YOUPLAYと愛の妙薬の狭間で毎週月曜日だけはこつこつと演劇の勉強をしている。演劇の勉強とはとりもなおさず実世界の勉強であり、自然界の勉強である。今やってることの大筋は別の機会に書くとして、大筋からにょきにょきと生えてくる細い筋のことを一個書くと(全部書き出したらおそらく本が一冊書けるくらいだ)、言葉について新しい発見があった。発見というと大げさだし、今更そんなことを、と言われるようなことかもしれない。それは言葉の「ピン」的役割についてで、言葉というのは現在の状況をその場所に固定する役割があるのだなあ、という意味で「ピン」である。標本箱の中の蝶を留めてる、あれ。ここに一枚の絵がある。美術館を頭に浮かべてみてもらえればいい。絵が飾ってある。どこかの田舎の風景で遠くに人物がひとり夕焼けを背に座っている。空中には悪魔みたいな雲が浮かんでいる。そんな絵が仮に飾ってあるとする。その絵の隅にタイトルが小さいプレートで掲示されてる。それを見る。「大いなる絶望」と書いてある。するとボクはふむふむ絶望の絵なんだ、と思う。それが「モザンビークの夕景」とあれば、ふむふむこれはアフリカの風景なんだなと思う。「サバティカル93」て書いてあれば、よくわからないけどサバティカルなんだなと思う。これってすごいことだ。言葉には実は意味はないんだ!(意味はあるけど、本質はない、の方が正確か)。ただ固定する力があるだけなんだ!演劇における言葉の代名詞と言えば台詞だけど、つまりは台詞もおそらくそういうことなんだと思う。「私は今歩いている」と言えば、歩いていること自体に意味があるわけではなく(実際に役者は歩いてなくても)歩いていることになる。そこに固定される。今、そうなる。未来でも過去でなく。で、その言葉の瞬間から一秒でも経てば、それは劣化し、塗りつぶされていく。まるで別のタイトルがどんどん絵の横に更新されていくように。まるで喫茶店で女の子三人組とかの会話のようだ。「人生の不安」を語ってたと思うと、「駅前の新しいスイーツ屋」の話になり、気づけば「彼氏の浮気癖」への愚痴に変わっている。そこには固定と流動がつねにダイナミックに起こっている。言葉というものの役割というのは、そういうアンビバレンツな仕組みがあるんだなと。だからいわゆる手振り身振りというものが言葉にあわせて演技されても、さして面白くないのは、「今の時間」しか作らないからなんだと。それはまったく音楽的ではない。そこには「時間」が生まれづらい。それに対して身体とか感情とか、思いとか思考とか行動とかはじゃあ、どんなんだ?ということはまた別の細い筋。そして演劇というのはそういう全部をあわせて使えるという意味で、やはりすごい方法論だなと思ったりする。
オペラが佳境になってきた。昨日はオーケストラの練習にも顔を出す。初めての音大。そこの練習室を借りてやってる。のだめの世界だ。どこの教室でも楽器を練習している。ここはピアノ、ここはフルート、ここはチェロ、みたいな感じで。なんだか普通にすごいなあと思う。音楽を練習する学校。不思議だ。ひとつひとつの楽器がひとりひとりの手によって、温められている。ちょっと言い方が思いつかないのだけど、世界はこうして成り立っているのだなあ、と思う。最近、なぜだか経済界の人とか、企業の人とか、政治の人とか、そういう人たちに会うことが多かったのもあるからだけど、あっちはあっちで不思議だなあと思い、こっちはこっちで不思議だなあと思う。で、一方で、この間事務所でYOUPLAYの打ち合わせをおかやんとキヨちゃんとしていて「犬はしっぽがついてたらどうだろう」とか「なんかほらヤマトのコクピットみたいな感じで」とか、それって小学生か、みたいな会話をしていて、実際に小学生の時とあんまり変わっていない自分がいて、会話の内容も変わってなくて、かといって、オペラはオペラで高尚そうだけど実際稽古場は「アヒルの声で」とか「こけてみようか」とか、そんなことを言ってるわけで、そういう全部が全部、たぶん自分自身コントロールするってこととはほど遠い人生を送ってるなあと、うまく全然説明ができないくらい、自分がいままさに、流されてどこかに運ばれている感、満載。
そういえば演劇大学って日本にはないよね?芸術大学じゃなくて。なんでだろ?音楽ほどには重要じゃないってことか?
