東京でPLAY PARKに出てくれる篠井さんと土田さんとお話しする。フェスをはじめたおかげで、先輩と話すことが増え、それだけでも役得だと思う。10年近くやってきて、ここまできた。オリテン、9年目?10年目?継続は力というか、継続させることだけで、ここまできた。そろそろ新しいことも始めたいね。そろそろスロベニアのことも発表します。それと、小説をきちんと書きたいな。ほんと、これだけは継続してない。自分を囲い込まないとね。大阪では箱庭円舞曲の人たちとお話しする。横山くんが新しいことを始めてる。伊藤くんと杉山さんとも話す。京都の沖縄の店。今年の6月から1年かけたプロジェクトをご一緒する。これも楽しみだ。明日はギアのロングランの初日だ。ギアも3年目。涙なくしては語れないことも多い。よくここまできたなー。明日はエイプリールフールだけど、これは嘘じゃない。
余裕ない中にも出会いがあり別れがあり、僕は元気です。できるならひとつひとつの出来事を朝まで語り明かしたいのだけど人生は思ってよりも長くない。ライフイズベリーショート。ビートルズ。アイアムウェイティングフォーザマンの東京公演に滑り込み、旧知のスタッフと場当たりすることの心地よさ。わかってくれてる、と思えることは演出家にとっては何ものにも代え難い。もちろんそこに安穏としてると、成長はないから、わからんわーと言われるくらいでちょうど良いのかもしれない。そのあたりのバランスや懐疑心や挑戦欲は、どの仕事にも必要なのではないだろうか。他人の力を借りてしか為しえない創作をしているわけで、だからこそ他人の力を過大も過小も信用してはいけない、と思ってる。そして自分もまた同じように、全世界の人類にとって他人なのだからそう思われてると覚悟した方がよい。
南で呼吸。深く暖かい空気を吸って、海を見て、知らない道を歩いて、バスに乗って、メキシコ料理を食べて、アウトレットで服を買って、本を読んで、映画を見た。偶然にも七瀬ちゃんがダンスをしてたのでそれも見た。あしびなー。それからギアのおもちゃ工場がついに京都に建造。1928年の建物の中に、専用劇場、ああついにきたんだなーと感慨深い。スロベニアのいろいろも固まってきた。それも感慨深い。あまりにも感慨深いので、感慨部会を作りたくなる。それからアゴラで「アイアムウェイティングフォーザマン」。これも感慨部会。真夜中、野井さんと宮本さん、萩原くん、それとなぜか安元の5人で野井さんデザインのbar。牡丹の竹の片鱗。
AWAZAで楽しい下見。新しいことがつぎつぎと現れてくる春。調子乗りだから気をつけないといけない。無責任と怒られないように。ほっと、エアポケットに無理矢理入った。この数ヶ月、呼吸忘れ。えーと思い出すよ。CAMP!!2の「嘘つき一日」があった。あのときの参加者でデザイナーが二人いて、彼女らはたまにカーソルで働くようになった。他のメンバーもたまに遊びに来る。といっても僕はほとんどいないし、いても忙しそうにしてるから「あいつめ」と思われてるだろう。石原×七味の「アイ・アム・ウェイティング・フォ・ザ・マン」も、気づけば来週、東京公演。アゴラかあ。懐かしいなあ。ハルメリの稽古を思い出す。階段を上ったな-。あの階段は今思えばハイ/.ウェイにつながってたのかもしれない。直接的にはハイ/ウェイの階段はスロベニアのホステルの階段につながってる。あの階段をまた今年も(あの5倍くらい)上り下りすることになるのだろう。ツイッターなどで牡丹のメンバーが体調崩してるのを見て聞いて、竹のせいだったらごめんなさい。知ってました?吹田って竹の産地なんですよ。
石原×七味の情報はこちら→https://sites.google.com/site/hala01nms/
石原×七味の情報はこちら→https://sites.google.com/site/hala01nms/
