ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

チャンネル権

2007年10月31日 | ミャンマーでの生活
ほぼ毎日、午後6時半に帰宅する。
ちょうど、6時半から(日本時間午後9時)からNHKの「ニュースWATCH-9」が始まる。
その番組を見たいのだが、ちょうどミャンマー国営放送(ミャワディ放送局)の韓国ドラマが放送される時間と重なってしまっている。
我が家は日本人1人(小さな娘たちは除く)に対してミャンマー人(正確に言うとカレン人)4人ということで、多数決により韓国ドラマにチャンネルを譲ることになる。
ドラマは8時まで続くのだが、ドラマが終わって「さあNHKを見るぞ!」チャンネルを替えてもニュースは終わっており、つまらない番組を見るしかないのだ。
さらに、午後9時半頃からはミャワディ放送局で別のドラマが始まる。
というわけで、夜はチャンネル権がまったくないのである。
それにしても、韓国ドラマの影響力はすごい。
ミャンマーの若者たちはファッション、髪型、スタイルなど韓国俳優から真似している。
日本のドラマは全く見られなくなった。
本当は日本のドラマのほうが、ずっと面白いのになあ。。。。。

ところで、韓国ドラマは吹き替えというのはなく、全部字幕スーパーで放送されている。
ミャンマーでは台詞をそっくりそのまま翻訳して字幕にしているので、ものすごいスピードで字幕が変わるのだ。台詞が早口で続く場面など、1秒もしないうちに次に切り替わる。あんなに早いと全部読めないと思うのだが、ミャンマー人は読めるらしい。
私はあんなに早いと字幕を読むだけで目が疲れてしまうので、韓国ドラマは見ないことにしている。

日本では映画の字幕は実際の台詞の30%くらいに要約して字幕にしている。
そうでないと、台詞を読むことばかりに集中して、肝心の俳優の表情や映像を楽しむどころではなくなるからだ。

8年前、TBS系の「ホテル」というドラマがミャンマーでも放送されたが、その番組の字幕を作る仕事を少しやったことがある。
気をきかせて、肝心なところだけ要約しながら字幕原稿を作ったのだが、
「台詞を全部翻訳しなければダメ!」と没にされた。
しかも、ストーリーと関係ないバックに流れている空港のアナウンスも翻訳させたり、されに、主人公の後ろでカウンターに並んでいるツアー客(エキストラ)がぼそぼそとしゃべっているのも翻訳しろと言われたこともある。(そんなのストーリーとは全く関係ないのに。。。。)
もっと、見る立場になって考えてほしいとアドバイスしたのだが、全く聞き入れてくれなかった。(ちなみに、40分のドラマ1本の翻訳に160分かかった。)

ミャンマー人と嫉妬

2007年10月30日 | ミャンマーでの生活
昨日、ミャンマー人(ビルマ族だけでなく諸民族も含む)の特徴を語るキーワードは「プライド」だと書いたが、二番目のキーワードは「嫉妬」だろう。
情が深いことの裏返しに「嫉妬」心が強い人たちである。
女性は嫉妬心が強いことは万国共通であるが、そのような女性特有の恋愛にからむ嫉妬心ではなく、ミャンマーでは大人の男性にも嫉妬心が強いということだ。

例えば、日本人男性Aはミャンマー男性Bと友人になったとする。彼と大変親しい間柄になり、ホームステイすることになった。
その後、日本人Aは一人でミャンマー国内を旅行した。その帰りのバスの中でCというミャンマー男性と仲良くなり意気投合した。
新しい友人CをBに紹介したくて、Bの家にCを連れて行く。
日本人Aは当然ながら、BとCが親しくなるだろうと期待していたが、さにあらず。
変な雰囲気が漂い始め、二人はお互いに顔を合わせようとせず、言葉も挨拶程度しか交わさないのだ。
これがミャンマー男性特有の嫉妬心の表れである。
このようなケースは実際、何度も経験した。

学校でも生徒間の嫉妬はよく見かける。
男子生徒のDとEは親しい友人だった。Dは日本語の勉強を続けたが、Eはミャンマーの会社に就職が決まったので日本語の勉強をやめることになった。
その後、Dは日本の大学に奨学金で留学した。数年後、失業したEがDの消息を尋ねるために学校に現れた。日本の大学に留学したことを伝えると、Dは喜ぶどころか顔が引きつり、呆然とした表情となった。

