ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

「皆さんにお知らせ」

2009年04月20日 | 日本語学校


長い間、「ミャンマー・日本語学校ブログ」をご愛読ありがとうございました。

急なことですが、この度このブログを閉鎖させていただくことになりました。

理由は「ミャンマーからgooブログにログインすることが不可能になった」からです。

ログインできないことは過去に何度かありましたが、一時的なもので、すぐに回復していたのですが、今回は10日以上ログインできず、恒常的なものと判断しました。

なお、以下のヤフーブログに引越ししていますので、引き続き応援お願いします!

アドレス名の中で、「japan1789」 ではなく 「japn1789」 になっているので注意してくださいね。


http://blogs.yahoo.co.jp/winjapn1789/

ブログのタイトルは「ミャンマー・日本語教室ブログ」です。

今までのgooブログと異なる点は

1.コメントは非公開とさせていただきました。

2.更新頻度は1週間に1、2回に減らしました。

3.自分の身近なことを中心に書くことにしました。

今までのブログに比べるとかなりつまらなくなるかもしれませんが、どうかご理解お願いします。

管理人より



地球儀を眺めながら....

2009年04月13日 | 日本語学校
教室の教卓の上にいつも地球儀を置いている。

いつか授業で役に立つかもしれないと考えて置いているわけだが、実際は授業にはあまり役に立っていない。

ただ、「緯度」「経度」という言葉を教えるときには役に立っている。

最近、授業の合間の空いた時間に地球儀を眺めることが多くなった。

地球儀を眺めているといろいろなことに気がつく。

1.ミャンマーは日本より南にあるのか?

当然、ミャンマーのほうが南に位置していると思いがちだが、場所によっては逆転していることをご存知だろうか。
ミャンマーの最北端、カチン州のカカボラジ山がある付近は日本、沖縄島より北になる。

2.首都ネーピードーは北緯20度ぴったり!

新首都のネーピードーは地球儀で見ると北緯20度の線とぴったりの場所に位置している。
もしかして、これが新首都の場所を選ぶときの決め手になったのかも???

ちなみに北緯20度の線をず~と東に延ばしてみると、ハワイのオアフ島に到着する。

3.ヤンゴンからニューヨークに行く最短ルートは?

生徒たちに「ヤンゴンからニューヨークまで一番早く行くには、どの方向に飛ぶのが一番早いですか?」と質問してみると「東方向(つまりタイ、ベトナムの方向)」と皆、同じように答える。

正解は「真北に飛ぶのが一番早い」のです。

ヤンゴンから北極を目指して真北にず~と飛んで、さらに飛んでいくとニューヨークに到着するのである。

このルートを使えば、東ルートでアメリカ西海岸のロスアンゼルスへ行くより早く着くかもしれない。

地球儀をボ~っと眺めているだけで色々な発見があって面白い。

日本の大学に留学を勧める記事(2)

2009年04月12日 | 日本語学校
7 DAYS NEWS JOURNAL、4月7日発行より

小さな広告スペースだったが、日本留学に関する広告があった。
以下、引用

「2010年に日本の大学に留学を希望する人たちへ」

●千葉工業大学
●岡山理科大学
●倉敷芸術科学大学
●神戸日本語集中講座

上記の大学などに留学希望の人は日本の教育関係の団体である○○教育
サービスが主催する留学説明会に出席してください。

日時:2009年4月29日
時間:午前10時から12時まで
場所:パークロイアルホテル

(引用終わり)

ヤンゴンには様々な日本留学を斡旋する機関が増えている。

自分は日本語学校を運営しているわけだが、これらの斡旋機関との関係は
どうなるのか(敵対?競合?共存?協力?)、未だによくわからない。

だが、ミャンマーの若者たちにとっては日本留学の機会が増えるだろうから、
その点では良いことである。

特に今回は理科系の大学なので、ミャンマーの若者(特に男子!)に
是非、留学してほしいと希望する。
(今までは文科系の大学ばかりだった。)

