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鎌倉の切り通し

2013-01-14 12:46:03 | 歴史もの
1月4日の続きです。何を見に行ったかというと、本題はこれ、切り通し・・要塞都市鎌倉の防御を見る。鎌倉は、鎌倉幕府って感じがするけど、幕府滅亡後も中先代の乱や南北朝の戦い、室町時代も永享の乱、戦国期にも・・と戦いが繰り返されて来ている場所である。鎌倉の護りの要とも言えるのが切り通し。
写真は亀が谷。北鎌倉から少し南に戻って行くと、亀が谷切り通しの看板が。登って行くとこのような両側が切り立った道になりました。こりゃ上から石投げられたらたまらんわって感じで。

お次が源氏山に続く化粧坂切り通し。最後が石段状の急な坂になっています。
 
源氏山山頂に到着。椿がきれいに咲いていました。
 
お約束の頼朝像(左)。このあたりは鳶が多く、うっかり食べ物を手に持っていると襲撃に遭うらしい。「鳶注意」の看板まであった。上空には鳶がたくさん飛んでいるのが見える。右は頼朝の長女大姫を供養する地蔵堂。住宅地の中にあってちょっとピックリした。頼朝の子どもたち・・孫も含めてなんか悲劇的な人が多いな。大姫も木曽義高との悲恋の話が伝わっている。
 
源氏山には元弘の変で斬られてしまった日野俊基の墓(左)と斬られた場所(右)があった。現在は葛原岡神社となっている。祭神は日野俊基。後醍醐天皇の忠臣として明治頃に祀られたのかなぁ。

ちなみにこの神社の参道から遠くに富士山が見えました。写真ではよく分からないかも知れないけど、山頂だけちょっと見えていました。
 
源氏山を抜けて大仏切り通しへ。このようなややなだらかな部分もあるけど、
 
このようにかなり切り立った所が多い。これは山から攻めるのは無理・・って思うわけだ。だから新田義貞は稲村ケ崎から攻める。ということは稲村ケ崎の防御ってどうよ?
 
大仏切り通しには、このように道がクランク状になっていて、山城の虎口を思わせるような地形(左)もある。右の写真は切り通しの切り立った崖を利用して作られている墓所(やぐら)です。中に五輪塔などがあります。
 
それで最後に長谷から江の電で稲村ケ崎へ。伊豆半島に沈む夕日がきれい。この日はベタ凪で波がほとんどない静かな海でした。稲村ケ崎での防御はよく分からなかった。もう道路とか公園とかで壊されちゃっているのかなぁ。
極楽寺駅周辺も極楽寺切り通しがあるけど、現在は立派な道路で面影が全くなし。大仏切り通しが一番圧巻かなぁ。

おまけ。長谷駅でこんな面白いモノを発見しました。見出しがとても目をひきます(笑)

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