その他にも会社の職場でも、旺盛な嫉妬心が発揮される。
自分より後で入ってきた有能な後輩が上司に気に入られようものなら、寄ってたかっていやがらせをし、しまいには仕事をやめざるを得なくなるのだ。
そのような例は枚挙に暇がないくらいだ。

他人のことに無関心でドライな日本人も問題があるが、他人のことを気にし過ぎるミャンマー人もいかがなものかと思う。

ミャンマー人とプライド

2007年10月29日 | ミャンマーでの生活
こちらに10年住んだ経験からいうと、ミャンマー人(ビルマ族だけでなく諸民族も含む)の特徴を語るキーワードの一つは「プライド」だと思う。
まあ、プライドの高い人たちである。
ミャンマー人の「プライド」は「誇り」「自尊心」という価値の高いものより、
むしろ「面子」「面目」「世間体」「体裁」「見栄」「虚栄心」に近いのではあるまいか。

「自分を格好よく見せたい。自分は他の人よりずっといい立場にいる。
自分を高く見せたい。」という気持ちがいつも思考や行動を支配しているように見える。

例えば、学生たちに
「今は美容がブームだから、美容師を目指してみたら。」と勧めても、
「美容師やメイクの仕事はオカマがやる仕事だからいや!」

「じゃ、レストランのコックなんかどう?」と言うと
「料理を作るのは格好悪いからいや!」

「学校や塾の先生になるのはどう?」と言うと
「教師は給料が少ないからいや!」(オイオイ、先生の前でそんなこと言うの?)

それじゃ、一体何になりたいのと聞くと
「もちろん、社長です。」
あ~あ。だめだ、こりゃ。

うちの妻も同じで、未だに職のない妻の兄と弟に、
「屋台でも出してコロッケとかタコ焼きでも売ってみさせては?」と提案しても、
「屋台なんかとんでもない。そんな格好悪いことはさせたくない。世間体があるでしょ。」
と見事に却下された。
「物事には順序があって日本人もみんな最初は下積みで苦労しているのだよ。
屋台だって立派な仕事だと思うけど」と諭しても全く理解できないのだ。
ミャンマーには「下積み」という言葉がないし、そのような概念がない。

私が10年前にミャンマーに来て日本語学校を始めた当初の1年半は、教室の屋根裏部屋に住んでネズミやゴキブリと同居していた。
(他の日本人だったら、誰も住めないだろう。)
1日の生活費は100円程度。朝食はパン(といっても2口で食べられるほど小さい)と水だけだった。
アパートを借りようという発想などぜんぜんなかった。
(黒字になるまで絶対にアパートを借りないぞと決心していた。)
もちろん、洗濯は自分が手でやっていたし、掃除もアイロンがけも自分でやっていた。
そんな下積みの苦労があったからこそ、今の成功があるということを生徒たちにも教えているのだが、ぜんぜん理解できていないようだ。

ミャンマーでは一生懸命働くことは尊いことだ思う人はたぶん一人もいないのだろう。
汗水垂らして働くのは格好悪いし貧乏人がやること。金持ちは働かなくていいし、楽して儲けるのが格好いいのだと信じている。
残念ながら、この国が発展しないのはここに大きな原因があると思う。

ミャンマーの結婚披露宴

2007年10月28日 | イベント・行事
教え子の一人(女性)から結婚披露宴に招待されたので出席した。
普段は授業があって出席できないことが多いが、今は平日に4コマ(8時間)集中して担当しているので、土曜と日曜は午後から時間が空いている。
教え子の結婚披露宴に出席するのは2年ぶりになる。
ミャンマーの結婚披露宴は気楽に参加できるのでよい。
特に盛装しなくてもよいしご祝儀の習慣もないので、適当な贈り物(だいたい3千円くらい)を包装紙に包んで受付で渡すだけである。
招待状には12時半から2時半までとなっているが、新郎・新婦が入場するのはその30分から1時間あとになる。
その間どうしているかというと、生バンドと有名歌手がステージに登場して歌を歌い、出席者はそれをBGM代わりに談笑しているのである。
今回は1時15分に入場して来た。
それから、花の首飾りが新郎・新婦にかけられ(かける人は二人がお世話になった人)、
指輪をはめる儀式があり、お祝いの拍手があって、それから軽食(サンドイッチx1、ケーキx2、アイスクリームx1、コーヒーまたは紅茶)の時間が30分ほどあるだけ。
招待客の一人が席を立つと、次から次へとみんな立ち上がって出口へ急ぐ。
時計を見ると、まだ1時50分。新郎・新婦が登場してまだ35分しか経っていない。
どうしてみんなそんなに急ぐのだろう。
せっかくのめでたい席なのだから、もっとゆっくりしていいのにといつも思う。
ミャンマーの結婚披露宴っていつもこんなパターンで終わるのである。
私は披露宴のデコレーション(花飾り)や、氷の彫刻などじっくり勧賞して最後に宴会場を後にした。

