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世界の覚書

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産む役目の人とは誰なのか

2007年01月31日 | 環境・天災・健康
前のエントリで「少子化対策におけるメリットはなさそうだ。」と書いた。少し、くだきたい。

女性は「産む機械、装置」 松江市で柳沢厚労相(共同通信) - goo ニュース
27日、松江市で開かれた自民県議の決起集会で
「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言(朝日新聞) - goo ニュース
柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べた
柳沢厚労相「機械」発言、野党が一斉批判…辞任要求も(読売新聞) - goo ニュース
柳沢厚労相は27日に松江市で開かれた島根県議の会合で講演し、「(女性という)産む機械、装置の数は決まっている。あとは1人頭で(多くの子供を産むように)がんばってもらうしかない」と発言した。厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正した。
1)15~50歳の女性の人口が有限なのは当たり前である。全ての人口は有限だから。意味のない言葉だし、空虚である。

2)経済的理由でなくても、子供を持てる人は限られている。子供を持てる人が二人産んで限界ということでは、社会全体で平均すると人口減少になってしまう。可能なら三人以上ということで、ようやく人口維持水準になる。「一人頭で頑張ってもらう」では、説明としても(言葉足らずで)不適切。

3)そもそも、個人に頑張れというのは、マクロな政策を考えるべき政治家の言う言葉ではない(少なくともマクロな政策を語る文脈では)。社会や経済や行政が頑張るようにするのが、政治の役目だ。
#個人が頑張ればいいのであれば、社会はいらない。

4)「産む役目の人」は、昔のCMにあった「私作る人」(女が料理を作る人)というのを想起させた。頭が腸ねん転を起こしそうな感覚であるが、「産む機械」より、「産む役目の人」の方が根が深いと感じた。「産む機械」は生産財という理解も可能である。資源の希少性は経済学思考の基本だ。しかし「役目」は社会的役割である。誰が「産む役目の人」なのか? 子供を持てるかどうかは、個人の生き様というより、偶然にも支配されている。

5)「(多くの子供を産んで)もらうしかない」は、「生産」を論じたものだが、統計の見方を間違えている。少子化問題に、そんな因果関係はないというか、意味がない。

もちろん、婚期が遅れることが、子供を持っても少なくしてしまう要因にもなる。家が手狭であるとか、教育を含めた養育費がかかるという心配もある。都市化した核家族的な世帯がゼロから作りあげるには、敷居が高い話ばかりである。そういう社会学的な分析や、教育・雇用政策のようなものが、少子化対策の基本にあるのではないかと思う。

やはり、柳沢厚労相の思考法は「不適切」であると思う。政策論としても適切なものが出てくる感じがしない。

関連:右余極説:「言葉狩り」をやめよ!

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