ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

二カ月。

2011-06-07 16:08:28 | 日記
 子は二カ月にしてすでに6キロ。なんか貫禄が。ほっぺはぷにぷに、あごはたぷたぷ。母乳でこんなに大きくしてすごいねーと、一カ月検診で医者に言われた。子が膨れた分、母が痩せたらいいのにそんなことはなかった。母乳マジックで痩せると聞いたのですが……。まあ、母乳出す分すごい量食べてるし、買い物くらいしか外出しないし、だめかもしれない。

 子は比較的いい子の部類だと思われ。夜はそこそこまとめて寝るし、昼もずっと泣き続けるということはない。わたしがおそろしく手のかかる子どもだったらしく、母親からさんざん子育ての恐ろしさを吹きこまれていたので、これくらいなら十分対応できる、ような気がする。
 でも、なんだかんだいって、ずーっと子のそばにいて常に子のことが頭にある毎日は、やっぱり休まってないみたいで、疲れが蓄積してる気がする。しょうがないことだけど。いろんな人に手を貸してもらうことはできても、最終的に子を守れるのはかあちゃんだけだ。がんば、る。

 たまに、子がいなかった頃のことが懐かしいような気持ちになる。遠くに行きたいような気持ちになる。でも、もう子がいない生活は考えられない。昔思っていたような日々は、昔想っていたような日々は、もう遠くてけっして手が届かない。でも子と一緒にする午睡の合間に、ときおり夢に見ることがある。懐かしい影。
 昔の自分からすれば、今の自分はだいぶ予想の斜め上を走っている。

うみました。

2011-04-19 00:46:21 | 日記
 4月4日に男の子産みました。2992グラム。なんやかやでちょっと子の入院がのびたりしたけど、おおむね母子ともに元気です。

 病院到着から48時間かかった。わたしも大変だったけど、陣痛室から分娩台までつきそった夫の方が多分大変だった。わたしは或る意味正気じゃないけど、夫はシラフのままだもん。わたしが獣化しなかったのは夫の優しさのおかげ。他の男じゃこうはいかなかっただろう。たぶん、いろんなことにイライラして、「もういてくれなくていいから!」となったとおもう。すっかり惚れなおしちゃって、実家に戻って毎日顔見れないのがさみしくて仕方ない。わたしはひたすら気持ちが重たくなってしまうから、好きになりすぎるのは不安だった。この夫なら、きっと大丈夫とは思うけれど。
 子どもより夫が好きっていうのは、幸せなこと。子どもはいつか手を離れていくけど、そのあとふたたび夫と二人になれることを楽しみに思える。

 夜中に子と一緒になって泣いちゃうような日もある新米カアチャンだけど、これからずっと、子が大きくなるまでがんばっていきたい。
 同時に、物書きも。子のカアチャンであるだけで満足せずに、何者かでありたい。某新人賞、最終一歩手前まで通ってた。次はせめて最終まで残って、作家先生に選評書いてもらいたい。がんばろう。子を言い訳にしない自分であろう。

我が子を待ちながら。

2011-03-22 12:58:16 | 日記
 地震からこっち、情緒不安定が続いてた臨月妊婦。今月末の予定日が近づいて、やっと陣痛来るなら来いやーという気持ちになってきた。
 そもそも「どんだけ痛いんだ!」「あんな状況やこんな状況になったらどうしよう!」と初産の不安てんこ盛りのところに地震がきて、停電なるかもとか物資がないとか交通網がガタガタとか、不安要素はいくらでもあって、テレビ見てるだけで体調悪くなるような有様だった。被災地の人に比べれば大したことない不安なのだろうけど、不安なものは不安だー。
 でも、状況がだんだん落ち着いてきて、予定日も近づいてきて、まあ大丈夫だろうという気持ちになってきた。なんだろう、脳がそういう物質出して誤魔化しに来てるような気がしないでもない。気がつくと、妊娠期間中の記憶がすべてボヤボヤしてるのも、優秀な忘却機能が働いている予感。出産の痛みも、産んだ瞬間に忘れちゃうなんて話もあったりして、うまく忘れられるように人間ってできてるんだろうな。酷暑+つわりというものすごい時期の記憶があいまいって、どう考えてもおかしい。地震当日の記憶も、なんかごちゃごちゃぼやぼやとしてる。床に落ちたものを拾うにも余震がこわくてできなくて、ひたすら部屋の真ん中でちっちゃくなってテレビ見ながら、テクテク3時間以上歩いて帰ってきた夫を待ってたことは覚えている。でも、そのあと夜ごはんをどうしたか、だいぶ考えないと思いだせなかった。
 地震が金曜日だったので、土日と夫が家にいてくれて本当によかった。今週の3連休も、陣痛待ちの身であるということもあって、ひたすら二人で引きこもって、スーパーに買い物に行って「納豆……(´;ω;`)ブワッ」とか言いながら(妊婦の貴重な栄養源よ、早く流通してくれ……)、まったりしてたらだいぶ落ち着いた。一緒にいることが一番大事。平日の昼間はいまだにちょっと一人でこわい。
 そんなこんなだけども、我が子は外の騒ぎなどおかまいなしに順調。いつ出てきても大丈夫。強い子におなり。


