ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

またガセネタ?

2008年06月30日 | ミャンマーでの生活
先週から「ミャンマーの歌手、俳優、大事業家など10人以上が麻薬の所持または使用の容疑で一斉逮捕された。」という噂がヤンゴン中を駆け巡っていた。

有名女優、有名歌手が実名入りで噂になっていて、
「本当? 信じられない。」
「やっぱりね。」
という声もあったが、
今日発行のWEEKLY NEWS ELEVEN誌 の記事の中にミャンマー警察トップの話として、全くの事実無根で一人として逮捕者はいないという内容だった。

何でこんな変な噂が広まるのだろうか。

噂が広まった時点で、女優や歌手が自身で記者会見するとか、自身のホームページに事実を発表するとか、できないものだろうか。

まだまだ噂の社会、ミャンマーなのである。

追記:
憲法の翻訳はやっと第5章まで終わりました。

憲法の構成
前 文
第1章  国家の基本的原則
第2章  国家の構成形態
第3章  国家の元首
第4章  立法権
第5章  行政権
第6章  司法権
第7章  国軍
第8章  国籍と国民の権利、義務
第9章  選挙
第10章  政治政党
第11章  非常事態に関する規定
第12章  憲法の改正
第13章  国旗、国印、国歌と首都
第14章  移行期に関する規定
第15章  附則

これから最難関の司法権に取り組みます。

法学部出身の生徒に意味を聞きながらやっていますが、その生徒でさえ意味がわからない難解な言葉があり苦労しています。

まだまだ先は長~い。



環境副大臣、ミャンマー訪問

2008年06月29日 | ミャンマーでの生活
今日の国営紙の報道によると、昨日の6月28日、日本政府の環境省副大臣で自民党衆議院議員である桜井郁三氏(神奈川県選出)がミャンマーを訪問し、ミャンマー政府のテインセイン首相と会談したことが大きく写真入りで紹介されていた。

会談内容は書かれていなかったが、サイクロン被害の復興支援、世界的異常気象や海面上昇などによる災害対策などが話し合われたと推測できる。

日本側は副大臣というランクにもかかわらず、ミャンマー側は首相が出てきたというのは異例ではないだろうか。

しかも、環境副大臣も環境サミットと言われる「洞爺湖サミット」の準備でてんやわんやのはずなのに、この時期にミャンマーに来るというのも意外な感じがする。

それにしても、この副大臣の訪問についてはネットでも全く触れられておらず、また桜井氏のホームページにも記載されていない。

会談の中身が注目されそうだ。

日本語を教える難しさ(1)

2008年06月29日 | 日本語学校
ミャンマーへ来て12年目になるが、外国人に対して日本語を教える難しさは経験した人でないとわからないだろう。

今日は中級クラスで「付帯的状況」についての文法事項を教えた。
もちろん「付帯的状況」という難解な言葉を使っても理解させるのは難しいので、この言葉は出さない。

1.朝ごはんを 食べて 学校へ 行きます。
2.朝ごはんを 食べて、 学校へ 行きます。

上の2つの文の意味の違いがお分かりだろうか。
違っている点は、途中に句読点があるかないかだけである。

2.の意味は簡単。
朝ごはんを食べるのが先で、食べたあとに学校へ行くという意味。
(つまり前後の順番を表している。)

1.のほうが難しい。
これは朝ごはんを食べた状態で(つまりお腹が一杯の状態で)学校へ行くという意味なのだ。(これを難しい言葉で「付帯的状況」という。)

わかり易くするためにそれぞれの文を反対にしてみればよくわかる。

1.朝ごはんを 食べないで 学校へ 行きます。
2.学校へ行って、 朝ごはんを 食べます。

となり、全然意味が異なるということがわかる。

私たち日本人はこの違いがあることを意識しないで、自然に使い分けているのだ。

しかし、ここまでミャンマーの学生に説明しているとかえって学生たちが混乱してくる。

ミャンマー語にも似たような表現がある。
「歩いて行く」という表現は日本語の「付帯的状況」とほぼ同じなのだ。

しかし、すべての場合で同じというわけではない。

だから、普段のクラスでは句読点があるのと、ないのとではどう違うのかまでは説明しないでお茶を濁してしまうのだが、今日のクラスは特別に優秀な子が多いので、20分かけて説明してしまった。

