ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

「78」43ページ目に立ちすくむ。

2006-05-10 02:07:14 | 日記
 忘れ物大魔王だ。
 家を出る時、かなり入念に忘れ物がないか確認するのに、家を出てからケータイがなかったり、本がなかったり、お茶がなかったり、メガネがなかったり、時計がなかったり、傘がなかったり、アイポッドシャホーが充電できてなかったり。つまりかならずチェック項目そのものをどれか一つ忘れてしまうのだ。そして、階段をかけあがって忘れ物を取り、毎日毎日ギリギリで電車にすべりこむことになる。毎朝。
 今日はついに駅の近くに行くまで定期を忘れたことに気づかなくて、電車賃払って仕事に行くハメに……。とほほだよ。がっかりだよ。あまりにもがっかりだよ……! 帰りは10円安いバスで行こうとおもったら目の前で最終バスが去って行ったよ。あまりにもがっかりだよ……! 
 ここまでのうっかり&しょんぼりは異常な気がしてきた。呪いかなぁ。仕事中も、しょっちゅう凡ミスをする。別の仕事を頼まれると、今までやってた仕事がほいっと頭から抜けてしまったりする。そして放置して、それを別の人に発見されて注意されたりする。悲しすぎる。計算ミスとか、ありえない。テラテラかなしす。
 もうだいたいのションボリパターンはやりつくしたはずだから、そろそろ完璧な人間になれるはずなんだけどなぁ。同じ過ちは繰り返したくないものだ。悲しすぎる。

 そんなションボリな帰りの電車の中、読んでた本のある一行に目が釘付けになった。



 このままどのくらい遠くまで行けるだろう。



 ページの最後に記された一行。そのあとの余白とあいまって、なんだか吸い込まれるようだった。そのちょっと前の、「私はおそらく私自身から逃げ出したいだけで、場所や環境からの脱出はその代替にすぎなかった。」という一文があまりにも自分にあてはまるもんで血の気が引いていたところに上の一行が来て、なんだか完璧に打ちのめされて、原宿―代々木間を立ち尽くしてしまった。
 高校をさぼりがちだったこととか、早く仕事をやめて家庭に引きこもりたいとおもっていることとか、全部全部「私」から逃げるための手段だったのだとおもう。逃げたい。「私」という現象から逃げたい。消えたい。その衝動に突き動かされてここまで来た。それだけが、わたしの持つ唯一の、何もかもにたいする万能な動機だったのだ。
 このままどのくらい遠くまで行けるだろう。自分が小さくなって、見えなくなるまで、遠くに行きたい。
 吉田パパは本当に、こわいくらい素敵な話を書くなぁ。体のなかのいやなものがふわっととけるのを感じる。カメたちを見ている時みたいに。あるいはダリダリの腕をしびれさせながら眠る時のように。