 我が子のことばっかり考えてる間に、文学賞の締め切りがいろいろある3月末が近づいてるわけで。結局、体調のこととかもあって間に合いそうにないのだけれど。妻として母としてがんばることは重要だけど、それとは別に、自分をどのようにしていきたいかということを考えると、やっぱり書くことが一番で。家計のことを考えると早急に内容問わず働きに出るのが必要だとは思いつつ、書くことが仕事になればいいのになぁとどうしても思う。それ以外のことはしたくないと思う。我がままだなぁ。我がままが通せるだけの努力が伴えばいいのだろうけれど。今は出産育児に専念したらいいよ、と同じく困難な道を志す友人に言われたけれど、それを言い訳にしてる自分がいるのもわかってるのでなんとも。でも、記憶すらぼんやりとしているような有様で、集中力が壊滅してるのも事実。もどかしいなぁ。でもがんばりたい。
 このまま、子どものお母さんで終わっちゃうんじゃないかというのが本当はこわいのだ。何者にもなれないまま。家族と一緒にいるのが幸せなのは事実で、それだけで十分と思う自分もいるのに、それだけじゃ足りないともおもう自分もいる。我がままだなぁ。ほんとうに。

細胞入れ替え中。

2011-01-17 10:53:16 | 日記
 家事すらおぼつかず、週末は夫にごはん係してもらいながら、ほんとにわたしに育児なんて出来るのか、へこみながら、寒い。つわりパート2。
 腰痛とかでっぱったおなかのせいでうまく寝姿勢を保てない模様。疲れてすぐに寝たくなるのに、眠りが浅い。夢をたくさん見る。夢は後味が悪く疲れるものが多い。例の人がよく登場する。目が覚めると不安になる。となりには夫が寝ているというのに、遠くのことのようで。最新の感情よりも、長年抱いてきた感情の方がいまだに親しいような気がしてしまう。大人はなかなか変化に順応できないんだよ。と言いつつ、数年がすでに過ぎている。
 夫がへこむのがわかっているのにイチイチ報告するのは、いじわるというか、ただ単に楽になりたいのだとおもう。わたしが。夫はへこみながら、ギニギニしながら、おうどんを作ってくれる、つきぬけて優しい。君は実にバカだな! とわたしは言う。
 でも、最後に見た夢は、小説を書いている夢だった。疾走するように。お話さえ書いていれば大丈夫、とおろかにも信じているわたしはまだいる、むしろ夫と暮らし始めてからより強固に存在している、ので、わたしは書けばよいのだ。ただ単に。たくさんの夢が補強してくれる、過去の感情の泉から、いくらでも引き出してこれる。いくらでも思い出せる。それらをすべて言葉の上にはりつけにする。
 昔のわたしは、もはや明らかに別物だ。別物になった証として我が子が腹にやってきたのか、我が子が腹にやってきたから本格的に別物になったのか、よくわからないけれど。細胞からして違うと感じる。さっさと今の自分の体に着地したいものだ。

妊婦近況

2011-01-06 16:51:40 | 日記
 お正月もおわって、夫は毎日会社へ行く日々に戻った。
 仕事を辞めたわたしにとってはヒマな毎日の再開。夫が帰ってくるまで一日が動かないので、おうちで待ちかまえている。体調が万全じゃないから、時間があればあれこれできるのに! とおもっていたことが、実際には全然できない。本も読めない。どうしたらいいのか。ヒマヒマ。むーん。
 家でじっとしているのはよくないらしい。体重もぐんぐん増えるし。気持ちもどんどん閉じていくし。わたしはこれからどうなるんだろう、とおもうと暗くなる。
 働きたいなぁと切実におもうけれど。子供ができたら、難しいよなぁ。保育園とか、ほいって預けられるものなのか。そんな、フルタイムでバリバリ稼げる気もしないし。どんより。
 それでも、子どもを作るタイミングは決して悪くなかったとおもう。お金だって時間だって仕事だって、待っててよくなるものは一つもないのだから(悲しいことに)。夫選びも、間違ってなかった。日々じんわりと感じている。

 妊婦の一症状として、悪夢をよく見る。昨日は、実はおなかの子の父親は夫じゃなかった、という夢。今日は、夫が病気になってわたしの顔がわからなくなってしまう、という夢。どちらも夢らしくたいそう理不尽で、でも手触りはかなりくっきりはっきりとして、イヤガラセとしてはだいぶ効果的な感じ。起きてしばし、夢と現実が区別つかなくて混乱する。どちらの夢の中でも、夫が恋しくて泣いていた。普段、あまりに当たり前に優しいのでありがたみを忘れがちだけれども、本当にすごい人だ。すっかりモンスター妊婦と化したわたしと付き合い続ける忍耐とか。子どもにはぜひ彼の性格が色濃く遺伝していただきたい。

