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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

新10万ウォン札、原本にない独島を地図に表記

2008年01月01日 | 歴史・伝統
中央日報:新10万ウォン券-金九、5万ウォン券-申師任堂 図案確定
2009年上半期に発行される10万ウォン券は灰色、5万ウォン券は黄色に最終確定した。韓国銀行金融通貨委員会は現在流通している1万ウォン(緑)、5000ウォン(オレンジ色)、1000ウォン(青)券と確実に区別できる色を選んだと明らかにした。(中略)10万ウォン券の表には白凡金九(ペクポム、キム・グ)の肖像と上海臨時政府要人の団体写真が掲載される。裏には「大東輿地図」と「蔚山大谷里盤亀台岩刻画」が描かれる。大東輿地図には原本にない独島(トクト、日本名竹島)も表記される。
> 大東輿地図には原本にない独島(トクト、日本名竹島)も表記される。

そこまであからさまに捏造を明記しなくても...

#金九のひどさについては前に調べた。

韓国初の10万ウォン紙幣の肖像は金九 2007年11月06日

『白凡逸志』
これはきっと国母を殺した三浦梧楼のやつか、そうでなければその一味の者にちがいない。もしいずれでもないとしても、わが国家と民族に害毒を流す者であることは明らかなのだから、あいつを殺して少しでも国の恥をそそごう」とわたしは決心した。(p.76)

倭奴の頭から足の先まであちこちを切りつけた。二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の湧くように流れた。わたしは手でその血を掬って飲み、またその倭の血をわたしの顔に塗りつけ、血がぼたぼたしたたり落ちる長剣をさげて部屋に入って行き、(p.79)
1896年2月下旬、金九は、偶々旅先で出くわした日本人を、何の根拠もなく勝手にスパイか何かと考え、虐殺し、朝鮮王国当局に捕まり、最後には脱走する。これを彼は英雄譚として自ら語るのだ。ちなみに閔妃暗殺事件は1895年10月8日で、直ちに関係者は拘束されて1月頃に結審した頃合だったようだ。金九はテロリストですらない、計画性もない、思いつきで行動した、短気でかっとする狂気の人でしかない。しかし、韓国最大の英雄らしい。儒教的伝統には、なにかと即しているのだ。

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