学生たちは納得したようなしていないような顔をしていた。
やっぱり、説明しないほうがよかったかな....と反省。

サイクロン被災地の現状

2008年06月28日 | サイクロン関係
サイクロンからもうすぐ2ヶ月になろうとしている。

外国からのNGOからの救援活動も続いているが、活動内容は救援活動から復興への支援活動へと重点が変わってきている。

実は今日、日本のあるNGOの人と話ができた。
このNGOはサイクロンよりずっと以前から(たぶん何十年も前から)ミャンマーに協力センターや事務所を置き、農業関係の支援をやっている。

被災地の中でこのNGOが担当している地域はディダエー市で、米、食用油、塩、飲料水などの支援を行なっており、支援実績は金額にして200万円以上、受益者は14,000人というから立派な活動をしている。
しかも、すべて自分の手で被災者に届けている。

それから、復興のためにどんなニーズがあるのか、何が困っているのか、農民たちに直接ヒアリングしたそうだ。

その結果、今一番の課題は種籾がないこと。それから農作業用の水牛がいないことの2点だそうだ。

種籾については、政府(農業省傘下のミャンマー農産物サービス公社)が頑張って全国から種籾を集めて、現地に配給しているのだが、種籾にも何百と品種があり、現地の土壌や気候にマッチしていない例があるとのこと。

水牛はすぐには手当てできないので、政府が代わりに耕運機などの農業機械を配給しているそうだ。
しかし、農民たちにとっては農業機械を使うのは初めてなので戸惑いもあることだろう。

国営新聞などで、「支援活動はどんな人でも、どこの地域でも直接行くことができます。何も制限がありません。」とキャンペーンしているが、今の状況は外国人の場合、「移動許可証(Travel Permision)」がないと被災地に入れないことになっている。

実際、この方は昨日トゥンテー運河を渡るラインターヤー大橋前の検問で引っかかって、移動許可証がないために引き返したそうだ。

この移動許可証は社会福祉省の災害対策本部が発行しており、発行までに1週間くらいかかっているとのこと。

ミャンマーに拠点を持たないNGOはかなり苦労しているという話だった。

バス停の謎

2008年06月27日 | ミャンマーでの生活
今はミャンマーでは雨季の真っ最中で、今日も昼から冷たい雨が降っている。

写真はバス停で市内バスを待っているときに撮ったものだが、何が謎なのかお分かりだろうか。

実は私が今、立って写真をとっている場所が正しいバス停の位置なのである。

その証拠に今、立っている所にはバスを待つ客のためのベンチもあるし、屋根もちゃんとあるのだ。

しかし、バスを待っているお客さんたちはバス停では待たずに、バス停から30メートル離れた所で待っているのだ。
(写真の傘をさして立っている人たち)

最初はある限られたバス停だけだと思っていたが、そうでもなく、ほとんどのバス停でも同じようなことになっている。

特に私の学校の前のバス停は、バスが止まるためにわざわざ道幅が広くなっているのだが、お客さんたちはそこで待たずに、30メートル離れた道幅がまだ狭い所で待っている。

バスはそのお客さんたちが待っている所に止まる。

どうしてバス停で待たないでわざわざ30メートル離れた所で待つのであろうか。

以前、バスを待っている人に、

「どうしてバス停で待たないで、ここで待っているのですか。」

とバカな質問をしたことがある。

答えは「他の人たちが皆、ここで待っているから。」

至極まともな答えである。

そこで自分なりに3つの説を考えてみた。

●ミャンマー人せっかち説
バスを待っているミャンマーの人たちはなかなかバスが来ないので、イライラし少しでも早くバスが見えるように、または少しでも早く乗れるように、バス停からだんだんと前へ前へと移動した結果、こうなってしまった。

