今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下のつれづれなるままのもろもろ。

悪夢の続き

2013-01-29 | Weblog
夢の続き。しばしば見る夢というのが人それぞれあると思うけど、僕にとってのレパートリーのひとつが「飛行機に間に合わない夢」だ。毎回シチュエーションはちょっとづつ異なる。空港に向かうモノレールでパスポートがないことに気づく、どう考えても間に合わない電車に乗ってる、誰かと待ち合わせしてるのに自分しかそこにいない、などなど。共通してるのは、夜間飛行のフライトだということだけ。先日見たバージョンは、兄を背負って空港まで走ってる。途中、踏切などにつかまる。おそらく間に合わない。かばんには薬もいれ忘れてることに気づく。焦る。どうしてこんな目に遭ってまで海外に行かなくてはいけないのか。(そう、だいたい行き先はニューヨークとか、カンボジアとか、自分が今まで行ったことある場所だ)
ちなみに人生で実際に飛行機に間に合わなかったことが一度だけあって、それはわりと最近で去年の6月、ロンドンのスタンステッド空港で、異常なまでの荷物検査の行列に巻き込まれ、ゲートまでたどり着いたのに目の前で離陸された。悪夢だった。このまま空港内に住んでやろうかと思ったが、その日のうちにスロベニアに戻らないと、日本への帰国もできない(翌日朝にスロベニアからの帰国便がでる)。唯一の方法がヴェネチアまでとりあえず飛んで、そっから自力でスロベニアまで戻る方法だ。しかしそのためにはロンドンの別の空港、ガドウィックまで1時間半でいかないといけない。100キロも離れてる。急いで電車にとびのり、なんとかぎりぎり到着、しかし今度はチェックインにすごい行列。さすがに叫んだね。「助けてください!間に合わないんですよ!ファック!」。なんかの映画のようだったが、それほどかっこいいものではない。
夢であれ現実であれ、飛行機に乗れないのは本当にきつい。御堂筋線を一本逃すのとはわけがちがう。夢占い的には「あなたは人生で間に合わないことが多いが、それもあなたの人生、受け入れなさい」という意味らしい、というのはウソ。誰か本当のこと教えて。

幽霊たち

2013-01-25 | Weblog
事務所泊することがたまにあるのだけど、ベッドがあるわけではなくソファで毛布にくるまって寝るだけだ。だいたい変な夢を見る。先日はどこかの宿に泊まっている夢で、その部屋には幽霊が出る。勝手にふすまがひらき、窓ガラスに人がうつる、寝てもすぐに金縛りにあう。大枠では夢らしい夢だが、細かいディティールがリアルだったものだから、起きてからも現実のことのように思えて仕方ない。もちろん寝てるときも夢だとは思っていない。幽霊に対する恐怖、恐れ、はもちろんあって、特にその夢の中の幽霊は、なにも語らずにただ存在していたことが怖かった。思い出すだけでも怖い。実際に幽霊を見た経験も何度かある。幽霊を見る、というのは、その瞬間には理解できていないもので、あとあとになって、鳥肌が立ってくる。なのでこの夢みたいに幽霊をじっくりと観察したのははじめてだ。じっくり観察しても、幽霊は何も語りかけてはこない。おそらくそのことが一番怖かったのだと思う。今思えば夢の中なのだから、話しかけてみてもよかったかもしれない。幽霊ものじゃないけど、Pオースターの「幽霊たち」はいつか舞台化したいと思ってる。

バナナとリンゴ

2013-01-24 | Weblog
オペラ「愛の妙薬」を演出するにあたって「なぜ人は歌うんだろう」ということを考えてる。そもそも人はいつ歌い出したんだろう。類人猿が、石を叩いて喜びを伝えたように、声を出して何かを伝えたかったのだろうか。言葉もない時代、言葉のない思いだけがあって、でも抑えきれない気持ちはあって、人は歌を発見したのだろうか。言葉なんかおぼえるんじゃなかった。は園子温の「恋の罪」にも出てくる田村隆一の詩だけど、そういうことなのだろうか。でも今は言葉を歌に載せて、その言葉の意味が歌になる。園子温的にはそこにオペラ歌手の体をしっかりいれていかないと、本当にただのオペラになっちゃうんだろうな、と思ったり、ぐるぐる。バナナ。
そして当たり前のごとく僕は演劇をずっとやってきてて、以下のような疑問をずっと抱えてる。「なぜ人は演技をするのだろう」。そしてこの疑問をひとつのエンタテインメントにしたのがYOUPLAYで。つまり「愛の妙薬」とYOUPLAYは僕にとってわりと双子のような存在になりそうです。
と言ってる中で高槻の呼吸ら。が同じ時期に京都で試演会にでます。これは何かというと「俳優とは何か」ということを1年間考え続けてる成果過程になれば、と。うーん、そんなに難しいことを考えてるわけではないのですが、こうやって文章にすると固いな。リンゴ。
(語尾にバナナとリンゴをつけたのは柔らかくするため)