朝から事務所でギアの音楽の打ち合わせ。ギアの音楽は豊田なちほさん。誰も彼女のことをほめないので、ここでしっかりほめておくと、ギアは豊田さんの音楽によって一本筋が通っている。台詞がない(ノンバーバル)の作品は今までにいくつも作っているが、ただ「喋らなければいい」というわけではない。喋らない理屈、目的、その方法、達成値、いろんなことを考えなくてはいけない。そしてそういうややこしいことを一切観客に悟られないようにしなくてはいけない。よほど台詞劇の方が楽だ。で、ギアにとって、それらを悟らせないために、豊田さんの音楽が大きな力を担っている。時にとても饒舌に、時に沈黙の代わりに音楽は存在する。耳のいい人なら音楽だけを聞いていたらギアの世界のあらましはだいたいわかるようになっている。ある種類の音楽家の方は同意してくれると思うけど、音楽と数学はどこか似ている。この間のズボン船長の作曲家の小島さんも、豊田さんと似て、とても美しい形(でも素人にはそれがなぜ美しいかはわからない、ピラミッドがなぜ美しいかわからないように)を音楽で形成する。美しい方程式の解のように。そういうの憧れますね。
まるだらけのくにの最終回がアップされています。ぜひごらんください。http://kansai.pia.co.jp/series/okakinomi/
そして木下は少しだけ休憩。レタスとトマトとチーズとサルサの島へ。
まるだらけのくにの最終回がアップされています。ぜひごらんください。http://kansai.pia.co.jp/series/okakinomi/
そして木下は少しだけ休憩。レタスとトマトとチーズとサルサの島へ。
牡丹灯籠が終わって、演劇の力について宮本さんから言葉をもらって乾杯、いつもの竹の料理屋。笹屋じゃない方。午前3時タクシー、夜空を見上げる余裕もなく、睡眠。翌日は昼からオリテンのスロベニア会議、そしてPLAY PARKの会議と、踊るほどに。そして新大阪に九州から来てくれたMさんを見送りホルモン。あっというまに灯籠の火も遠くに。そして火曜日は昼からカーソルでだらだらと打ち合わせ、夜はイロリムラで企画を考え、その後、砂の景色のデザイン事務所で軽く1月のPLAY PARKのデザイン打ち上げ。思えば死のロングウォーク、地獄の3ヶ月だった。演劇の力を信じながらも自分の力の衰えを感じる。70年代とか80年代の演劇の力のチラシを見てみなで興奮する。それから感染症とゴキブリのゲーム。今日は京都でギア。終わったあと、窪木くんと鳥井ちゃんとパクチーという名のタイ料理屋でカレーとパッタイ、窪木くんがシンハーゲームで勝ってもう一杯。帰りは阪急電車で淡路を通ると竹の揺れが蘇る。
お祭り感はある。終わったらさびしんだろうなー。というわけで、初日があけた。牡丹灯籠は、はじまりとおわりの話です。はじまりとおわりを暫定的に、決めてみたけど、結局、ずっとはじまっていて、ずっと終わっているっていう。おはようございます。今日が始まりました。素敵な一日を(赤星風)。
http://botan-sunday.jugem.jp/
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公開リハも終わり、後悔リハにはならなかったのでよかった。観客の前でやって初めてわかること多い。お客さんを半分信じて半分信じないで作っています。そして本番になるともっと信じようとか、もっと信じないでおこう、とか、それが楽しい。それは僕自身を半分信じて半分信じてないのと同じで、役者やスタッフを半分信じて半分信じてないと一緒で。そういう半分の状態が作品をもっともっと磨かせると思ってる。みんなも僕を半分信じて半分信じないで。信じるものがあるとすれば、本番、そのときの全部。そのときは全部を信じる。知らない神様だって信じる。やっぱりいいライブを見たい。そのためのこの長い長い準備期間。ありがとうございます。みなさま。感謝しながら夜の洗濯。そして公開リハのだめ出しを打つ。本日木曜はソールドアウトだそうです。すいません。そしてありがとうございます。
ついに本番を迎えます。牡丹灯籠。今の僕にできるエンターテインメントのひとつの形になったと思う。原作のすばらしさもあるけど、役者さんたちの、どん欲さ、そこにつきると思う。世界一団、そのインタールード、寺山修司、オリテン、素浪人ワルツ、四月のさかな、ニューデリー、ヤングジャンプに線平地、身体からなんでもでる男、カフカ、ハルメリ、韓国の路上、八人の女たち、サンプリングデイ、ハイ/ウェイ、キャンプ、ゴドー、そして今はギアにミュージカル、そういう個人史の先にあるものを、なるべく多くの人たちに(吹田市民のみなさまへ)喜んで見てもらいたい。喜び。どんな演劇にだって、喜びは欲しいよね。もうすぐ3月11日です。そこにだって喜びはあるはずです。あっていけないことはない。去年、僕は、静岡で地震を体験した。新幹線の中。PLAY PARK2011の1週間前。10年以上前の神戸のときは演劇の公演が終わったすぐあとだった。いつ死ぬかわからない、ということは考えにない。あるのは、いつだって生きてるし死んでるし。その中間のことだけ。明日は公開リハだ。楽しもう。
