ブログを書いてみる。長い間、休んでいるのでおそらく誰ももう見に来ていないと思うけど、その分気楽に書ける。
「四月のさかな」の戯曲が一応脱稿した。難航していただけにホッとする。
戯曲があがったら見に行こうと思ってた「グエムル」がその前日に終了していた。とても落ち込んだ。代わりになにかビデオでも見ようとTSUTAYAに行くが、1時間いても何一つ見たいものが定まらず何も借りずに帰る。夜道の上に満月が昇っていた。少しホットする。
翌日、amazonで注文していたCDが届く。音名のドレミファソラシドで歌うというルールのもとに作られた12の楽曲が入った「ドレミでうたおう」というアルバム。
その姉妹版の「リズムであそぼう」ともども、とても丁寧に作られたいいアルバム。
そういえば今年の頭にオーストリアに行ったときに友人にオススメのCDなに?と聞いたら、ごっそりと現地の子供向けの音楽を焼いてくれた。とても単純に作られてるんだけど、聞き飽きない。それにいつ聞いても拒絶反応が起こらない。万国共通として子供向けの音楽にはそういう魅力がありますよね。どうしてもほとんどの音楽って、聴く時と場所を選ぶと思いません?
やっぱりモノを書いてるときにレッチリが流れてたらちょっとしんどいし、天気のいい昼間にソバを食べてるときチャールズ・ミンガスが流れてきたらちょっと喉を詰まらせてしまいそうだ。
そういう流れでエレクトロとかラップトップとかテクノの軽ーいやつが自然と家にいる時はよく聴いてしまう(子供向け音楽と同じと言ってるわけではなく、同心円上にあるということです)。レイ・ハラカミとか高木正勝とか、そういうの。この間、偶然ある人の紹介でトウヤマタケオさんと少しお話しすることができたのだけど、
「聴く人の感情をいたずらに操作しない音楽」というもののすばらしさについて語っていた(と僕は解釈した、違ってたらごめんなさい)。
確かに世の中のほとんどのミュージシャンは「リスナーの感情をゆさぶる」ために音楽を作ってるように思える。
音楽に聴く側が自分の感情を反映、もしくは投影させることを僕らは(いつの間にか)放棄してる時がある。
たとえばテンションをあげるために音楽を聴いたりする時ってありますよ。
でもそればっかりだとやっぱり面白くないと思うんですよね。刺激的なものばっかり追い求めてなんだか火薬の量が増えていくハリウッド映画みたいなものばっかりが巷にあふれてしまうことになる。いつかオーバードーズして音楽自体を聴けない体になってしまってからでは遅い。
それでもいろんな音楽があって、それらを選択できる世界で生きてることがすげえ幸せだよね。
僕だってもちろん、時には稽古前にWeezerとか聴いて今日もがんばろうとか思ったりすこともあるわけなのだから。
それにしても演劇で「見る側の感情が投影されて完成する」ものを作ることができたら、それはとても幸せなことだ。でも難しんだよねー。
「四月のさかな」の戯曲が一応脱稿した。難航していただけにホッとする。
戯曲があがったら見に行こうと思ってた「グエムル」がその前日に終了していた。とても落ち込んだ。代わりになにかビデオでも見ようとTSUTAYAに行くが、1時間いても何一つ見たいものが定まらず何も借りずに帰る。夜道の上に満月が昇っていた。少しホットする。
翌日、amazonで注文していたCDが届く。音名のドレミファソラシドで歌うというルールのもとに作られた12の楽曲が入った「ドレミでうたおう」というアルバム。
その姉妹版の「リズムであそぼう」ともども、とても丁寧に作られたいいアルバム。
そういえば今年の頭にオーストリアに行ったときに友人にオススメのCDなに?と聞いたら、ごっそりと現地の子供向けの音楽を焼いてくれた。とても単純に作られてるんだけど、聞き飽きない。それにいつ聞いても拒絶反応が起こらない。万国共通として子供向けの音楽にはそういう魅力がありますよね。どうしてもほとんどの音楽って、聴く時と場所を選ぶと思いません?
やっぱりモノを書いてるときにレッチリが流れてたらちょっとしんどいし、天気のいい昼間にソバを食べてるときチャールズ・ミンガスが流れてきたらちょっと喉を詰まらせてしまいそうだ。
そういう流れでエレクトロとかラップトップとかテクノの軽ーいやつが自然と家にいる時はよく聴いてしまう(子供向け音楽と同じと言ってるわけではなく、同心円上にあるということです)。レイ・ハラカミとか高木正勝とか、そういうの。この間、偶然ある人の紹介でトウヤマタケオさんと少しお話しすることができたのだけど、
「聴く人の感情をいたずらに操作しない音楽」というもののすばらしさについて語っていた(と僕は解釈した、違ってたらごめんなさい)。
確かに世の中のほとんどのミュージシャンは「リスナーの感情をゆさぶる」ために音楽を作ってるように思える。
音楽に聴く側が自分の感情を反映、もしくは投影させることを僕らは(いつの間にか)放棄してる時がある。
たとえばテンションをあげるために音楽を聴いたりする時ってありますよ。
でもそればっかりだとやっぱり面白くないと思うんですよね。刺激的なものばっかり追い求めてなんだか火薬の量が増えていくハリウッド映画みたいなものばっかりが巷にあふれてしまうことになる。いつかオーバードーズして音楽自体を聴けない体になってしまってからでは遅い。
それでもいろんな音楽があって、それらを選択できる世界で生きてることがすげえ幸せだよね。
僕だってもちろん、時には稽古前にWeezerとか聴いて今日もがんばろうとか思ったりすこともあるわけなのだから。
それにしても演劇で「見る側の感情が投影されて完成する」ものを作ることができたら、それはとても幸せなことだ。でも難しんだよねー。