そういえば演劇大学って日本にはないよね?芸術大学じゃなくて。なんでだろ?音楽ほどには重要じゃないってことか?
矢印事務所に泊。仮眠後、朝食。近所の便利な店で納豆とインスタントの豚汁、そしてレジの隣に陳列されてるメンチカツ。そして炊きたてのご飯。簡易&貧相な朝食だけど、なぜかとてもおいしかった。完璧な朝食とまではいかないけど、口の中が「ああ嬉しいなあ」と言っていた。久しぶりに納豆を食べたからかもしれない。朝日の具合とぴんと張り詰めた寒さのせいかもしれない。ついさっきまで見てた夢のせいかもしれない。ともかく、朝食が満たされると大げさに言えば「希望」が見える。
完璧な朝食、というのは人生の中で何度かある。旅をしたときに多い気がするが(それはハレだからだろう)、もちろん普段の生活でもふと訪れるときはある。今でも思い出すだけで、幸せに包まれるような朝食。おそらくはそこにはなにがしかの卵料理と、できれば美味しいジュースと香りの良いコーヒーがあるだろう。それ以外は、誰とどんなシチュエーションで、そしてできれば雨ではないこと、くらいがその完璧な朝食を成立させる要因になるのではないだろうか。と推測する。
完璧な朝食、というのは人生の中で何度かある。旅をしたときに多い気がするが(それはハレだからだろう)、もちろん普段の生活でもふと訪れるときはある。今でも思い出すだけで、幸せに包まれるような朝食。おそらくはそこにはなにがしかの卵料理と、できれば美味しいジュースと香りの良いコーヒーがあるだろう。それ以外は、誰とどんなシチュエーションで、そしてできれば雨ではないこと、くらいがその完璧な朝食を成立させる要因になるのではないだろうか。と推測する。
短い時間だが東京に移動して国が立てた劇場で西洋人と東洋人が同じ舞台でイタリアで生まれた歌劇を演じているのを休憩はさんで3時間堪能する。ひどい言い方をすれば「オペラなんてインテリ左翼の趣味だ」と言えるかもしれないが、実際に客席を埋めてるのは、普通のおじいちゃんおばあちゃんたちで、もしかしたらなけなしの年金をつかって見に来てるのかもしれない。ストーリーは単純だ。美しいものをただ美しいということの真っ正直さみたなものに僕たちは(その場にいた多くの人たちは)心を動かされた。言い方を変えれば「オペラはインテリ左翼の趣味だけにするのはもったいない」と言える。僕は実際に今はじめてオペラの現場をまかせられて、普通のおじいちゃんおばあちゃんに見て欲しいなあと思っている。僕の普段の演劇の客席におじいちゃんおばあちゃんはほとんどいない。いつかそのおじいちゃんおばあちゃんが別の演劇を(いわゆる先鋭的な現代演劇なんかを)見に来てくれたらなおうれしい。
YOUPLAYのHP用に書いた文章です。http://youplay.jp/about.html
よくなんですかYOUPLAYって?と聞かれるのですが、簡単に言えば、「体にセンサーをつけて10人ひと組で遊ぶインタラクティブゲーム。その中でそれぞれ役があって、それを演じながら遊ぶようになってるんです。情景は音と映像でわかるんですよ。およそ20分間の物語の中に入ってしまう、という感じです」。わかりました?んーやったらすぐわかるんだけど。とにかく舞台上にはあなたがいる演劇です。ぜひやってみてください。絶賛予約受付中。
・・・・・・
YOUPLAY あなたが演じる舞台
魔法のほうきのように
そもそものはじまりは「演劇なんてごっこ遊びの延長なんだ」と思ったときです。
小さい頃、ほうきを使って空を飛ぶ真似をしたり、チャンバラごっこをしたり、先生の物まねをしたり、
それらは全部、演技をすることのはじまりです。
そこにないものを見たり、あたかも世界は変わったように、誰か別の人になってみたり、
それを人はイマジネーションと呼びます。
