自己家畜化というのは人類共通の文化?(現象?)だが(人類学上の概念)、自己植民地化というのもあるのだな、日本の場合。これが極端に行くと「日本列島は日本人だけのものではない」につながる。そもそも慕華思想(あるいは慕夏思想)というものが日本にはあった。彼の国の中華思想=華夷思想はピンと来ないくせに、日本人は(古代)中国を理想世界とみて崇拝する傾向があった。そういうのも儒教秩序の感覚から来ているのだろう。
ナショナリズムなら問題ないのだが、先の敗戦でひっくり返り、日本が日本である事になりきれていない風がある。とにかく、外国に「配慮」する。特に中韓の歴史上の恩義に感謝し、何くれとなく配慮する事こそが、日本人の道徳だ、みたいな認識が一部(典型的には公明党)にある。
日本の慕華思想は近代では慕洋思想?にもなったはずだが、そこは若干混乱か。GHQ時代はあるから、植民地化は全くの嘘ではない。自己植民地化はまた別の話。検閲やWGIPの影響、左翼の影響もあるだろう。
日本は日本であると、率直であることが日本人には一番大切なはずだ。
ナショナリズムなら問題ないのだが、先の敗戦でひっくり返り、日本が日本である事になりきれていない風がある。とにかく、外国に「配慮」する。特に中韓の歴史上の恩義に感謝し、何くれとなく配慮する事こそが、日本人の道徳だ、みたいな認識が一部(典型的には公明党)にある。
日本の慕華思想は近代では慕洋思想?にもなったはずだが、そこは若干混乱か。GHQ時代はあるから、植民地化は全くの嘘ではない。自己植民地化はまた別の話。検閲やWGIPの影響、左翼の影響もあるだろう。
日本は日本であると、率直であることが日本人には一番大切なはずだ。
まさしく仰るとおりだと思います。
ところで、ご指摘のとおり「日本の慕華思想」は昔から根深いのですが、
四書五経含む支那の古代伝承や史書を摘み食いしてみると、
文化・文明のルーツはなんだか日本にありそうに思えます。
『山海経』などに出てくる「扶桑」「蓬莱」(いずれも日本の異称)や、
「東王父」「東方君子国」などは、地理的には東方の島国の話で、
内容的には仙境・憧れの地として描かれていることから、
日本→支那の文化・文明の流れが存在するような・・・
それが、「白村江」後、唐によってGHQの占領政策と同様のことが行われ、
漢字や慕華思想の導入が行われたのではないかと(妄想ですが)。
妄想なのでまとまった根拠資料はないのですが、
インスパイアされた論考としては以下のものがあります(長いです)。
↓
■『中国史のなかの日本像』王勇著 2002年
ttp://www.japanology.cn/japanese/book/nihonzo/index.htm
ご参考まで。