内閣府が発表した「社会意識による世論調査」によると、「高い地位と多くの報酬を得るのはどんな人が望ましいか」を質問したところ、「努力した人」と答えた人が60.0%(前回02年50.9%)、「実績を上げた人」と答えた人が27.6%(前回35.5%)だった。一方「現実に多くの報酬を得ている人はどんな人か」質問したところ「実績を挙げた人」と答えた人が51.0%、「努力した人」と答えた人は21.5%だった。
この調査結果から見ると、社会意識としては「努力した人」が「高い地位と多くの報酬を得るのが望ましい」が現実は「実績を挙げた人」が「多くの報酬を得ている」と感じていることになる。要は結果だけで評価されたくないと考えている。
現在企業では、企業への貢献度を評価して報酬や昇進を決める実績主義が主流となっており、「実績を挙げることはできなかったが、そのためによく努力した」と、その努力した過程を評価し、それに報いるケースは少ないようだ。実績は客観的な判断が可能だが、努力の評価は主観的な部分が多い。
今まで人々は、努力し実績を挙げた人が報われる社会を求めて来た。その結果、富の配分が偏り、結果として報われる者とそうでない者との間に格差が開いてきた。これを当然の結果と受け止めるべきか、不平等と受け止めるのか、その判断が難しいところだ。
この調査結果から見ると、社会意識としては「努力した人」が「高い地位と多くの報酬を得るのが望ましい」が現実は「実績を挙げた人」が「多くの報酬を得ている」と感じていることになる。要は結果だけで評価されたくないと考えている。
現在企業では、企業への貢献度を評価して報酬や昇進を決める実績主義が主流となっており、「実績を挙げることはできなかったが、そのためによく努力した」と、その努力した過程を評価し、それに報いるケースは少ないようだ。実績は客観的な判断が可能だが、努力の評価は主観的な部分が多い。
今まで人々は、努力し実績を挙げた人が報われる社会を求めて来た。その結果、富の配分が偏り、結果として報われる者とそうでない者との間に格差が開いてきた。これを当然の結果と受け止めるべきか、不平等と受け止めるのか、その判断が難しいところだ。