今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下のつれづれなるままのもろもろ。

土と水、手と足、熊谷さんと高木さん

2015-08-13 | Weblog
1ヶ月以上前だけど、渋谷のWWWで行われた熊谷和徳×高木正勝のライブがあまりにもすばらしくて、文章にしたいと思いながらも、なかなか書けなかった。そこで起こったことは一回性のもので、言葉にすることでその一回性が汚されるような気がする。そうはいっても、書きたいという欲求を満たすことになんの抵抗を感じる必要があるのだろうかと思ったり。

最初、熊谷さんが暗い舞台上に現れ、ぽんとタップ板の上に飛び乗る。ぽんとふわりと飛んだように見えたけど、着地の瞬間、スピーカーからは爆音が出た。それは人独りの足音とは思えない、なにか遠い空高くから落ちてきた、隕石の落下、大いなる夜明け、人類の目覚め、そういう衝撃が空間に轟き、それが開演の合図となった。
高木さんはピアノだけに専念。映像も違う人。音楽を作る人、映像を作る人、アートを作る人、いろいろな作る人が高木さんの中にはいるけど、最近ではおそらく山の中での生活も含めて生活を作る人という側面もあるが、今回は、「そこにあるものを音楽のような何かに変換して見せる人」としての高木さんがいた。
おそらく即興性の高さがそうなっているのだと思うけど、ふたりはお互いに泥遊びをするようにセッションを始めた。

ともかく衝撃だったのは、2曲目だったと思うけど、ピアノがぐにゃぐにゃ溶け出したことだ。最初手品かと思った。高木さんの手の下には黒と白の波が現れ、それをすくいとるように、指を動かしていた。水面と指の境はすぐになくなった。もちろん音もピアノの音には聞こえなかった。こんな楽器僕は知らない。
その隣では、生まれたばかりの水を、土に撒くように、熊谷さんの呪術的な足踏みが続いた。それは踊りでも演奏でもなく、まるで農耕のようだった。生きるための仕事。
そして曲が進むにつれ、高木さんの足が踊りだし、熊谷さんの手が歌いだす。それは農耕仕事をしている人たちが熱中する中で見つけた余技というか、ある種の労働歌だ。自然を喜び、共同で生活するみなを鼓舞する。嬉しい、て気持ちが充満する。タップとピアノ。そんなことは途中で一切消えてしまう。ふたりの自然から生まれた四肢を持つ生物が、持てるエネルギーと感謝を神に捧げているだけの時間になる。僕たち観客はそこで一緒になる。ほんとの一体感とはこういう呪術的な(マジカルな)ことを言うのだ。静かに森の中で繰り広げられるお祭りのように。
ライブの曲調展開としては河の流れを進み、僕らはボートにのって、最後には海に出る。そこにはカモメが飛んでいて、僕らの旅を祝福している。
そこには実は物語もしっかりあったのだ。僕らはあまりのエネルギーに即興性を強く感じすぎたけど、二人は決してどこか遠い場所で勝手なことをしていたわけではなく、いままさに、生まれてきているもの、でもそれは言葉にならないものを、僕たちの前に差し出してくれてた。まるで巫女のように。

あ、あの時生まれた水は渋谷の地下を流れる川だったのかもしれない。そして仙台とか、京都の方にまでたどり着いたのだ。

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