ところで、軽食タイム中も有名歌手が次から次へと登場して歌を聞かせてくれる。
(写真はソンテンパーさん。彼女もかなり有名な歌手)
有名な歌手が10人ほど登場したが、ギャラは1曲5000チャット(500円)くらいだとか。まあ、たった3分で5000チャットなのだから時給としてはいいのだろうが、それにしても有名歌手というプライドはないのだろうか。
一番残念だと思ったのは、歌手が歌っているとき、だれも歌っている方も見ないし、歌っている途中でみんな席を立って帰ってしまったことだ。
もうちょっと、気をきかせてもいいのでは?
やっぱり歌はただのBGM?
だったら、わざわざ歌手を呼ばなくてもテープで音楽を流せばいいんじゃないの。

BAKショッピングセンター(内観)

2007年10月27日 | ミャンマーでの生活
BAKとはボーアウンジョー通り(BO AUNG KYAW STREET)の略語である。
ファションの店を中心に、若者がターゲットの店が並んでいる。
店のデコレーションも陳列の仕方も随分とセンスが良くなっている。
誰かが指導しているのだろうか。
ここにいると、ミャンマーに住んでいることを忘れてしまいそうだ。

BAKショッピングセンター(外観)

2007年10月27日 | ミャンマーでの生活
自宅のすぐ近くにBAKショッピングセンターが出来て2週間ほどになる。
立地条件の良さもあって、連日大賑わいである。
駐車スペースが少ないことが難点であるが、集客能力では現在ナンバーワンのダゴンセンターにも匹敵する。
現在はダウンタウンの東側が発展してきているようだ。

新しい炊飯器

2007年10月26日 | ミャンマーでの生活
先々週、日立(タイ)製の新しい炊飯器を買った。だいたい9000円くらいだった。
この炊飯器なら、普通のミャンマー白米、バスマティライス(長粒の香り米)、もち米、玄米など種類に応じてスイッチ一つでおいしく炊いてくれる。
古い炊飯器も同時に使っているが、やっぱり出来上がり状態がぜんぜん違う。

最近、ミャンマー産のバスマティライスが食べられるようになった。
(値段は2kgで300円くらい)
ミャンマー米の最高級品種であるポーサンムエーと比べても、味覚、香り、食べごたえなどずっと優れている。
妻もこのバスマティライスが大好きになり、病み付きになった。

10年前は、こんな便利な炊飯器や、バスマティライスなど高級米はなかった。
ミャンマーもだんだんと食生活が変わってきている。

ダディンジュ前夜

2007年10月25日 | イベント・行事
明日はミャンマー暦で7番目の月であるダディンジュ月の満月の日。
仏教徒にとっては特別の日である。
私はキリスト教なのであまり関係はないが、仏教徒がほとんどの生徒たちにとっては特別の日であるらしい。
もちろん、会社や役所、学校も全部休みになる。
予想していた通り、今日の授業は欠席する生徒がかなりいた。
8月から始まった雨安居(うあんご、仏教徒が特に精進する期間)が明ける日でもある。
雨安居の期間中は結婚式、コンサート、引越し、家の改修などは控えることになっているが、明日からは自由にできるようになる。
早速、教え子の一人から結婚式の招待状が届いた。
マンションの外は子どもたちが打ち上げている花火の音でうるさいくらいだ。
10年前はダディンジュに花火で遊ぶという習慣はなかったのに、いつの間にかダディンジュ恒例の行事になってしまった。
明日の休みはゆっくり我が家で休むことにしよう。
(といっても、2級の模擬試験問題を作成するという宿題があるが。。。。。)