遠い国の声

2013-01-23 | Weblog
facebookで見知らぬ美人から友達申請があるんですけど、どうしたらいいんだろ。それはさておき、ここ数日のことを記憶のシャッフル機能で自動筆記的に書いてみる。カーソルの新年会でみやこさん御用達の料亭から配達されるうどんすき。これが絶品で、とくに出汁がうまい。大阪に生まれたからには一度は食べて欲しい一品だ(大阪で生まれてないけど)。他にも京橋の中華料理とか福井土産のそばとか、ダイエットがかすみかける。観劇初めは自分のグルリルをどかせば、赤坂でやってた韓国ミュージカル。その次がダンスボックスのダンス留学生によるダンスショーケース。次にdracomのギャラリー。頭が別のことで回転してるときに見る舞台は、自分の頭の回転数と少しだけあうときがあって、もしくはゆっくりと頭の回転のスピードを落としてくれて、そういう瞬間とかに色々ひらめく。ひらめきのない舞台は、そういう意味においては、こういう時期はしんどい。どれも回転がぴったりあう瞬間があってよかった(韓国ミュージカルに関しては字幕問題は永遠の課題)。それから遠い国の声を聴く。

3月までは生きる

2013-01-22 | Weblog
余力、が欲しい。もしくは念力が。てんてこまい。そういえば仲良かった振付家の人がてんてこ舞いをよく踊ってくれてた。閑話休題。忙しいというか、仕事ばっかりしてる訳じゃないけど、あれを見に行ったり、これを探したり、あの人に会ったり、目が回る。そんな中、まずはYOUPLAYがようやく発表されましたね。→http://www.hephall.com/23692/思い起こせば2年前。役者のいない舞台、観客だけでやる演劇を作ろうと、思った。それを星川さんがおもしろがってくれて、それから試行錯誤。長い道のりでした。まだ道は見えてないんですが、強力なスタッフ陣がついてるので光は照らされている。関西二期会のオペラも稽古ががっつりはじまった。これは観客だけでやるオペラではなく、本物のオペラ歌手がやるイタリアのオペラで、長い長い歴史の上にある芸能。なんせ今回の「愛の妙薬」は初演が1832年のミラノですからね。風雪に耐えながら、ここまでやってきたわけです。その片隅に僕がこうして乗っかれることは本当にうれしい。どちらもまだ自分のほっぺたをつねってる状態ですが、痛みを感じながらやり遂げるしかない。3月の僕はそんなわけでわりと面白いですのでぜひ大阪に遊びに来てください。3月までは生きる、と念力。

どこかの街グルリルも故郷にいれよう

2013-01-21 | Weblog
グルリルの千秋楽が終わって外を見ると同じ景色があってびっくりした。間違ってグルリルに入ってしまったのかと不思議がる。2時間近く大量の雪を降らした芝居の次の日に東京で大量の雪が降るとは思ってもみなかった。滞在中はホテルで仕事、それから人に会う、を繰り返し、ホテルも3回変わったので雪の中ごろごろかばんを転がしてると、7年前の雪で同じくかばんをごろごろした東欧を思い出し頭がごろごろする。多摩、橋本、新宿、渋谷、六本木、大塚、田町、表参道、と自分の歩いた雪のあとを空から見下ろしたらふらふらさまよってるとしか思えない。僕は小六まで東京の西側に住んでいて、それから福井に引っ越して、そのあと神戸大阪と、数えてみたら人生で10箇所くらいは引っ越しをしているわけで、その軌跡もまたふらふらしている。良い風に言えば故郷というのがたくさんある。沖縄、リュビュアナ、チュンチョンも故郷にいれれば、自分のローカル性というものがわけわからなくなるけどそういうわけのわからなさが居心地よい。それで言えばどこかの街グルリルも故郷にいれよう。