メイシアタープロデュース show劇場vol.6
sunday play日本の名作 牡丹灯籠
原作/三遊亭円朝
脚色・演出/ウォーリー木下(sunday)
美術/野井成正
音楽/indigo jam unit
日時/2012年3月8日(木)~11日(日)
8日(木) 19:00
9日(金) 14:00 / 19:00
10日(土)11:00 / 15:00
11日(日)15:00
会場/吹田市文化会館 メイシアター 小ホール
http://www.maytheater.jp/
※お客様用駐車場がございませんのでご来場の際には電車・バスなどをご利用下さい。
料金/前売2,500円 (全席指定) 当日2,800円
※未就学児童のご入場はお断りしています。
出演者/
赤星マサノリ 平林之英 井田武志 宮川サキ 安元美帆子 吉陸アキコ 田渕法明 松永渚 永津真奈(Aripe) 竹ち代毬也 末永直美(VOCE企画) や乃えいじ(PM/飛ぶ教室) 野村侑志(オパンポン創造社) 濱本直樹(DanieLonely) クールキャッツ高杉(イッパイアンテナ) 殿井歩 大川原瑞穂(悪い芝居) 山本杏奈
チケットのご予約はこちらから。→
パソコン→https://ticket.corich.jp/apply/32492/002/
携帯→http://ticket.corich.jp/apply/32492/002/
お問合せ/メイシアター(吹田市泉町2丁目29-1)
電話:06-6380-2221 FAX:06-6330-7230
特設ページ→http://sunday-go.jp/botan/
稽古場ブログ→http://botan.sunday-go.jp/
牡丹灯籠PV→http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=_o1pDJB-Sr8
sunday play日本の名作 牡丹灯籠
原作/三遊亭円朝
脚色・演出/ウォーリー木下(sunday)
美術/野井成正
音楽/indigo jam unit
日時/2012年3月8日(木)~11日(日)
8日(木) 19:00
9日(金) 14:00 / 19:00
10日(土)11:00 / 15:00
11日(日)15:00
会場/吹田市文化会館 メイシアター 小ホール
http://www.maytheater.jp/
※お客様用駐車場がございませんのでご来場の際には電車・バスなどをご利用下さい。
料金/前売2,500円 (全席指定) 当日2,800円
※未就学児童のご入場はお断りしています。
出演者/
赤星マサノリ 平林之英 井田武志 宮川サキ 安元美帆子 吉陸アキコ 田渕法明 松永渚 永津真奈(Aripe) 竹ち代毬也 末永直美(VOCE企画) や乃えいじ(PM/飛ぶ教室) 野村侑志(オパンポン創造社) 濱本直樹(DanieLonely) クールキャッツ高杉(イッパイアンテナ) 殿井歩 大川原瑞穂(悪い芝居) 山本杏奈
チケットのご予約はこちらから。→
パソコン→https://ticket.corich.jp/apply/32492/002/
携帯→http://ticket.corich.jp/apply/32492/002/
お問合せ/メイシアター(吹田市泉町2丁目29-1)
電話:06-6380-2221 FAX:06-6330-7230
特設ページ→http://sunday-go.jp/botan/
稽古場ブログ→http://botan.sunday-go.jp/
牡丹灯籠PV→http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=_o1pDJB-Sr8
