ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

タクシーがメーター制に変わる?

2008年01月31日 | ミャンマーでの生活
最近のジャーナル誌を賑わしている記事はヤンゴン市内のタクシーがメーター制になること。
現在のタクシーにはメーターはなく、交渉制になっている。
2月末までにすべてのタクシーに設置が義務付けられるとのこと。
すでに中国からメーターの機械が輸入されている。

メーター制になると最低料金が500チャット。
1kmを超える毎に150チャットが加算される。
待ち時間料金は1分50チャット。
運転手がメーターの機械を勝手に開けて、調整できないようになっているとのこと。

現在の最低料金は1000チャットだから、かなり安くなりそうだ。

交渉制とメーター制で実験比較した例があった。
レーダン(ヤンゴン大学)からスーレーパゴダまで(7.65km)
交渉制では2000チャット。
メーター制では1850チャット。
と書いてあったが、実際この区間に乗ってみたことがあるが、2500チャットが相場になっている。

利用者にとってはメーター制は大歓迎だが、タクシー運転手にとっては収入が減ることは確実のようだ。

この場合の問題点は
1.タクシー運転手がわざと遠回りをして運賃を稼ごうとするのではないか。
2.わざと渋滞している道を選んで、待ち時間料金で稼ごうとするのではないか。
3.物価が急に上がってタクシー料金も改正する場合、どのように機械を調整するのか。
 (一旦設定されたものを再調整するのは手間がかかり難しい)

今日現在、メーターを取り付けたタクシーを1台も見たことがない。

メーター取り付け業務は1社が独占しており、ヤンゴン市内に何千台とあるタクシーがこんな短期間に取り付けができるとは思えない。

去年もこの時期にメーター制に変わるという話が出たが、いつの間にか消えてしまった。
今回は本気でやるだろうか。

あるジャーナル誌によると、「発展している国のタクシーは皆、メーター制になっており、タクシーメーターの有無が国の発展度を表すバロメーターである。」とあったが、ということは国が発展していることを見せるためにメーター制に変えるということだろうか。

それよりも電気を何とかしてほしい。
昨日から自宅も12時間停電に突入したのだ。

懐かしのインヤーレイクホテル(2)

2008年01月30日 | ホテル情報
でも、このホテルが嫌いになったわけではない。

ホテルのすぐ目の前がインヤー湖畔で、朝散歩するのがとても気持ちが良かった。

このホテルのフロント係の男性Mさん(当時40歳くらい)と親しくなって、彼の車(マツダのジープ)で町を案内してもらったり、彼の家で食事をご馳走になったりした。

Mさんはラングーン外国語学院(現ヤンゴン外国語大学)で2年間日本語を学んだこともあり、日本語がとても上手だった。

その後、彼とは何年か日本語で文通が続いたが、突然脳梗塞で亡くなったという知らせを聞いた。
彼の夢は日本に行くことだったが夢が叶わないまま人生を終えてしまった。

先週、ほぼ25年ぶりにこのホテルに来る機会があった。
25年前のことが本当に懐かしく思い出された。

(注:ホテルは最近、外国資本によって全面的に改装され高級ホテルとして生まれ変わっています。)

懐かしのインヤーレイクホテル(1)

2008年01月30日 | ホテル情報
25年前の1983年3月、初めてヤンゴン(当時はラングーン)に到着した。
ヤンゴンで最初に泊まったホテルがインヤーレイクホテルなのである。
(写真は現在のもの)

1970年代に旧ソ連の援助によって建設されたホテルで、当時では最も豪華なホテルだった。
しかし当時は国営ということもあって、サービスはひどいものだった。

まず部屋の鍵がかからない。
従業員がノックもせずに平気で入ってきて、「何か手伝いましょうか?」と聞いてくる。

バスタプにお湯を入れようとしたら、黒くて砂まじりの水が出てきた。
結局、お湯が出ることはなかった。

天井にはたくさんのヤモリ君がいて、「ケッケー」と大きな声で泣いている。

エアコンも音だけ「ゴー」とやかましく、ほとんど冷気が出ていなかった。
うるさいのでスイッチを切った。

まどのカーテンにはカビが生えていた。

到着したのが夜でお腹がすいたので、ホテルの食堂で食べることにした。
1階のロビーの奥が食堂になっているのだが、薄暗くてだだっ広いスペースに誰もいなかった。
奥からウエイターらしき男性が出てきたので、メニューを持ってくるように頼んだ。