●木陰が好き説
30メートル離れて皆が待っている所にはなぜか大木が立っている。バス停の屋根の下より木の下のほうが木陰になり涼しいから、そこに移動した。

●バス団子並び説
ミャンマーのバスは来ないときは全然来ないが、来るときは4,5台まとめて来ることがある。
その場合、後ろに並んだバスは一体どこへ行くバスなのか、路線番号が見えない。
(写真では2台目のバスはほとんど見えない。)
後ろに並んだバスが先に出発することもあり、その場合、バス停で待っていたのでは乗れなくなってしまうのだ。
乗るバスを逃さないために前へ前へと移動した。

誰に聞いても答えられる人がいなかったので、3番の説が有力ということで一人で勝手に納得した。

グルメな娘たち

2008年06月26日 | ミャンマーでの生活

ビスケット、チョコレート、飴などお菓子は材料も味も製造方法も世界中共通のものと思っていた。

だから、自分は中国製だろうが、タイ製であろうが、気にしないで食べていた。

しかし、自分の娘たち(6歳と1歳半)は全然違う。

ちゃんと日本製のお菓子とそれ以外の国で製造されたお菓子を区別できるのだ。

娘には悪いが、一度実験をしてみたことがある。
ガラス瓶の中に、日本製のビスケット(森永製のチョイス)と中国製のビスケット(形も色もそっくりのもの)を混ぜて入れておいた。

わざと瓶の底に日本製を入れて、瓶のフタに近いほうに中国製のビスケットを入れておいた。
仕事から帰って瓶を見ると、なんと日本製のビスケットだけがきれいになくなっていた。

日本の両親からときどき日本の食品やお菓子を送ってくれる。
娘たちは日本のお菓子が大好きなので、食べろと言わなくても一人で食べている。
しかし、1種類だけ娘が食べないチョコレートがあった。

それは日本でも有名な「KIT KAT」というチョコレートだった。
なんでこのチョコレートだけ食べないのだろうと、よく包装紙を見てみると、「輸入元:ネッスル日本」になっていた。
つまり、外国から日本に輸入されたチョコレートだったのだ。

自分も食べてみてよく味わってみると、確かに甘ったるくて、日本のチョコレートのようなコクというか深みがない。

娘は6歳のくせに、こんな微妙な違いがわかるのだ。

下の娘(1歳半)もすごい。
日本製の即席ラーメン(サッポロ一番のしょうゆラーメンなど)なら、むしゃむしゃ食べるのだが、ミャンマー製の即席ラーメンはいやな顔をして食べない。

昨日はシティマートで富士りんごを買って食べさせたのだが、喜んで食べている。
実はシティマートの富士りんごは日本の富士りんごと同じ味がする。
路上で売られている富士りんごは偽物なのだが、こちらは全然食べない。

ウチの娘は二人揃ってグルメなので、安物でごまかすことは不可能なのである。

コピー合戦

2008年06月25日 | 日本語学校
ある生徒が持ってきた他の日本語学校の修了証(EM日本語学校となっている)を見てびっくりした。

その修了証に書いてある文言、書式、デザインが私の日本語学校のものとそっくりなのだ。
いや、そっくりというより100%コピーなのだ。

最近、ヤンゴン市内には日本語学校が乱立しているが、ほとんどの学校が私の学校のシステムを真似している。

コース名、コース内容、教材、時間数、授業料もほとんど同じなのだ。
しかも、スケジュール表の書き方、スタイルも全く同じなのだ。

真似をされるということは、良い日本語教育をやっていると認められているようなものだから、真似するだけなら大目に見ているが、修了証をそのままコピーして使われると、やっぱり頭に来る。

私の学校の修了証のデザインは地紋に薄い緑色で「○○○にほんごがっこう」と小さな字で800回入れてそれがデザインとなっているのだが、それもそのままコピーしている。

だから、EM日本語学校の修了証なのに、地紋にはウチの学校の名前が800回も入っているのである。(爆)