今日も今日とて稽古。急がないと。眠っていても何かちがうことをしてるような気になる本番1週間前。おかげさまでチケットは完売ステージも出てきてますのでお早めに。実際の劇場で稽古をしていると発見することも多い。その発見を逃さないようにしよう。別に誰かが決めたことをやらされてるのではなく、自分たちで決めたことを自分たちでやるだけなので。いやそうかな。もしかしたらどこか遠い国からの電波を受信しながら(ラジオとかみんな聞きます?)チャンネルをあわすような作業なのかもしれない。うまくキャッチできればいいのだけど。安元さんのツイッターで「演劇を作るのでなく、演劇で作る、か。確かに、そうです。はっとした。どきどきしてちょっと泣けた。」というつぶやきがあったのだけど、僕も泣けました。
河原町から吹田に行くのに2回も淡路を通り過ぎたのが3日前だっけ。3日間家に帰れなかったので急遽ユニクロで下着を買ったら、ロングステテコという謎のものを買ってた。いらん、ロングステテコはいまいらん。スリッパを取りに行って、戻ってきたら手に充電器を持ってる。頼んだうどんは求めていたうどんではなかった。自販で缶コーヒー買って、取り忘れる。雨も降ってないのに傘、そしてその傘稽古場に忘れる。干していた洗濯物は地面に落ちてびしょびしょ。ここ2,3日、手違いとミスと失念の連続のようだけど、これはこれで案外小さく笑って過ごせる。誰に迷惑かけてるわけでもないし。牡丹灯籠の稽古場では大きなミスはないと思う。ぎりぎりとネジが締まる音。役者は悲鳴を上げ始める時期かもしれないけど、みなさん、大丈夫です。締まったネジはきちんとゆるめるためのものなので。
耐えうるについて考える。チケット代に耐えうる作品、子供に耐えうる作品、大人に耐えうる作品、玄人に耐えうる作品、素人に耐えうる作品。たまにそういう話題になる。この舞台は、映画は、商品は、耐えうるのか、と。耐えうるために、作り手は全力でがんばってみたりする。
でも、耐えうってるものと、おもしろいもの、気に入るものは、違う。もっと言えば、耐えうってなくても、記憶には強く残ったりする。あんなものに3000円も出してしまった。子供は退屈そうにしてたなー。よく内容わからなかった。そういう体験のどこがいけないのだ? いや、お金や退屈だけの話じゃなくて、僕にわからんかった、て作品いくらでも見てきた。しかしそれがあかんのか? 耐えうることを真剣に考えるのはナンセンスだ、と思う。耐えうった先に、いったい何があるというのか?
少しくらい、観客に耐えうらないことも大事な気がしてる。
観客や消費者のことをまったく何も考えないのではない。なぜなら僕はいつだって観客で消費者だ。そっちの時間の方が多いくらいだ。そのときに、思うのだけど、僕は馬鹿じゃないと。つまり観客は馬鹿じゃないと。とどのつまり、そこに愛があれば(愛以外のものでもいいんだけど、話が長くなるので、とりあえず広義の愛)なんだって受け止める準備はしているんだと。好き嫌いはその先、耐えうる耐えうらないかも、その先。僕はできるだけ、もっと根っこでものを作りたい。ものを受け止めたい。
でも、耐えうってるものと、おもしろいもの、気に入るものは、違う。もっと言えば、耐えうってなくても、記憶には強く残ったりする。あんなものに3000円も出してしまった。子供は退屈そうにしてたなー。よく内容わからなかった。そういう体験のどこがいけないのだ? いや、お金や退屈だけの話じゃなくて、僕にわからんかった、て作品いくらでも見てきた。しかしそれがあかんのか? 耐えうることを真剣に考えるのはナンセンスだ、と思う。耐えうった先に、いったい何があるというのか?
少しくらい、観客に耐えうらないことも大事な気がしてる。
観客や消費者のことをまったく何も考えないのではない。なぜなら僕はいつだって観客で消費者だ。そっちの時間の方が多いくらいだ。そのときに、思うのだけど、僕は馬鹿じゃないと。つまり観客は馬鹿じゃないと。とどのつまり、そこに愛があれば(愛以外のものでもいいんだけど、話が長くなるので、とりあえず広義の愛)なんだって受け止める準備はしているんだと。好き嫌いはその先、耐えうる耐えうらないかも、その先。僕はできるだけ、もっと根っこでものを作りたい。ものを受け止めたい。