子供というのはイマジネーションとリアリティの区別が曖昧なのかもしれません。
でも大人になってもたまにそういうことはしますよね。
ささいなことだけど、たとえば、横断歩道の白いところだけを歩いてみたり(まるで崖の上のように)、
新しい服を着たら鏡の前でくるっと回ってみたり(まるでモデルのように)、
見えない銃で撃たれたら死んだふりだってします(探偵ナイトスクープ調べでは大阪人はほとんど死んでくれるそうです)。
僕たちは夢想しながら生きています。大人も子供も。
おそらくそうすることは人間に植え付けられた一つのプログラムなのかもしれません。
そう考えたときに、演劇は俳優だけがやるもんなんじゃないんじゃないか、と思ったのです。
観客が演じる舞台があってもいいじゃないか、と。
それは小さい頃の「ごっこ遊び」の延長です。それを大人であるあなたが真剣にやります。
物語はあなたが演じることで進みます。そこではあなたが(正真正銘)主役であり、
あなたの演じ方で世界は変わります。
なのでタイトルをYOUPLAYとしました。あなたが演じる。あなたが遊ぶ。
演劇のノウハウと21世紀のテクノロジーを使った新しい遊びが【YOUPLAY】です。
どうぞ楽しんで遊んでください。あっと驚くラストが待っていますよ。
よくなんですかYOUPLAYって?と聞かれるのですが、簡単に言えば、「体にセンサーをつけて10人ひと組で遊ぶインタラクティブゲーム。その中でそれぞれ役があって、それを演じながら遊ぶようになってるんです。情景は音と映像でわかるんですよ。およそ20分間の物語の中に入ってしまう、という感じです」。わかりました?んーやったらすぐわかるんだけど。とにかく舞台上にはあなたがいる演劇です。ぜひやってみてください。絶賛予約受付中。
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YOUPLAY あなたが演じる舞台
魔法のほうきのように
そもそものはじまりは「演劇なんてごっこ遊びの延長なんだ」と思ったときです。
小さい頃、ほうきを使って空を飛ぶ真似をしたり、チャンバラごっこをしたり、先生の物まねをしたり、
それらは全部、演技をすることのはじまりです。
そこにないものを見たり、あたかも世界は変わったように、誰か別の人になってみたり、
それを人はイマジネーションと呼びます。
子供というのはイマジネーションとリアリティの区別が曖昧なのかもしれません。
でも大人になってもたまにそういうことはしますよね。
ささいなことだけど、たとえば、横断歩道の白いところだけを歩いてみたり(まるで崖の上のように)、
新しい服を着たら鏡の前でくるっと回ってみたり(まるでモデルのように)、
見えない銃で撃たれたら死んだふりだってします(探偵ナイトスクープ調べでは大阪人はほとんど死んでくれるそうです)。
僕たちは夢想しながら生きています。大人も子供も。
おそらくそうすることは人間に植え付けられた一つのプログラムなのかもしれません。
そう考えたときに、演劇は俳優だけがやるもんなんじゃないんじゃないか、と思ったのです。
観客が演じる舞台があってもいいじゃないか、と。
それは小さい頃の「ごっこ遊び」の延長です。それを大人であるあなたが真剣にやります。
物語はあなたが演じることで進みます。そこではあなたが(正真正銘)主役であり、
あなたの演じ方で世界は変わります。
なのでタイトルをYOUPLAYとしました。あなたが演じる。あなたが遊ぶ。
演劇のノウハウと21世紀のテクノロジーを使った新しい遊びが【YOUPLAY】です。
どうぞ楽しんで遊んでください。あっと驚くラストが待っていますよ。