その学校の経営者が地紋の小さな字に気が付かなかったのかと思ったが、実はそうではないらしい。

生徒に聞いてみると、経営者はウチの学校と提携関係があるようなことをほのめかしているという。

生徒たちはこの学校がウチの姉妹校だと思っているらしい。

一度、抗議に行かなくてはならない。

「貸す?」「借りる?」

2008年06月24日 | 日本語学校
普段、ミャンマー人とミャンマー語で話しているときに困るのが、「貸す」「借りる」という表現。

ミャンマー語では「貸す」も「借りる」も「ンガーデー」という動詞を使うので、一体どちらがどちらに対して貸すなのか、借りるなのか、いつも戸惑うのだ。

だから、この動詞が出てくるといつも、
「ええっと、AさんがBさんに対して貸すんだよね。」と念を押さなければならない。

ちなみに、同じ「貸す」でもお金を貸す場合は「ンガーデー」ではなく「チーデー」という別の動詞を使う。

つまり、貸すものによって動詞が異なるのだが、「貸す」と「借りる」は同じ単語を使うのだ。

同じように「教える」と「習う」も「ティンデー」という同じ単語を使う。

この場合も同じように「AさんがBさんに教えるんだよね。」「BさんはAさんから習うんだよね。」と確認しながら会話しなければならない。

ミャンマーの人たちは会話の流れの中で、どちらがどちらに教えるのか、習うのか、貸すのか、借りるのか、瞬間的にわかるらしい。

逆にミャンマー人が日本語を学ぶときに、「貸す」「借りる」の混同がよく見られる。

「お金がないので、貸してください。」というべきなのに、
「お金がないので、借りてください。」という誤用がよく発生する。

同じように、
「先生は今、日本語を教えています。」というべきなのに、
「先生は今、日本語を習っています。」と間違うことがある。

このようにミャンマー人が日本語を学ぶときに、なぜ間違えるのかという原因を追究していくと面白いことがわかるのだ。

シティマートがまたオープン

2008年06月23日 | ミャンマーでの生活

ヤンゴン市内では大型スーパーが次々をオープンしているが、スーパーでは老舗のシティマートの新店舗がミニゴン(空港とダウンタウンのほぼ中間点)にオープンした。

以前はダゴンセンターというショッピングセンターの1階にあったが、爆発事件があったり昨年5月の大雨で地下倉庫が水浸しになって商品が大損害を受けるなど縁起が悪かったために、場所を移したという話。

今度はテナントではなくシティマート専用の建物を造ったことに特徴がある。
この建物はたぶんレンガを使わずに鉄骨と合成樹脂のパネル、プレハブの壁、ガラスだけで建てたのだろう。
ミャンマーにしてはずいぶん速いスピードで建物が完成した。

1階は駐車場とベーカリーが入っており、2階がスーパーになっている。
他のシティマートと品揃えはほぼ同じだと思ったが、店内は月曜日の昼時にもかかわらず大勢の買い物客でごった返していた。

寿司を売っているコーナーがあった。
1個600チャット(60円)から1550チャットという値段だった。
ミャンマーの人たちに寿司がどれだけ売れるのだろうと興味津々。

日本食品もわずかだが置いてあった。(品数にして10品目)
(いむら屋のあずき、ハウスクリームシチューの素、エバラ浅漬けの素、トンカツソース、トマトケチャップ、など)

残念ながら日本のお菓子は全然なかった。

実はこの写真を撮ったあとに店内から警備員が来て、
「店の写真を撮らないでください。」
と注意された。

別に店内で撮っているわけじゃないのに。。。。。とプンプン。

ミャンマー芸能人の海外公演

2008年06月22日 | イベント・行事

最近、ミャンマー芸能界の歌手が海外で公演したという記事をよく読むようになった。

写真の「ナンネッキン・ジャーナル(THE MORNING POST)」の第一面には歌手のダジンさん(NOというグループの中心的歌手)が日本に行って、東京と横浜で歌ったという記事が出ていた。

その右下にはサイサイカンラ、ピューピューチョーテイン、ティリージーマウンマウンなど5人の歌手がオーストラリアで公演したという記事があった。

何ヶ月か前に、女性歌手のソンテンパ(カチン人)さんが北欧(デンマーク、ノルウエー)に行って歌ったという記事もあった。

以前はタイのバンコクに行くのがポピュラーだったが、今はバンコクに行くのは珍しくなくなり、だんだんと行き先が遠くなっているのがおもしろい。

THE MORNING POSTジャーナル誌によると、ダジンさんはアジア子供教育基金の招待により5月24日から6月6日まで日本に滞在し、東京と横浜で公演したそうだ。

公演はダジンさんだけでなく、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムの歌手と競演で、「メコン川音楽祭」というタイトルのコンサートに出演したのだった。

5月26日は渋谷のエッグマン、5月27日は横浜の県立音楽堂で公演があった。

ちなみにダジンさんは以前、日本語を勉強したいと個人レッスンを申し込みに来てくれたが、残念ながら時間の都合がつかず、教えることができなかった。(残念!)