ウエイターの最初の一言が
「あまりお勧めできないけど、食べますか。」だった。

注文して料理が出てくるまで30分かかった。
注文したのはミャンマー風鶏肉カレーだったが、あのまずさは半端ではなかった。
料理と一緒に出てきたパンも固くてまずくて食べられなかった。
デザートのバナナも黒く萎びていた。

会話の授業

2008年01月29日 | 日本語学校
今日は久しぶりに会話の授業を見学した。
担当してもらっている先生はH先生。(もちろん日本人)

彼女は2002年4月からずっとミャンマーに住んでいる。
最初はわが校の専任講師として活躍したが1年契約の後、退職し他の仕事をしていたが、
最近またフリーの日本語教師として働いている。

多数の会社や学校から日本語を教える依頼が入っており引っ張りダコの状態であるとか。
今回5年ぶりに非常勤講師として復活してもらった。
(土曜、日曜だけの会話クラス)

5年ぶりに授業を見学させてもらったが、教え方が見違えるほど上手になって、本当に日本語の先生らしく成長していた。
ミャンマー語もすごくうまくなって、びっくりした。

教え方が上手な先生のクラスは笑いがあり、活気がある。
生徒たちにとっては1時間半の授業はまだ物足りなく、もっと勉強したいようだ。

彼女のようにミャンマーに仕事に来てミャンマーが好きになって、ずっと住みついてしまう日本人女性は意外に多い。
現在、分校の専任講師の女性(K先生)ももうすぐ5年になる。

このクソ暑くて毎日停電があって、何もかも不便な国なのに、どうしてみんな好きになってしまうのだろう。
本当に不思議な国、ミャンマーなのである。

IT会社の日本語試験

2008年01月28日 | 日本語学校
今朝5時の気温は24度、湿度は61%だった。
この2、3日湿度が上がって蒸し暑くなっている。

日本のあるIT会社が2月から従業員150名規模のIT専門の会社をヤンゴンで設立しようとしている。

150名の人選は既に終わっており、会社からの委託で日本語教育を請け負った。
当校では日本語を初めて習う学生に対して、基礎レベルの講習を行なった。

試験日は会社から予め指定してあったので、普段は3ヶ月で教えるところを、2ヶ月半というスピードで教えざるを得なかった。

その基礎レベルの試験があった。
学生たち50名が試験問題に取り組んだ。
このうち、果たして何人が日本に行けるのだろうか。

試験日は土曜日だったが、あいにく試験中ずっと停電だった。
前は1日6時間の停電だったのが、今は1日12時間の停電になっている。
朝6時に停電すると、電気が来るのが12時間後の午後6時になる。
ということは、授業中は全部停電という状態なのだ。

これから暑くなるにつれて、もっとひどくなるだろう。
この停電地獄はいつまで続くのだろう。

追伸:今、午前9時半です。外は珍しく雨が降っています。
   気温も上がらないで涼しい1日になりそうです。

日本人学校の運動会

2008年01月27日 | 日本人学校・日本人会
5歳の娘が通っている日本人学校の運動会(日本人会と共催)が行われた。
この日に合わせたかのように、前日までの涼しさとは違い厳しい暑さとなった。
子どもたちは強い日差しと暑さの中で、元気に運動していた。
娘はかけっこ、ダンス、親子競技の3つに参加した。
かけっこは相手の男の子に負けてしまったが、善戦した。
(去年は男の子に勝った)

ミャンマーに来て11年目にして初めてソックスに運動靴(シューズ)というものを履いた。
普段は裸足にサンダル履きなので、足がむれて我慢できなかった。
娘は白組だったが、今年は赤組が優勝した。

日本人会のほうはA. 大使館チーム B.JICA,日本人学校チーム C.法人、個人チームという3チームに分かれて得点を競ったが、優勝はB.チームだった。
私が属しているC.チームは今年も去年も最下位だった。
ヤンゴンでは民より官のほうが強い。
(民チームは私も含めて普段から運動が足りないようだ。)

暑かったけれど、親子で楽しい時間を過ごしました。

レトロタクシー

2008年01月26日 | ミャンマーでの生活
ジャーナル誌中の写真はマツダのB360(ミャンマー製)。
1960年代を思わせるレトロな車である。

私が初めてミャンマー(当時はビルマ)に来たときはヤンゴン市内(当時はラングーン)のタクシーは全てこの型だった。
乗り心地はお世辞にもいいとは思わなかったが、何か遊園地の乗り物みたいでかわいらしい。