また新しい遊びを

2013-01-15 | Weblog
のぞみ始発で新しい大阪から新しい横浜まで。神奈川から東京へ入り、多摩。グルリルの仕込みは順調に。骨組だけの世界ができる。そしていつの間にか本番2回。大阪公演からだいぶ変えた。正直言えば、戯曲を書く行為と、演出をする行為の間に乖離があったような気がしたのだ。その乖離はどこにあったのか、それをずっと考えていた。確信的に答えは得られなかったけど、少しは近づけたと思う。100%自分が何をしようとしているのか把握して演劇をつくるのは難しい。もしかしたらそういうことが易々とできる人もいるのかもしれないけど、僕にとって演劇をやる意味はそこにはない。よくわからないものを、なるべくかみくだいて「平易な形で」舞台にしたいと思っている。でもそれ自体が結局なにを言いたいのかは、やってる僕にも本当のところよくわかっていない。だからたくさんの人の答えを聞きたいし、そのことで自分自身がたくさん発見できるようなものを作りたいと思っている。sundayとして「サンプリングデイ」からやってきた一連のパズルのような作品は、いったんこれで終わりにしようと思っている。また新しい遊びを僕は見つける。そのためのsundayはいつかまた戻ってきます。たぶん2014年かな。何にせよ、東京で5年ぶり、パル多摩は10年ぶりにやれて、本当によかった。感謝の気持ちで一杯です。みなさんありがとうございました。

途中の話

2013-01-10 | Weblog
東京に向かう始発の前の時間。考えることが多すぎるけどとりあえず準備をする。部屋を片付ける。ちょっとした旅。少しだけわくわくする。今朝は遅刻えびす。案の定。かわいい福娘から俵と札と小判を買う。買う福。ドラを触ってあっさり梅田へ。ランチミーティング。女子たちで賑わうカフェで男3人。未来の話。そのあと事務所で近未来の話。チラシができつつある。近い過去からここまで来た。今はまだ途中。て書いた瞬間トクマルシューゴが「いつまでも途中のままだ」と歌う。グルリルも「途中」の話。「途中」という状態に昔から憧れがある。その言葉の響きも好き。言葉の中に揺れ動きがある。夜は招待されて高槻にベートーベンの7番を聞きに行く。音が200年前から流れてきたみたいだった。ずっと考え事をしながら聴いてたけど、それはとてもよい体験だった。明日からの東京、sunday、5年ぶりの公演に向け、新しい血が入ってきた。大フィルに感謝。さあ、生きよう。そしてすごい演劇を見せたい。見て欲しい。ぜひ来てください!当日券もあります!http://sunday-go.jp/gururil/top.html#gotop

雑念・雑文

2013-01-09 | Weblog
明日早いのに眠れない。正月からの雑念・雑文。

・実家に帰ったとき。父親に届いた年賀状を横から眺めてると、どれも達筆で、そういえば昔から大人といえば字がうまいという印象があるが、果たしていつになったらああいうすらすらとした筆で僕は字が書けるようになるのだろうか。今だに中学生男子的文字しか書けない。
・今年はへび年。ヘビの絵がちまたや年賀状にあふれていて、それはそれで気持ち悪い。そういう風習を知らない人が見たら、びっくりするんじゃないだろうか。へび祭りでも始まったのかと。
・たくさんの人に助けられてる。多くの出会いが今の自分を作っている。それらは事実で当たり前に感謝するけど、誰の手も借りないで、自立して自分だけでやっていくことの意志というか、目的というか、道をしっかりと作らないといけないな、とも思う。
・計るだけダイエットを改めてスタートする。
・なんか新年特有のナーバスさがおそってくる。理由はわかってる。新年のせいではない。
・昨日グルリルのことを書いて思い出したのが、金融学者のナシム・ニコラス・タレブの言葉。「何より大事なのは偶然性を受け入れること.世界は不透明であり、人はそのほとんどを理解しえない。コインを40回投げた。すべて表だった。次に表が出る確率は?統計学の学生は2分の1だというが、実世界をたよりに生きる人はこのコイントスはいかさまだと言う。」
・答えの見つからない問題がいくつかある。明日になれば見つかるだろうか。
・新しいブーツとダウンを買って幸せ。年に一度くらい物欲でのストレス解消。