日本の大学に留学を勧める記事

2009年04月08日 | 日本語学校

(4月2日付、7 DAYS NEWS JOURNALより引用)

日本の「長崎国際大学」と「長崎短期大学」に留学できるチャンスがミャンマー人学生にも与えられるようになった。

長崎国際大学では国際観光学科や社会福祉学科で学ぶことができ、卒業すれば労働ビザで働くことができるように日本国内で就職を斡旋する。

長崎国際大学を受験する場合、受験料は15000円であり、初年度納付金は入学金、授業料、その他合わせて90万円以上になる。

日本語能力試験1級に合格している学生は授業料が半額ほど免除になる。

一方、長崎短期大学では英語学科、食物学科で学ぶことができ、初年度の納付金は70万円ほど。

ミャンマー国内で大学を卒業した学生は長崎国際大学で3年次から入学ができる。

2009年9月入学、2010年4月入学のために(ミャンマーで)入学準備講習会を開いている。

「長崎国際大学は今年からミャンマー人学生を受け入れることになったので、長崎国際大学のカリキュラムに従って、シラバスを組み、基礎から学ぶことができ、「するべきこと、してはいけないこと」なども併せて教えている。」と長崎国際大学入学のための準備講習会を開いている担当者が述べた。

長崎国際大学入学のための準備講習会を開いているのは「○○ INTERNATIONAL ACADEMY AND SERVICE」であり、長崎国際大学出身の教師○○氏が直接、教授している他、ミャンマー人講師3人も学科を教えている。(注:記事中では実名あり)

長崎国際大学を卒業した後は、その姉妹校がある英国、カナダ、オーストラリア、韓国、中国、タイにも留学できるシステムがある。

長崎国際大学は日本の南部、九州の佐世保市に位置し、2000年に開校した。
この大学には現在、香港、台湾、スリランカ、韓国の留学生が留学している。

(引用終わり)

この記事を読む限りでは、準備講習会で何を教えるのかよくわからないが、日本語の学習が含まれるのは確実だから、事実上また新しい日本語学校ができたことになる。

ミャンマー人学生の獲得のために日本の大学からのアプローチがミャンマーでも始まっている。


水掛け祭り前の試験終わる

2009年04月07日 | 日本語学校


来週から始まる水掛け祭りの連休を前に、日本語クラスの最終試験が次々と行なわれていたが、やっと最後の試験が終わってほっとしているところです。

写真は「2級読解」クラスの試験で、60人が試験を受けてくれた。

先週行なった「2級漢字」クラスの試験では63人の受験者だった。

最近は2級など上級クラスの生徒の数が多くなって、生徒のレベルもどんどん高くなってきている。

油断していると、鋭い質問が飛んできて教師のほうがオロオロしてしまうこともある。

12年前の開校のときは、2級クラスの生徒は5人ほどだったから、ずいぶん状況が変わったものだ。

狭い教室に60人も詰め込むと、暑さと人の熱気が相俟って地獄だったのだが、やっと解放された。

しかし、水掛け祭り後もまた大人数の新しいクラスが始まるので気を引き締めて頑張らないと。



空港へ見送り(2)

2009年04月06日 | 日本語学校
今日は現役の学校スタッフの一人がついに名古屋の日本語学校に留学するために出発するというので、ヤンゴン国際空港へ見送りに行った。

ヤンゴン空港へ見送りに行ったのは先月から3回目になる。

その他にも名古屋の日本語学校に留学する子が一人、東京の日本語学校に留学する子が一人いたので、皆の見送りに行ったわけだが、手違いにより東京に留学する子は先にもう出国手続きを済ませて、待合室ロビーに入ってしまったことが判明。

