INTHEHOUSEでやるべきことが徐々に積まれてきたのだけど、一向にやる気が起きないので、気分転換、もしくは逃避のために文章を書いている。掃除をし始めたら昔のアルバムをめくり出すのと同じ原理。アルバム的に、いっそこの機会に過去作を振り返ってみようと思っている(神様のくれたモラトリアムな時間)。(そういえば今ってアルバムってあるのかな?あのプリント写真の時代!)
稽古して本番やってるときは、当たり前だけどその作品に100%心身を預けているので、生活のほぼすべてがその作品の創作過程として存在するのだけど、千秋楽を迎えた瞬間に、なにがどうやって作ったのか、どういう気持ちだったのか、さっぱりなくなってしまう。びっくりする。
だから一生懸命思い出して書くのは大変なので、自分の演出作品を題材にして、なにか今思うことを書いてみるだけになる。
順不同で書けそうなものから書いてみようと思う。
で、今日は「スケリグ」。これは、今再演の準備をしていて、とってもタイムリーだからだ。
「スケリグ」は、去年、2019年の12月〜1月に稽古があった。2018年の年末に「ハイキュー!!最強の場所」、その直後だったことは自分にとって大きい。というのも演劇ハイキューのシリーズものとして一旦の区切り、ある意味大団円、3年間の集大成をつくろうとしていた。とても力の入った作品になった。おかげで疲労困憊、終わった後はへとへと。フルマラソン走り終わったようだ。
そのあとに控えていた「スケリグ」は自然と肩の力の抜けた、深呼吸をしたあとのようなささやかな作品にしようと思っていた。もしくは走り方を試すように、持久走というよりかは短距離走的に、自分の新しいフォームを探すような作品になるだろうと確信していた。実際にそうなったかどうかは覚えていないのだけど、稽古場の場所とその空間のおかげで、まるっきり今までとは違う作り方ができた。
そう、稽古場によって作品って随分と変わるって話。
「スケリグ」に関して言うと、その稽古場はまるで秘密基地のようで、キャスト、演出部、スタッフと色々な実験を繰り返して、それをこつこつと積み上げていくような時間になった。誰も来ない山の中に小屋をつくって、そこに好きなおもちゃやお菓子や持ち込み、子どもたちだけで、その世界を創り上げるような、そんなやり方になったし、それが「スケリグ」の演劇世界にはあっていたと思う。
駅から少し遠い稽古場の立地や、地下に降りていく造りや、セットを立て込むとまるっきり美術だけでできている空間になることや、そこに照明や映像なんかも持ち込んでわいわい作るあの時間は、実際に子どもに戻ったような感覚になった。とくに音楽を生演奏ですることで、みんなでいろんな楽器をもちこんで、演奏したり、声を出したりしたことも、「スケリグ」がアナログな力で立ち上がっていくことに大きく貢献したと思う。
大きな稽古場や、窓のある稽古場、都心の稽古場、倉庫のような稽古場、いろいろな稽古場に毎回行くけど、好き好きはもちろんあるが、そこに作品が少なからず影響を受けることはある。だから作品のことを思い出すときに、まず最初に稽古場のこと、雰囲気、温度などを思い出す。ああ、稽古場に行きたいね、はやく。
稽古して本番やってるときは、当たり前だけどその作品に100%心身を預けているので、生活のほぼすべてがその作品の創作過程として存在するのだけど、千秋楽を迎えた瞬間に、なにがどうやって作ったのか、どういう気持ちだったのか、さっぱりなくなってしまう。びっくりする。
だから一生懸命思い出して書くのは大変なので、自分の演出作品を題材にして、なにか今思うことを書いてみるだけになる。
順不同で書けそうなものから書いてみようと思う。
で、今日は「スケリグ」。これは、今再演の準備をしていて、とってもタイムリーだからだ。
「スケリグ」は、去年、2019年の12月〜1月に稽古があった。2018年の年末に「ハイキュー!!最強の場所」、その直後だったことは自分にとって大きい。というのも演劇ハイキューのシリーズものとして一旦の区切り、ある意味大団円、3年間の集大成をつくろうとしていた。とても力の入った作品になった。おかげで疲労困憊、終わった後はへとへと。フルマラソン走り終わったようだ。
そのあとに控えていた「スケリグ」は自然と肩の力の抜けた、深呼吸をしたあとのようなささやかな作品にしようと思っていた。もしくは走り方を試すように、持久走というよりかは短距離走的に、自分の新しいフォームを探すような作品になるだろうと確信していた。実際にそうなったかどうかは覚えていないのだけど、稽古場の場所とその空間のおかげで、まるっきり今までとは違う作り方ができた。
そう、稽古場によって作品って随分と変わるって話。
「スケリグ」に関して言うと、その稽古場はまるで秘密基地のようで、キャスト、演出部、スタッフと色々な実験を繰り返して、それをこつこつと積み上げていくような時間になった。誰も来ない山の中に小屋をつくって、そこに好きなおもちゃやお菓子や持ち込み、子どもたちだけで、その世界を創り上げるような、そんなやり方になったし、それが「スケリグ」の演劇世界にはあっていたと思う。
駅から少し遠い稽古場の立地や、地下に降りていく造りや、セットを立て込むとまるっきり美術だけでできている空間になることや、そこに照明や映像なんかも持ち込んでわいわい作るあの時間は、実際に子どもに戻ったような感覚になった。とくに音楽を生演奏ですることで、みんなでいろんな楽器をもちこんで、演奏したり、声を出したりしたことも、「スケリグ」がアナログな力で立ち上がっていくことに大きく貢献したと思う。
大きな稽古場や、窓のある稽古場、都心の稽古場、倉庫のような稽古場、いろいろな稽古場に毎回行くけど、好き好きはもちろんあるが、そこに作品が少なからず影響を受けることはある。だから作品のことを思い出すときに、まず最初に稽古場のこと、雰囲気、温度などを思い出す。ああ、稽古場に行きたいね、はやく。
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