 年があけて、妊婦生活もあと三カ月。おなかに入ってる方が楽だよーと脅されてるうちが花なのかな。

現状維持。

2010-09-27 14:17:08 | 日記
 一時期は手術ありきで話が進んでいたものが、なんだか場所的に難しいとかで、このままいつまでも様子を見続けることに。何事もなければ産むまでこのままだそうだ。
 切って取っておしまいだったら、簡単でよかったのになぁ。
 今後変化があったら、またどうなるかわからないわけで、いつまでも油断できないのがくるしい。まあ、腹にわが子がいる間は油断なんてしてはいけないのだろうけれど。
 当たる相手が夫しかおらず、しかも夫は驚異の衝撃吸収ボディを持っているので、もうとにかく毎日あらゆる角度から夫にあたり散らしてしまう。それって正しくない。母親が、夫に逃げられたらどうするんだと本気で心配している。どうしよう。
 もっと気を強くもって、開き直って、わが子のために。がんばらなきゃなぁ。しかし、今日もつわりがしんどくて会社休んで家でぐにょっとしているわけで、がんばろうという気持ちに体はまったくついていかない状態。経済状態とか精神状態とか、いろいろまざって、考えるのが大変だ。お金は、大事だ。
 それにしても、見るたびにわが子は本当に元気で、超音波の画面ごしに手を振られました。にぎにぎ。かわいいなぁ。

受付でどれだけ並ぶもんなんだろう。

2010-09-04 06:08:05 | 日記
 昨日検診で、やっぱりのう腫はそこにあって、手術はまぬがれないだろうと。だったら一刻も早く大きな病院で検査して手術の段取りした方がいいから、明日行ってくださいって。急だな! そんなに悪いのか。ただ単に、おなかの中の人がどんどん育っちゃうから時間ないってだけなのか。先生にいろいろ聞けばよかったんだろうけど、検診の時はなんとなく言われたことにうんうんうなずくだけで、疑問というものがちっともわいてこなかったのだ。想像力が死んでたのだ。あとになっていろいろと、不安は出てくる。先生の言い方が歯切れが悪かったのは、本当は悪性の可能性が高いからなのか、とか。そもそも今回の妊娠は継続できるのかとか。
 結局は、手術してみないとわからないってことなのだろうけれど。
 とりあえず今日、言われた通りに大きな病院で検査なので、そこでいろいろ聞く努力をしよう。とにかく、おなかの中の人がちゃんと無事でいられるのかどうか、それだけは聞こう。
 全部杞憂で、たくさん心配するようなことじゃないのかもしれない。でも、違うかもしれない。ネットで検索すれば、似たような例はいっぱい出てくる。わたしより重い人も軽い人もたくさん。でも、問題はわたしのことなのだ。どれだけ数が多くても、結局関係ないのだ。

 世界が違って見えてくる。
 余命を宣告されたわけでもないのに、大げさなものだ。
 それだけ、わたしが普通に見てた世界ってのは脆弱なもんだったんだ。

 昨日検査が決まったのが遅かったので、紹介状は書いてもらったし話も通してもらったけれど、予約は取ってない。朝から病院に行って並ぶしかない。どんだけ待つもんなんだろう。
 夫が一緒に行ってくれる。夫はとても頼りになる。精神的にぶれないからだ。昨日は一緒にうどんを食べてくれた。

このごろ。

2010-08-30 23:35:01 | 日記
 こどもが出来たのはよいのだけど、卵巣のう腫まで見つかってしまった。
 ちょっと様子を見るらしいけれど、手術しなきゃいけないような先生の言い方だった。おなかの子に影響ないのかなぁ。腹腔鏡手術だから傷も小さいし、卵巣だって残るだろうってことだから、そんなに深刻な手術ではないのだろうけれど、でもやっぱり入院自体はじめてだし、不安はいろいろある。
 こどもができるまでは考えもしなかったいろいろなこと。
 もうわたしが一人だけよければいいという場合じゃないのだ。
 いままでずっと呑気でいたんだなぁとおもう。もう戻れないのがすごく悲しい気もするけれど。前に進むしかないのだ。がんばるしかないのだ。働きたくないとか言ってる場合ではないのだ。稼げるうちに少しでも稼がねば。
 うにゃうにゃ。

式の準備とかが死ぬほど忙しいです(近況)

2010-02-21 23:06:20 | 日記
夫婦ブログはじめました。

http://ameblo.jp/narabayoshi0123/

あとはもう幸せだけ見つめる強さが大事だと思う。

最後の不思議。

2010-01-23 00:20:43 | 日記
 婚姻届を埋めている彼の背中を眺めながら、別の人とこうやってこれを書くつもりだったんじゃなかったっけ、と、今世紀最大の不思議な気持ちにつつまれる。その別の人とこうやって婚姻届を書いたことなんてあるはずないのに、懐かしい光景を眺めているような気にすらなった。
 とはいえ、そんな感傷に浸る時間はもうおしまい。証人欄も埋めてもらって、あとはお互いにハンコをおして、役所に提出したら、旧姓のハンコは燃えないゴミになる。12時間後にやってくる引越しトラックに積み込むために箱詰めだってがんばらないといけない。もう考える時間はおしまい。
 前に進むのだ。