真夜中に帰宅の途中、近所の一軒家の軒先に、小さい看板を見つけた。看板の一番上には赤い字で「告!」とあり、そのあとにこう続く。「チューリップの苗を根こそぎ持ち帰られた方へ!防犯カメラに映像が捉えられております。如何致しましょうか?」。思わず二度見してしまった。確かにチューリップを根こそぎとっていった奴が悪い!しかし、なんでしょう、このもやもや。なんだか大人げないような気がするのは私だけでしょうか?特に最後の「如何致しましょうか?」という脅しのような文句。「見ているぞ」的な威圧感。事件の中心がチューリップなだけに、恐ろしさとかわいらしさが同時に押し寄せてくる。
人は愛するものを奪われたらこうも変わってしまうのか、て元々の人格は知らないけど、チューリップを大事にしていた人だったんだろう、花を愛する心優しい人が、こうも変わり果ててしまうとは。いや、おそろしいですね。
話は変わるけど、「敵」をつくり、「攻撃」することで自分のアイデンティティを保つ人っていて、そういうのってたぶん、人間の持ってる性質のひとつなんじゃないだろうか、と思うことがある。つまりは僕だって、あなただって、いつだってそういうことをしてしまうんじゃないだろうか。すべてを受け入れるということはそれほど難しいということなんだと思う。ちなみにチューリップの花言葉は「博愛」「思いやり」です。ちゃんちゃん。
人は愛するものを奪われたらこうも変わってしまうのか、て元々の人格は知らないけど、チューリップを大事にしていた人だったんだろう、花を愛する心優しい人が、こうも変わり果ててしまうとは。いや、おそろしいですね。
話は変わるけど、「敵」をつくり、「攻撃」することで自分のアイデンティティを保つ人っていて、そういうのってたぶん、人間の持ってる性質のひとつなんじゃないだろうか、と思うことがある。つまりは僕だって、あなただって、いつだってそういうことをしてしまうんじゃないだろうか。すべてを受け入れるということはそれほど難しいということなんだと思う。ちなみにチューリップの花言葉は「博愛」「思いやり」です。ちゃんちゃん。
この数週間は隙間をぬって舞台を見まくった。小野寺さんの「カルメン」、開次さんの「ポリグラフ」、伏兵コードに地点にトープレ、そんで「百万回生きた猫」。演劇じゃないけどリアル脱出ゲームも。ここまでいくと、桃園会に行けなかったことが悔やまれる。見ようと思ったら毎日舞台はどこかでやっている(たぶん)。しかし関西だけでもこれだけの舞台があって、どれも純粋に楽しめたし、おそらく誰が見ても「そこそこ面白い」と感じただろうし、家でYOUTUBEを見てるよりかは(お金はかかるけど)有意義な時間が過ごせたはずだ。実際のところ頭をがつんとされる舞台が2本はあった。しかしこのことはほとんどの人が知らない。誰も知らない世界、と言ってもいい。動員数とか観劇人口、とか、そういうことを問題にしたいわけではなく、一演劇ファンとして「もったいない」と思う。面白い舞台がただ生まれて消えていくことに。とは言っても生まれては消えていく美学みたいなものもあって、それはつまり本当は消えていないのだ。消えないでどこに残ってるのか?さあ?でも確実に公演が終わったからと言ってその作品が消えるかというと、それは自分の体験からしても、そうではない。
と同時に、東京中心のメディアや批評のあり方にちょっと最近いらっとすることが多いので、ニューとまるとか、がんばって欲しい。そういえば関西圏の舞台情報をTwitterとかで流してるYさんにこの間はじめて会った(地点のロビーで。ロビーは劇場の重要な場所のひとつだね!)。ああいう草の根的なメディア(マスではないけど、とても重要)をどうやって支えるのかも真剣に考えたいところだ。少なくともみんなでそういう人たちを集めて胴上げくらいはするべきだと思う。