今は現役を引退して、タクシーとして全く使われなくなっていたのだが、今、西洋人の観光客たちがこのタクシーがとても珍しいらしく、特にマンダレーで人気なのだとか。

それで、このレトロタクシーが外国人専用として復活している。
マンダレー市内1日貸切で15000チャットだそうだ。

一旦は姿を消すことになったこのB360は第二の人生を歩もうとしている。

サンプル棚完成

2008年01月25日 | 日本語学校
本校の事務所にも教科書や参考書のサンプルを展示する棚(特注品)が完成して納入された。

待つこと実に2ヶ月!
でも、思ったよりよい出来具合だった。

今までは、本をダンボール箱に入れて、希望者がいるとその都度、ダンボール箱から出して見せていたのだが、これならいつでも手にとって見ることが出来る。

この11年間、こんなにたくさんの本を作ってきたのかと自分でも驚いている。
(約半分がオリジナルの教科書、参考書です。)

今年はさらに新しい参考書を3冊出版予定である。

新デザインの建物

2008年01月24日 | ミャンマーでの生活
相変わらず、ヤンゴンではマンションやアパートの建設ブームが続いている。
私が住んでいるマンションの隣の部屋のご主人(インド人)もマンションのデベロッパーさんなのである。
写真のように最近建設中のアパートは外観のデザインが凝ったものになって、なかなかのものである。
以前の建物では、コンクリートの外壁にただ白ペンキを塗っただけだったが、現在では合成樹脂のパネルやタイルやガラス張りにすることが多くなった。
建設会社同士で新しいデザインを競い合っている。

小豆(あずき)の日本輸出計画

2008年01月23日 | ミャンマーでの生活
今朝5時の気温は22.4度、湿度33%でした。

今NHKのニュースを見ながら更新していますが、東京は雪が降っていますね。
いかにも寒そうです。こっちは少し寒いといっても22度ですから....
今、シャツ1枚でコンピューターに向かっています!

ところで、昨日発行のジャーナル誌によると、日本の会社がミャンマーで小豆を栽培して収穫し、全てを日本に輸出する計画があるとか。

すでに、ミャンマー国内10箇所で実験栽培して、小豆がよく育つ場所を特定したとのこと。
実験栽培の結果、一番良く収穫できたのはシャン州のヘーホーだった。

小豆は寒い地域でよく育つ作物で日本では北海道産が約80%のシェアを占めている。
最近、和菓子への回帰傾向があり需要が増えているとかで、年間12万トンの需要があるが、国内の生産量は6万トンであることから、中国など海外からの輸入が増えている。

この日本の会社は農業国ミャンマーに目をつけて、小豆の生産を本格的に行なおうとしている。

ミャンマーは様々な豆の輸出国として知られているが、小豆(あずき)はなかった。
小豆はミャンマー語でバダミャー(ルビー)ペー(豆)という。

以前、小豆を買おうとしてスーパーや市場で探したことがあるが、日本と同じ小豆はなかった。
いつかミャンマー国内にも出回るようになって、おいしいアンパンや赤飯が食べられるようになるかもしれない。

バスの側面広告

2008年01月22日 | ミャンマーでの生活
最近、よく見かけるようになったのがバスの側面広告。
日本のようなラッピングバスやラッピング電車ほどではないが、ずいぶん目を惹かれる。
以前は手で描いていたのだが、これは明らかにコンピューターを使って機械で描いているようだ。
かなり大掛かりな機械だと思われる。
ミャンマーの広告メディアも変わりつつある。
でも、街頭で配るティッシュはまだ登場していない。

余談になるが、日本に留学したミャンマー人学生が一番最初に感動するのは、街頭でタダ配られているテッシュだそうだ。
生活費節約のために、ティッシュをかき集めているのだとか....