また、名古屋行きの二人もそれぞれバラバラに入って行ってしまい、結局3人で写真をパチリすることができなかった。
というわけで、今日は空港の写真がありません。

空港へ行くと、面白いことに必ず知人や教え子にばったり会う。

今日会ったのは、元教え子で今はヤンゴン外国語大学で日本語教師をしているMさん(女性)。

そして、もう一人は名古屋在住のミャンマー人と結婚して日本に行くという教え子のTさん(女性)。

旦那さんは日本の大手旅行会社で働いていて、これからお二人揃って日本へ出発するのだとか。

彼女は中上級のクラスで一番前の席に座っていた子でよく覚えている。
こぼれんばかりの嬉しそうな笑顔をしている彼女を見ていると、こっちまで楽しくなってくる。
あ~あ、うらやましい!

そういえば今日の国営新聞の結婚欄に、自分の教え子の名前があった。
彼女はMさんといい、もう10年も前に初級クラスの申し込みに一人で来校してくれたときのことをよく覚えている。
当時はまだ16歳で、高校卒業したばかりのあどけない表情が印象的だった。
普通、16歳の子は親が同行するのが普通だが、この子は実にしっかりとしていて、熱心に日本語クラスのことを質問していた。
その後、2003年に日本に留学して、それ以来、音信不通だった。

その子が今、東京在住で日本企業に勤めているミャンマー人エンジニアと結婚したという。
結婚式は東京都内の某有名ホテルで行なわれた。

やっぱりミャンマーの女の子は立派なミャンマー男性と結婚するのが一番幸せなのだろう。

今日はいろいろと嬉しいことが重なった。


↑は前々日に行なわれたお別れパーティーで。主役であるはずのお別れするスタッフより自分の娘のほうが目立っている。


空港へ見送り(1)

2009年03月29日 | 日本語学校


↑この三人のうち二人は学校スタッフだった。


28日、わが日本語学校で長年、スタッフとして働いていてくれた二人が日本に留学するために出発するというので、早速ヤンゴン国際空港へ見送りに行った。

飛行機は夜の8時に出発ということだが、早くも夕方4時に到着している子もいた。

普段は時間の観念がいい加減なのに、こういう時にはちゃんと早く来る。
いつもこういう心がけをしてくれるといいのだが。

空港の出発ロビーで待っていると、いるわいるわ......

自分の教え子たちが、

「先生、僕、東京の○○日本語学校へ行きます。」
「先生、わたし名古屋の○○学校へ行きます。」
「私は岐阜の○○大学別科です。」
「私は静岡の○○学校です。」

と次々とやって来るではないか。

数えてみると、12人になった。

「あのねえ、日本に行くのが決まったのなら教えてくれてもいいでしょ?」と皮肉を言う。
「すみませ~ん。いろいろと忙しくて....」と生徒たち。

生徒たちは今日を境に人生が変わると言っても良い。

皆、本当に嬉しそうな表情で今から始まる「日本地獄」をまだ知らない。

日本でいろいろな試練があるだろうが、負けずに頑張ってほしい。

よい留学生活になりますように。


↑東京の日本語学校に留学するという二人。

試験が終わって....また

2009年03月24日 | 日本語学校

約2週間にわたって全国統一大学入学資格試験が行なわれていたが、試験が終わってまた元の通りの計画停電となった。

試験期間中は朝から晩までずっと電気が来ているという夢のような生活だったが、今では遠い昔の思い出となってしまった。

試験が終わった受験生たちはどんなことをしているのか気になるが、だいたいは家でゆっくり休ませる家庭が多いようである。

ところで、ミャンマーの大学ランキングに大きな変化が出ていることがわかった。

トップは当然、医科大だと思っていたが、最近はそうでもない。

去年のランキング(合格最低点)を見ると、女子にとっては相変わらず医科大がトップであるが、男子にとってのトップは何とヤンゴン外国語大学(英語専攻)で、2番が海洋大学(船員を養成する課程)、次に外語大の中国語、日本語という順番になり、その次に医科大となる。