と同時に、東京中心のメディアや批評のあり方にちょっと最近いらっとすることが多いので、ニューとまるとか、がんばって欲しい。そういえば関西圏の舞台情報をTwitterとかで流してるYさんにこの間はじめて会った(地点のロビーで。ロビーは劇場の重要な場所のひとつだね!)。ああいう草の根的なメディア(マスではないけど、とても重要)をどうやって支えるのかも真剣に考えたいところだ。少なくともみんなでそういう人たちを集めて胴上げくらいはするべきだと思う。
林檎携帯のスリープボタンが壊れて、スリープしないようになった。ひげをそったら唇を切った。体重は減った増えた。ひとつクリアするとまたひとつ問題がうまれる。同じようにひとつ仕事をすると、ひとつ仕事が増える。ねずみが丸い輪っかを一生懸命こいでる絵を小さい頃見て、こんな人生だけはイヤだなと思ったものだが、案外そんな気分になるときもある。少しだけ止まりたいけど止まると眠ってしまうので走り続ける。スリープボタンが壊れてるのだ。という暗い文章を書いてるうちに明るい文章も書きたくなるもので、具体的に何とは言えないけど、明るいこともあった。思うのだけど夜中の星に似て、明るさというのは大きな暗さの中でほんのわずか輝いてる程度のことなのかもしれない。もちろん星がない夜だってある。(誤解のないように注釈するけど、このブログは何日も前に書いてるものを後出しじゃんけん的にアップしてるのでこの文章を書いたときの気持ちはもうすでに今の僕はわからないので、今の僕は全然暗くないです)
3月にするオペラ「愛の妙薬」のfacebookページができました。そこに書いた文章を転載します。ぜひ見て欲しいです。オペラを普段見ない人には特に!https://www.facebook.com/liricaitaliana
オペラは本当に退屈なのか?
オペラの演出ははじめてです。憧れでした。演出家を生業にしている以上、いつかはオペラとオリンピックの開会式はしたいと思っていましたが、とりあえず前者はこれでクリアです。
もちろん、オペラの魅力というのは優れた音楽性と普遍的な物語の融合にあります。総合芸術と言われるゆえんです。またミュージカルとの違いの一つに、歌手の声をマイクで拡声させないことがあります(基本的には)。もちろんオーケストラも生です。楽器に負けない声のボリュームとコントロール、という点において、オペラ歌手というのはちょっと常人ではない素質を持っているのです。つまりは究極のライブパフォーマンスということになります。
しかしそんなことはさしおいて、オペラは退屈だとも思われています。まずほとんどのオペラは、オペラ初心者に優しくない、と思います。その歴史、その文脈、流れについてわかてって当然でしょ、という態度なのかもしれません。また全編、外国語上演が当たり前です。日本語は字幕で見るしかありません。字幕を見てる間に物語はどんどん進んでいき、集中が途切れます。音楽もいわゆるポップスではありません、耳なじみない昔の音楽です。人によっては古く感じるかもしれません。
僕は今回、どうしたらオペラをはじめて見る人でも楽しんでもらえるのか、ということを考えています。オペラの良さを捨てずに、かつどうしたら新しいものとして生まれ変わらせることができるのか。僕ごときにそんなたいそれたことができるのかはわかりません。でも、想像以上に二期会のメンバーもそのことを真剣に考えてくれています。そのために舞台美術や字幕の出し方、オーケストラの配置、人物描写、歌手の身体性、世界観の提示というものに僕なりにメスをいれて挑んでいます。
そして今実感してるのは、そういうイノベーションに対して、オペラというのはとても懐の広い、柔軟性のあるものだということです。同時に、ちょっとやそっとじゃ型崩れしない強固さを持っています。伝統芸術というのはそういう意味では若者(チャレンジ)に対して、優しい、ものなのかもしれません。
オペラは本当に退屈なのか?