グルリルについて

2013-01-08 | Weblog
グルリルについて。東京公演の直前。演出の木下です。今回の作品について、少し書きます。もちろん見て感じてもらって欲しいので、ふわっとしたことしか書けませんが、この戯曲を書いてる最中に実際に起こった不思議なことがいくつか書きます。
まず稽古初日にTwitterを書きました。9月7日。「そして顔合わせ飲み会、スタッフさんもたくさん!!」と。これは僕が自分の携帯から送ったのだけど、そこには画像が添付されていた。見たことのない写真だ。砂の上に一冊の本。外国の小説。CHAPTER 1の文字が読める。それがこれ→https://twitter.com/sunday_GO/status/244429964286517249/photo/1
まったく身に覚えのない写真。携帯の画像フォルダを探してもどこにも見つからない。気持ち悪い。これは僕が探してるグルリルなのか?いまだに謎。
二つ目、今回は「近未来グルリル」という小説を元にしている。しかしその小説はどこにあるのかわからない。失われた小説だ。わかってるのは、19世紀のヨーロッパの作家が20世紀を舞台にして書いた近未来SFだってことくらい。
で、僕はその時代のSFもいくつかモチーフにしようと思い、ひさしぶりに小学生の頃に呼んだ本を開いた。たとえばジュールヴェルヌの「月世界旅行」とか、H/Gウェルズの「タイムマシン」、ジョージ・オーウェルの「1984」などなど。そしてジュール・ヴェルヌについて調べてみたら、驚くことに彼が19世紀に書いた小説(しかし未発表)が1992年に発見・刊行されてたという。知らなかった。そしてそのタイトルは「二十世紀のパリ」だった。つまり「近未来パリ」。あまりにもグルリルと設定が似ている。僕はすぐに本を手に入れ、目次を開いた。すると今度はそこに「グルネル港」の文字が。一文字違い。そして「グルリル」には「グルリル港」というのが出てくる。
それをただの偶然の一致と名付けるかどうかはわからない。とにかく奇妙な出来事だ。

グルリルの本自体、そういう奇妙な出来事を描いてる。偶然の一致とか、デジャブとか、出会いの確率とか、そういうもの。つまりは、そういう「SFとしての物語」は、いつも自分たちの周りでも起こっているということ。あまりにも巨大すぎて見えないか、もしくは些細すぎて気づかないか、のどちらかだ。しかし、時たま、等身大の大きさで目の前に現れる。そのとき、僕と僕らは、自分たちの世界が思ってもいないルールでできていることを少しだけ知覚する。それがなにか生活の役に立ったりはしないかもしれないけど。そもそも演劇なんてそういうものだし。と思ったりもする。


sunday「グルリル」東京公演

2013-01-06 | Weblog
sunday play#5「グルリル」東京公演に向けてさっそく2013初稽古。いろんなバージョンの通しを2回して、まだまだ可能性を探っています。大阪公演とはまたずいぶんと違った感触のものになりそうです。すっきりしてて、それでいて濃厚なグルリル。まだチケットはありますので急いでご予約ください~。

https://ticket.corich.jp/apply/40483/002/

会場/パルテノン多摩 小ホール
日時/2013年1月11日(金)~12日(土)
   1月11日(金)19:00
   1月12日(土)14:00
料金/全席指定
   一般3500円 友の会3000円 学生2000円

あなたの知らない世界

2013-01-03 | Weblog
実家の福井県越前市、僕にとっては武生市で、年越しを過ごす。越前そばをすすり、紅白歌合戦を見て、贅沢に日本酒とふぐを食べる。一晩でテレビを1年分見る。ジルベスターの「威風堂々」でカウントダウン、新年ぴったしに曲が終わってびっくりした。あけましておめでとうございますは、独り言から始まりそのあとにインターネットの顔の友達にビットのメッセージ。ベストヒットUSAから朝まで生テレビ。薄くなった箱の中身は10年前となにも変わっていないような気がする。テレビとか、車とか、インターネットとか、それの世界にどっぷりつかってる人たちは、その世界の常識とか物語とか歴史について(当たり前だけど)詳しい。しかしそれを知らない人にとっては、どうでもいいことになる。もしくは想像の範疇を超える。お酒とか小説とか演劇とか、最先端のファッションとか、田舎暮らしとか。知らない世界と呼ばれるものが多様化していて、その中で常識と習慣と革命が次々と起こっている。それらを包括的に知り得る必要はあるのだろうか。もしくは知らなくてもどうでもいいのだろうか。
僕も昔は車に乗ってた時代があり、テレビばっかり見てた時代があって、で、ひさしぶりに実家でそんな世界に少しだけお邪魔すると、うーん、そういう「あなたの知らない世界」にきちんと共感しながら歩み寄って、そこで一緒に遊べる新しいことを考えたいなあと思う。新年の抱負というわけではないけど。