医科大より日本語学科の方が高いというのは驚きである。

文系と理系の違いはあるが、ヤンゴン外国語大学の人気が頂点に達していることがわかる。

それに引き換え、医科大の人気が下降気味なのが気になる。

医科大の学生は博士課程まで7年間も勉強し、さらに3年間地方の医療機関で研修医をしなければならないという長い下積み生活を強いられることが敬遠される理由であると思われる。

ヤンゴン外国語大学は以前は文系の中でも低いレベルであったが、今はトップとなっている。

外国に留学や就職する上で有利であること、場所がヤンゴン市内にあって通学に便利なことが人気を上げた原因である。

日本の大学に優秀な学生を推薦するとき、最近の5年間はずっとヤンゴン外国語大学の生徒たちが独占している。

本当は経済大学など他の大学の子を推薦したいのだが、基礎学力が断然勝っているのでどうしても外語大の学生を推薦せざるを得ない状態なのだ。

ところで、ランキングを見て驚くべきことがあった。
それは医科大の合格最低点が男子と女子とでは30点以上の開きがあることだ。

勿論、女子のほうが高得点を取らないと入学できないということになっている。

なぜなら、男子と女子を同じ扱いにしてしまうと、入学者がほとんど女子になってしまうからである。

それほどミャンマーでは女性のほうが学力の上で勝っているのである。

日本では理科系は男子の独壇場であるが、ミャンマーではそうではないのだ。

恐るべしミャンマー女子。

留学費用の下落

2009年03月18日 | 日本語学校

3月5日付、7 DAYS NEWS JOURNALより

世界的金融危機と各国通貨の下落、チャット高などにより、ミャンマーから海外へ留学する際、入学金、授業料などの留学費用も大幅に安くなっていることがわかった。

これは授業料などが安くなったのではなく、為替レートの変動によりこのような下落となったのである。

<1年前のレート(左側)と現在のレート(右側)の比較(下落率)>

イギリス留学    1ポンド=2600チャット→1600チャット(38%↓)
シンガポール留学  1シンガポールドル=900チャット→600チャット(33%↓)
マレーシア留学   1リンギット=380チャット→280チャット(26%↓)
豪州留学      1オーストリアドル=1100チャット→750チャット(32%↓)

記事にはなぜか日本留学に関しては触れられていなかった。

日本留学はまだマイナーなのかもしれないが、ミャンマーの若者にとっては一番留学したい国であることは確かなはずなのに、情報が手に入らなかったのだろうか。

ちなみに、今年の4月から日本に留学する学生数は自分が把握しているだけでも50人になる。


不登校の生徒たち

2009年03月17日 | 日本語学校

日本で不登校といえば、引きこもりとか、学校でのいじめなどが連想されるが、こちらではそうではない。

毎年恒例になっているのでもう慣れてしまったが、3月になるといつも真面目に登校していた学生たちが突然、来なくなるのである。

理由はかんたん。 日本留学が決まったからである。

日本の各種学校に4月入学する学生は2月末に日本入管からビザの交付/不交付の発表があり、交付された学生は日本留学のための手続きや準備などで忙しくなるというのが学生たちの言い分である。

特に今年は日本入管のビザ審査がかなり甘かったらしく、申請したほとんど全員がビザがもらえたようである。

自分が知っている範囲で50人以上、ビザが出たというから、今年の留学生の数はかなり多い。

確かに出発前に各種の手続きやら、買い物、親戚への挨拶回りなどで忙しいのは理解できるが、一日中準備しているわけでもあるまいし、朝7時半から9時半までの授業がなぜ出られなくなるのかわからない。
(それも土曜、日曜のクラスもあるのに)

一部の学生は「先生、日本留学が決まりました!」と報告に来るが、ほとんどは何も言わないで不登校になるのだ。(所詮、日本語学校は塾に過ぎないので仕方ないが....)