ぜひご覧になってその答えをお確かめ下さい。お待ちしております。
ウォーリー木下(演出)
・・・・
・・・・・・
関西二期会 リリカイタリアーナvol.1「愛の妙薬」
指揮◆金 正奉 演出◆ウォーリー木下
スーパーバイザー◆デニア・マッツォーラ・ガヴァッツェーニ
◆Cast
3/9(土)/3/10(日)
アディーナ:佐竹しのぶ/三村浩美
ネモリーノ:藤田大輔/越野保宏
ベルコーレ:黒田まさき/坂上洋一
ドゥルカマーラ:萩原 次己/大西信太郎
ジャンネッタ:山田千尋/中野綾
STAGEA演奏:芦谷真由美
合 唱:関西二期会アンサンブル
管弦楽:ハイブリッド・オーケスト
☆日時:3/9(土)16時 10日(日)15時(上演時間約2時間)
☆場所:大阪国際交流センター大ホール
☆入場料:5000円
☆チケットのご予約はこちら→
http://ticket.corich.jp/apply/43615/001/
オペラは本当に退屈なのか?
オペラの演出ははじめてです。憧れでした。演出家を生業にしている以上、いつかはオペラとオリンピックの開会式はしたいと思っていましたが、とりあえず前者はこれでクリアです。
もちろん、オペラの魅力というのは優れた音楽性と普遍的な物語の融合にあります。総合芸術と言われるゆえんです。またミュージカルとの違いの一つに、歌手の声をマイクで拡声させないことがあります(基本的には)。もちろんオーケストラも生です。楽器に負けない声のボリュームとコントロール、という点において、オペラ歌手というのはちょっと常人ではない素質を持っているのです。つまりは究極のライブパフォーマンスということになります。
しかしそんなことはさしおいて、オペラは退屈だとも思われています。まずほとんどのオペラは、オペラ初心者に優しくない、と思います。その歴史、その文脈、流れについてわかてって当然でしょ、という態度なのかもしれません。また全編、外国語上演が当たり前です。日本語は字幕で見るしかありません。字幕を見てる間に物語はどんどん進んでいき、集中が途切れます。音楽もいわゆるポップスではありません、耳なじみない昔の音楽です。人によっては古く感じるかもしれません。
僕は今回、どうしたらオペラをはじめて見る人でも楽しんでもらえるのか、ということを考えています。オペラの良さを捨てずに、かつどうしたら新しいものとして生まれ変わらせることができるのか。僕ごときにそんなたいそれたことができるのかはわかりません。でも、想像以上に二期会のメンバーもそのことを真剣に考えてくれています。そのために舞台美術や字幕の出し方、オーケストラの配置、人物描写、歌手の身体性、世界観の提示というものに僕なりにメスをいれて挑んでいます。
そして今実感してるのは、そういうイノベーションに対して、オペラというのはとても懐の広い、柔軟性のあるものだということです。同時に、ちょっとやそっとじゃ型崩れしない強固さを持っています。伝統芸術というのはそういう意味では若者(チャレンジ)に対して、優しい、ものなのかもしれません。
オペラは本当に退屈なのか?