大人気の焼き魚

2008年01月21日 | レストラン・食べ物情報
最近、ヤンゴンで大人気なのが写真の焼き魚なのだ。(1匹、2000チャット)
魚は「ティラピア」(日本語ではイズミダイ)。
名前は鯛であるが、海にいる鯛とは全く異なる淡水魚である。(汽水でも適応する)

この魚は10年前にミャンマーに来たときはまだなかった。
外来種であると思われる。当然、ミャンマー人がこの魚を食べる習慣もなかった。

まもなくヤンゴン在住のある日本人(Tさん)が食用として養殖を始め、成功した。
(ミャンマー名:SB鯛と名づけた)

しかし、当時はこの魚をどうやって食べるのか方法がなかった。
刺し身でも試験的に頂いたが、淡水魚の刺し身は細菌や回虫がいるのではないかと心配だったので、食べることは断わった。(スーパーでも置かれていたが、売れなかったようだ)

しょうゆとみりんで煮魚にして食べるとおいしかったが、少し臭みがあった。
市場では叩き売り状態となり、ほとんどタダ同然の値段だった。
この養殖ビジネスが成功する前に志半ばでTさんは亡くなった。

その後、シャン族の人がサクラ病院の近くでシャン風の焼き物の店を開店した。
これが大ヒットとなり、メニューにこのティラピアが加わった。

焼き魚の独特の味付け(はらわたを取って、中に香草などを入れる)と香ばしさにたちまち大人気となり、ヤンゴン中にティラピアの焼き魚が広がった。

現在では複数の業者がこの魚を養殖しており、大成功しているそうだ。

私が知っている経緯は以上のようなものである。

このティラピアは市場では今でも「ジャパンガー(日本魚)」と呼ばれている。
なぜ、そのような名前がついたのか不明であるが、もしかしたらTさんの業績を称えて誰かがつけた名前なのかもしれない。

Tさんが開発したティラピアは今ではヤンゴン中で大人気になっている。
Tさん自身はビジネスを成功させることはできなかったが、先見の明があったことは確かだ。

ヤンゴン動物園(2)

2008年01月20日 | 旅行・観光
印象に残った動物(鳥)は写真のGREAT HORNBILL(ミャンマー語でアウンラウン)という鳥。日本語ではオオサイチョウというそうだ。
大きなクチバシの上に突起があって、ユーモラスな形をしている。
寿命は50年という長寿の鳥なのである。
ミャンマーは世界でも珍しい鳥がたくさんいることでも有名なのだ。
それだけ、ありのままの自然が残っているということだと思う。

ヤンゴン動物園(1)

2008年01月20日 | 旅行・観光
きのう土曜日、5歳の娘にせがまれてヤンゴン動物園に行くことになった。
土曜日ということもあって、園内は家族連れや小学生の団体などで賑わっていた。
ヤンゴン動物園は去年、創立100周年を迎えた由緒ある動物園なのである。
24年前に初めて観光旅行に来たときも、この動物園を見学したことがあるが、当時と全く違い公園全体が清潔になって、動物の種類も増えてよくなった。
写真は象さんのショーをやっているところ。
象さんの玉乗り、火の輪くぐり、踊り、逆立ちなどあり、面白かった。
動物園の入園料は500チャット(50円)
象さんショーの入場料100チャット(10円)

工場の中みたい

2008年01月19日 | ミャンマーでの生活
写真を見て、ここはどこだと思いますか?
実は自宅の浴室の中の様子なのです。

先月、洗濯機を新しいのに買い換えた。
前の洗濯機はAKIRA社製(どこの国のメーカーか不明)の半自動洗濯機(2槽タイプ)で何度も故障していたので、日本メーカー(日立製)に買い換えたのだ。

新しい洗濯機は全自動なので楽になるかと思いきや、水道の水圧が足りないという理由で、写真のようなモーター付ポンプを買わされることに。
(取り付け費用を含めて10万チャットかかった。)
このポンプによって水圧が上がり、洗濯機の中に水が自動的に取り込まれるというわけだ。

ところが、まだ1ヶ月も経っていないのに、このポンプの調子がおかしい。
水が取り込まれていないときも、まだこのポンプが回っている。
(空回りするとモーターが焼けてしまう)

それで、ポンプを取り付けた業者(インド人のおじさん)を呼んで修理してもらった。
ところが、その3日後またまたポンプが空回りしている。

何でそんなことになるのか理由を聞いたところ
「水道の水圧が強すぎるから」
ということだった。

あれっ???
水道の水圧が足りないから、このポンプを付けたのではなかったの。

追及すると
「洗濯機を動かすには水圧が足りないが、ポンプを動かすには水圧が強すぎるから...」

なんか納得できない理由だが、インド人のおじさんは水圧を調整するために水道の栓を微妙に調節してくださった。

今は順調に動いているようだが、またいつおかしくなるか。

それにしても、水が出るたびに「キーン」というモーター音がして、まるで工場の中にいるみたいなのである。