今、ヤンゴンで日本人の誰かに日本語を教わっていることだろう。

また10月に日本に行く予定だそうだ。

全国統一、高校卒業試験の合格発表

2008年06月21日 | ミャンマーでの生活

午前6時ごろ、職場近くの高校の前を通っているとき、多くの人たちが校門から入っていくのを見た。

今日が高校卒業試験の合格発表日なのだ。

今年の試験は3月11日から1週間にわたって行なわれた。

去年の合格発表は7月1日だったから、今年は10日も早くなった。
ちなみにおととしの発表は7月31日だった。

受験生にとっては、この試験の点数によって行ける大学が決まってしまい、同時に将来の進路も決まってしまう。

将来の仕事に直結している医学、工学(エンジニア関係)、コンピューターなどが人気があり、高得点をとった生徒しか行くことができない。
歴史学、ミャンマー語学、植物学、動物学といった専門では卒業しても就職口がないために人気がなく、合格者の中では最低レベルになる。

受験途中で試験を放棄する(わざと白紙の解答をする)生徒もいるくらいだ。
なぜかというと、中途半端に合格してしまうと、レベルの低い専門を選ぶことになり、将来の就職にも困難があるから、試験を放棄して次の年に挑戦したほうが得策なのだ。
一度合格してしまうと、再受験することができないのだ。

発表には受験者本人よりも父兄や塾の先生たちが見に来る人のほうが多かった。
たぶん、本人はドキドキして結果を見るのが怖いからだろう。

2時間目は鬼門

2008年06月20日 | 日本語学校

今、2時間目の授業(午前10:30~12:30)が終わったところだ。

いつも1時間目の授業(午前7:30~9:30)は順調に行くのだが、2時間目になると空腹になるのと疲れがたまるのとで、最近、授業中に軽い目眩がするようになった。

生徒には知られないように黒板の後ろのリクライニングで休み休み授業を続けているが、やはりもう年なのだろうか。

この2時間目の授業(中級)は、「一体どうしたんだろう」と思えるほど優秀な学生たちばかりが集まっている。
他の初級クラスで優秀だった生徒たちが選抜されて集まってきているようなクラスだ。

だから、手を抜くわけにもいかず、最高の授業ができるようにいつも頑張っている。

このクラスは中国系の子が多くて、難しい漢字もスラスラ書ける。

それに、インターナショナルスクールに通って英語がペラペラの中国人の女の子たちもいる。

中級では易しい漢字を240個ほど教えるのだが、教える必要がないくらい上手なのだ。
おまけに授業中の反応もすばらしく良い。

こんな優秀なクラスを受け持つのは初めてなので、このまま上級まで担当しようと決めたのであった。

今日の昼ごはん 2 (ダンバウ)

2008年06月19日 | レストラン・食べ物情報
「今日の昼ごはんシリーズ第2弾」

今日も学校の近くで昼ごはんを食べた。

行った場所は38通りに近いインド風ダンバウ(鶏肉ピラフ)のお店。

ピラフと書いたが、焼き飯ではなくカレー風味の炊き込みご飯と言ったほうが正確。

最近、ダンバウのお店が急に増えてきた。
老舗の店「チェッシャースン(鶏の舌先)」「ニーラー(サファイア)」などが有名だが、最近は今日食べた「ユザナ」も人気がある。

ご飯に鶏肉のモモの部分が1本入って、1500チャット(150円)。

ダンバウはパーティーやお布施の会などの集会でよく供される。
インド人だけでなく、ミャンマーの人たちはみんなこのダンバウが大好きだ。

ミャンマーで「うまい、安い、早い」の三拍子がそろっているのはダンバウだけかも。

ただし、ダンバウの店にはビールは置いていない。
(経営者がイスラム教の場合が多いようだ。)


追伸)
ミャンマー新憲法の翻訳について。

今、第4章「立法権」まで終わりました。
読みたい方はカテゴリーから「ミャンマー新憲法」をクリックしてください。

これから第5章「行政権」、第6章「司法権」という最大の難関があります。
これを乗り越えれば、あとは何とかなりそうです。
でも、途中で挫折するかも......