ぜひご覧になってその答えをお確かめ下さい。お待ちしております。
ウォーリー木下(演出)
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関西二期会 リリカイタリアーナvol.1「愛の妙薬」
指揮◆金 正奉 演出◆ウォーリー木下
スーパーバイザー◆デニア・マッツォーラ・ガヴァッツェーニ
◆Cast
3/9(土)/3/10(日)
アディーナ:佐竹しのぶ/三村浩美
ネモリーノ:藤田大輔/越野保宏
ベルコーレ:黒田まさき/坂上洋一
ドゥルカマーラ:萩原 次己/大西信太郎
ジャンネッタ:山田千尋/中野綾
STAGEA演奏:芦谷真由美
合 唱:関西二期会アンサンブル
管弦楽:ハイブリッド・オーケスト
☆日時:3/9(土)16時 10日(日)15時(上演時間約2時間)
☆場所:大阪国際交流センター大ホール
☆入場料:5000円
☆チケットのご予約はこちら→
http://ticket.corich.jp/apply/43615/001/
最近本の衝動買いが止まらない。目的の本があって本屋にはいるわけではないのに、入ってわずか数分で何かを買ってる。そういう抗えない衝動、まるで突然やってくる性欲、たとえが下品で申し訳ないが、それを抑えるために風俗に行くみたいなものかもしれない。時たま、何年かに一度そういうことがある。普段は本は買わないで、公立の税金で買われた書籍を一時的にレンタルして済ませてしまうタイプなのだけど、こういうときはそうもいかない。本屋を見つけたらとにかく入る。そしてぐるっと一周してるうちに、ひどいときは三冊くらい手に持ってる。もちろんそんなに一遍に読めないので、部屋には順番待ちの本が積まれていく。なんだか自分も本もかわいそうになる。まるで体だけが目的の・・もうそういうたとえはやめましょう。とにかく、本を読む至福については語り出したらきりがない。でも昔に比べると分厚い小説、上中下巻にわたってるものとかに手が出せなくなってる。人生のもったいないのひとつだ。新訳のピンチョンとか、ああ、抱きたい。
先日、港の方の会議室で、演劇の会議があったのだけど(演劇の会議であって、会議の演劇ではない)、その中である大学の先生から「資本主義社会で演劇をやること」という言葉が出て、なんだかどきっとした。どういう文脈で出てきたかというと、諸外国(この場合は中国の話をしていた)は日本で公演をうったり、共同製作をすることにとても興味を持っているが、そこにはジャパンマネーをあてにしてる節もある。しかし実際には日本の受入先に潤沢なお金があるわけがない。彼らはわかっていない。資本主義社会で演劇をやることが(いかに大変なことなのか)。ということなんだけど、まあ、わかる。でも、僕たちは資本主義社会で演劇をやってることを忘れがちでもある。ひとつには経済システム(簡単に言えば「正当な報酬」)に自分たちの活動が組み込まれている感覚がほとんどない。これはもしかしたら平田オリザがいう「やりがいの搾取」なのかもしれない。もうひとつは多くの人は演劇と仕事は別にしているから。それから助成金システム。などなど、これはあんまり深入りしたい話題ではないので(なぜならそんな時間は今ない)、ここらでやめるけど、とにかく、良く悪くも、ここは資本主義社会で、そして決してバブルではないということだ。GDPが3位だろうがなんだろうが、演劇にふってわいてくるお金は(少なくとも大阪では)それほど多くはない。タニマチの存在もきかないし、観客も裕福でもない(でも彼らは薄い財布を工夫して演劇を見ている。そんな彼らに僕らはどうやって答えていくのか)。そんな場所でどうやって面白い作品をつくったり、もしくは海外とやりとりしたり、そういうことでの賢い方法を見つけるのか。純粋なだけでは演劇はできない。だからといってビジネス感だけで芝居も作れない。ああ、事業費が湯水のごとくある劇場が欲しいなーと季節外れのサンタクロースに願ってみる。
YOUPLAY vol.0「スペースレンジャーの不思議な惑星」の予約が今日から始まりました。http://youplay.jp/index.html
このことも書きたいことはたくさんありますが、オペラ日記も書きたいし、どうでもいい日々の雑念も、自由な文章を書きたいのですが、そういう時間が横に押しやられていきます。よくないなあとは思ってるのですが。人にはたくさん会ってますね。芝居も映画も読書もしてます。でも今日はとにかくYOUPLAYのページを見てみてください。お友達お誘いあわせでもおひとりさまでも、体験できます。
このことも書きたいことはたくさんありますが、オペラ日記も書きたいし、どうでもいい日々の雑念も、自由な文章を書きたいのですが、そういう時間が横に押しやられていきます。よくないなあとは思ってるのですが。人にはたくさん会ってますね。芝居も映画も読書もしてます。でも今日はとにかくYOUPLAYのページを見てみてください。お友達お誘いあわせでもおひとりさまでも、体験できます。