3ヶ月分の授業料を払って1ヶ月欠席するのが勿体無いと思わないのか不思議である。
日本留学できる家庭にとっては、こちらの授業料が安いから、何とも思っていないのかもしれない。

学生たちは3月末から4月初旬に日本へ出発するが、それまで1ヶ月の期間がある。
その1ヶ月を日本語の授業に出席しないで、ブランクを作ってしまうと、日本に到着したとき、ぱっと日本語が出て来なくて、まごついてしまうのは目に見えている。

自分は日本留学のための一番大切な準備は「日本語の学習を続けること」だと思うのに、それが理解してもらえなくて残念である。


続けて授業に出席してくれれば、ヤンゴンから日本までの渡航中の注意点や日本生活のアドバイスなど教えてあげることができるのに.....

授業はちょうど3月末に終わるようにスケジュールを組んであるのに.....

自分なんぞは日本に一時帰国するときでも、出発日の午後4時までみっちり授業をしているというのに。

ミャンマー人学生で出発日に授業に出てくる学生はまだ一人も出ていない。
これからも一人も現れないだろう。


と、愚痴ばかりの今日のブログでした。

コピー屋さん

2009年03月10日 | 日本語学校


ヤンゴン市内にも勿論、コピー屋がある。

学校から歩いて15分の所にあるこのコピー屋さんは、1枚10チャット(紙代含む。約0.9円)という安さ!

しかも量がまとまるとさらに割引があるというから、この店はいつも客で込んでいる。

車でわざわざ遠い所から来る人も多いという。

実は、学校で大量のコピーをするときはここでやってもらっている。

なぜなら、自分の所ででコピーするよりも安価になるからだ。

自前でコピーすると紙代、トナー代、メンテナンス費、故障の際の部品代、修理代など年間トータルして枚数で割ると原価が10チャットでは絶対に収まらない。

ここのコピー屋の様子を見ていると、自分たちで機械のメンテナンスや修理をやっているようだ。

それに年間、大量のコピー紙を使っているから、自前で大判の紙を仕入れて自分でコピー紙のサイズに裁断している。

コピー代が安いのは有難いことだが、生徒たちにとっても同じことで、ここで友達から教科書や参考書をコピーしてそのまま使っている者も多い。

街の本屋で販売されているオリジナル(といっても海賊版なのだが...)教科書を買うより、コピーしたほうが安くなるからである。

出版社にとっては頭が痛い問題である。

家では内職

2009年03月02日 | 日本語学校


自分は学校での仕事(日本語の授業)が終わって、我が家に帰ってゆっくりとくつろぐ....
というわけにはいかない。

ほぼ毎日、翻訳の仕事が入っていて、我が家でこれをこなさなければならない。

「他のミャンマー人スタッフに翻訳させないのですか?」
とよく質問されるが、翻訳スタッフのキャパを超えた分が自分に回ってくるわけで、
実際に依頼される翻訳の仕事はこの何倍もあるのだ。


昨晩は写真のようにどっさりと仕事をいただいた。

数えてみると13枚!

主にミャンマー語から日本語に翻訳するものが多いのだが、中には日本語からミャンマー語、英語から日本語というものもある。

納期はだいたい2日だから、これを昨晩と今晩の2回に分けて翻訳することになる。

1枚の翻訳時間は平均20分ほどだから、13枚というと260分。つまり4時間分の仕事になる。

1枚の翻訳料金は平均で4000チャット(400円)。
時給で1200円ということになる。

書類の山を前にして、うんざりすることもあるが、いつもこう考えることにしている。

「世界的な不況のために仕事がない人が多いのに、こんなに仕事がもらえることは本当にありがたいことだ。感謝しなければならない」と。

昨日の晩はずっと停電だったので、発電機を2時間回し、その間に消費したガソリン費用は3300チャット也。

だいたい1枚分の翻訳代がガソリン代として消えてしまった。


あづい

2009年03月02日 | 日本語学校


あづい。 

とにかく、あつい。

昨日の暑さは尋常ではなかった。

タクシーに乗っているとき、いつも開けっ放しの窓から風が入ってきて気持ちがいいものだが、昨日は熱風が入ってきて、その熱風が顔をやけどさせるような熱さで顔が痛くなったため、思わず窓を閉めてしまった。

