | 日記
令和元年11月3日(日)

行く秋 : 秋の名残、秋の別れ

収穫を終へ、さびさびとした田畑とそして
草花や紅葉で飾られていた野山も装いを変える。
そんな秋の終わりをいう。
去りゆく秋を惜しみ、送る事への感慨と寂寥感
が含まれる。
春が行くのと違い、秋が過ぎて行くことへの感
慨は、侘しさといったものの色合いが濃く、切
実である。
この頃になると行楽等で出かけることも控えめ
となり、家に籠ることが多くなる。
そういったことから、秋を終える寂しさが実感
となる。
来るべき寒さに備え、生活のあらゆる面で、冬
を迎える準備に忙しくなる、、、
今も昔も変わることはない。

今日11月3日、文化の日には、この地(名古
屋)、恒例の「港区民祭り」が開催される。
久しぶりに港へ散歩がてら出かける、、、、
公園も街路もすっかり色づいて、港へ続く街路
の清掃をされる姿が忙しく、見られる。


名古屋港ガーデン埠頭へ人波が普段より多い、
無料休憩所前では、三人の若い娘さんによる、
珍しい「チンドン屋」が呼び込みをされていた。


チンドン屋


人目に付き易い服装をして、太鼓、三味線、鉦
(かね)、クラリネット等を鳴らしながら、、
広告・宣伝をする人。
関西では「東西屋」、「広目屋」ともいう。

次回は「港区民祭り」を紹介します。


今日の1句

行く秋を楽しさに替ふ東西屋     ヤギ爺