憲法は全15章で構成されています。

今年中に翻訳が完成するかもしれません。

今日の昼ごはん 1 (シャン・タミンチン)

2008年06月18日 | レストラン・食べ物情報
今日の昼は久しぶりに学校の近くのシャン料理の店で食べた。

アウンサン通りの46通り角から50通り角にかけてはシャン料理の店が4,5軒並んでいるシャン料理激戦区なのだ。

写真のシャン・タミンチンはシャン米(少し粘りがある)に、魚やトマト、油などから作ったソースをご飯に練りこんで作ったもので、おこわに似ているがもち米ではない。
豚肉のミンチとガーリック揚がトッピングされている。

これを鶏がらでとったスープと白いネギと一緒に食べる。
ちょっと油っぽいが、なかなか旨い。
日本人好みで病み付きになる味である。

これで1000チャット(100円)だから、お値打ちだと思う。

日本語プラスα

2008年06月17日 | 日本語学校
当地で日本語を教えていると、日本語以外のことも教えなければならないことが多い。

●地図の見方がわからない
 日本語能力試験の聴解(聞き取り試験)には必ず地図を使った問題が出てくる。
ところが、ミャンマーの学生たちは小中学校で地図の勉強をしていないらしく、どう見たらよいのかわからない学生が多い。
「駅の前の道をまっすぐ行って...」とテープが読んでも、「駅はどこ?」となってしまう。
駅は線路の印と四角で表してあるのだが、まずそこからわからない。

「交差点を右へ曲がって....」といっても右はどっちなのか、瞬間的に答えられない。
「銀行と本屋の間の道を入って....」という空間的概念もなかなか理解できない。

●グラフが読めない
 グラフには棒グラフ、折れ線グラフ、帯グラフ、円グラフ、レーダーチャートなどいろいろな形があるが、これらも小中学校でぜんぜん習っていないらしく、ゼロから教えてあげなければならない。
「このクラスで女性が占める割合は80%です。」というのを円グラフに書かせたことがあるが、正確に書けたのは50人中、2,3人だけだった。
「本当に高校卒業してるの?」と聞きたくなる。
「レーダーチャート」になると、もうさっぱりお手上げの状態なのだ。

●時刻表が読めない
 何年か前の日本語能力試験の聴解問題に列車の時刻表を使った問題が出た。縦に駅名が6つくらい並んでいて、横に列車の種類(普通、準急、急行、特急)が4つ並んでいる。
普通列車は始発駅を8:00に出発して途中の駅を8:10, 8:25, 8:35......と止まっていき、終点には9:00に到着する。特急は8:15に始発駅を出て、8:45に終点に着く...という具合に書いてあるのだが、これがさっぱりわからない。
特急は普通の後から出発して、終点には普通より早く着くという概念や、通過を意味する「レ」の記号が一体何なのかもぜんぜん見当がつかない。
 日本人はJRの時刻表など普段から時刻表の見方に慣れているが、ミャンマーでこんな時刻表を見たことがある人などいないだろう。
この時刻表の見方を教えるためだけに30分も費やしてしまった。

●チャット高の概念がわからない
1ドル=1000チャット
1ドル=1300チャット
どちらがチャット高ですか?と質問すると、必ず「1300チャットです。」となる。
理由は簡単、「1300チャットのほうが高いから」となる。
しかし、1000チャットが正解。
「1300チャットでやっと1ドルがもらえるのですよ。1000チャットで1ドルもらえるほうが価値があるよね。」と説明しても「......?」。

日本語を教える時間より、このような常識を教えている時間のほうが長いのではないかと思う。