そんな暑さの中、午後の一番暑い1時から3時まで2級の漢字の授業があったのだが、これがもうすごい暑さで、教室の中でさえ暑いのに、窓を開けるとさらに熱い熱風が入ってきて、窓を閉めても地獄(閉めると人から蒸発する汗のため蒸し暑くなる)、開けても地獄(さらに熱い熱風が入る)の状態で、窓を半開きにせざるを得なかった。

教室はビルの一番上にあって、屋根のすぐ下になるのだが、激しい直射日光を浴びている屋根の熱がそのまま伝わってくるように感じる。

授業中、暑さで意識が朦朧となり漢字を黒板(実際は白板)に書くとき、頭の中が真っ白になってしまった。
そのため、普段なら簡単に書ける漢字がわからなくなり、「解」の漢字の部分は「刀」だったか、「刃」だったか迷ってしまい、「刃」と間違って書いてしまった。

冷静に考えれば、「牛の角(つの)を刀でばらばらにする」という意味の「解」だから、「刀」になるはずなのだが、そのように冷静に考える思考力も停止させるほどの暑さだった。

ただでさえ暑いのに、それに加えて停電だから、発電機の「ゴー」という音が暑さを増幅してくれている。

ミャンマーで一番暑い時期(3月、4月)に突入した。

4月は水かけ祭りのため半分が休みになるから何とかなりそうだが、今月をどうやって乗り越えるか...

暑さと停電との闘いはまだまだ続く。

インターネット無料サービス開始!

2009年03月01日 | 日本語学校


「インターネット無料サービス」とは一体どこのことでしょうか?

実は私の日本語学校で始めたサービスなのです。(本校、分校共にサービス開始)

先月から日本語の授業に出席中の学生に限り、インターネットを無料で使用できるようにした。

学校にはブロードバンドが入っているから、ネットカフェより早く動くと早くも評判になっている。

ただし、使用には制限がありチャットやネットゲームは禁止している。

Gメールによるメールの送受信は可能で、もちろん日本語フォントも入っているので日本語でのやりとりに便利だ。

今のところ時間制限はないが、利用希望者が増えてきた場合は時間制限も設ける予定である。

最近、トレーダーズホテルでミャンマーでは初めてのインターネット無料サービス(宿泊客に限る)を始めたばかりであるが、うちの日本語学校が2番目の無料サービスとなった。

日本に留学を希望している生徒たちが、日本の学校についての情報を知るのに便利である。


日本語能力試験の発表

2009年02月26日 | 日本語学校

昨日の25日は日本語能力試験の発表があった。

合格通知と成績表はMAJA(元日本留学生協会)があるパールコンドミニアムで受け取れるようになっている。

時間がなかったので、タクシーで往復した。

自分はMAJAへ行くことは少ないのだが、今回は妻の兄と弟の結果を受け取りに行った。

結果としては、兄のほうが3級に合格していたが、弟は残念ながら2級に不合格だった。

弟がもし2級に合格していれば、10月から横浜の日本語学校に留学させる約束をしていたが、これで留学は諦めてもらうしかなくなった。

本人は2級に落ちても、3級に受かっているのだから留学させてくれるだろうと思っているだろうが、世の中そんなに甘くない。

3年間、仕事もせず3食メシ付きで同居させ、当方が800時間分の授業料を負担し、十分な勉強時間もあり、十分な機会、環境を与えたにもかかわらず合格できなかったのだから、仕方ない。

厳しすぎるかもしれないが、これからはミャンマーで自分の力で仕事を見つけ、自立してほしい。