クラスの雰囲気

2007年10月24日 | 日本語学校
ミャンマーへ来て、日本語学校の先生になってもう11年になろうとしている。
この11年の間に担当したクラスは180クラスになった。
直接、授業を担当した教え子の数も7000人以上になっている。
面白いことは、同じレベルのクラスでも、クラスによってぜんぜん雰囲気が違うことだ。
今、火曜日から金曜日までの4日間、中級クラスを2クラス受け持っているが、
午後1時半のクラスと、午後4時のクラスではぜんぜん雰囲気が違う。
1時半のクラスは、初級クラスで特に優秀だった生徒ばかりが選抜されて集められたように、ものすごく反応がよく活気があって授業がやりやすい。
声が大きくて、こちらが圧倒されそうになる。
こんなに優秀な学生が集まったクラスは11年の中で初めてだと思う。
これに対して、午後4時のクラスは、まったくダメ。
質問しても、反応がぜんぜんない。
T:「今日はどんな天気ですか」
S:「(し~ん)」
T:「日本語の勉強はどうですか」
S:「(し~ん)」
特に最後列に陣取っている男たち。その男たちと一緒におしゃべりばかりしている女たち。一体、何しに学校に来ているの?
携帯電話は鳴り放題だし、いくら注意しても聞かないし。
まあ、こういうクラスもあるのかなと諦め半分。
私の学校は、金八先生のようにダメな学生を励まして立ち直らせたり、精神論を説いたりということは全くしない。
やる気のある、本当に勉強したい学生だけ相手にし、やる気のない学生は来てもらわなくても結構というスタンスなのだ。
とにかく、この出来の悪いクラスは早く終わらせたいものだ。

翻訳のお仕事

2007年10月23日 | 日本語学校
先週から火曜日から木曜日までは、朝7:30から午後6:00までびっしり授業が入っているが、それに加えて翻訳の仕事も大切な仕事になっている。
毎日、平均20枚の翻訳をしているが、ほとんどスタッフが翻訳したものをチェックしてサインするだけだ。
でも、ときどきスタッフに出来ないものが自分に回ってくる。
そうすると、自宅に持ち帰ってするしかない。
今日もお得意さんの一人がミャンマー語の手紙を持ってきた。
この手紙を日本語に直して、日本にファックスするという。
A4サイズ1枚を翻訳しても200円しか売上にならないが、小遣い程度にはなる。
実は日本に住んでいたときも、ミャンマー語の翻訳をやっていたが、そのときは1枚1万円だった。それだけ、翻訳できる人がいなかったということだろう。
(今はだいぶ相場が下がっていると思われる。)
翻訳が終わったら、今度は1級漢字の最終試験問題を作成しなければならない。
他の日本語学校では、市販の問題集をコピーして使っている所が多いらしいが、私は自分でオリジナルの試験問題を作る主義で、それだけ時間と手間をかけている。
今夜は何時に寝られるだろうか。

1級の漢字

2007年10月22日 | 日本語学校
日本語能力試験の1級に合格するためには漢字2000個マスターしなければならない。
「1級の漢字」クラスでは、1日に20個ずつ漢字を教えているが、
棄、敷、猟、寡、膨、簿、縫、癖、弊、幣........
など難しい漢字がゾロゾロ出てくる。
生徒たちに先生が黒板に堂々と大きな字を書いて見本を示さなければならないが、
これがとても難しい。紙に書くときはなんとも思わないのだが、黒板に大きな字で書こうとすると、ときどき頭の中が真っ白になってしまうのだ。
金縛りに遭ったように、手が動かなくなる。
これは教師をやった人でなければわからないだろう。
それで、授業が始まる前は何度も黒板に書く練習をするのである。
こんな難しい漢字を1日に20個教えるのも大変だし、生徒にとって覚えるのはもっと大変なことだろう。
ところで、「棄」の字について、正確な書き順が未だにわからない。
(書き順を教えてくれるサイトがありますか?)

水ぼうそうにかかった

2007年10月20日 | ミャンマーでの生活
昨日まで元気だった5歳の娘の顔に大きな赤い斑点がぼつぼつと表れた。
体にも赤い斑点が所々にある。
斑点が大きく盛り上がっているので、普通の湿疹やかぶれではないことはすぐわかった。
まさか、はしか(ウェッテッ)では?
いや、予防注射はしているから、はしかではないと思ったが、
早速、小児科の医者に診てもらったら、
「水ぼうそう(イェーチャウ)ですね。」
と言われた。
そうか。水ぼうそうという病気があった。
ネットで調べると他人から感染する病気だそうで、潜伏期間は14日と書いてあった。
日記を読み直し、今日から14日前にどこへ行ったか調べてみると、
ちょうど2週間前の日曜日(10月7日)に、セインゲーハーデパートに行ったことが判明。
そのデパートの中に子どもたちが遊べるプレイランドがある。
(このプレイランドについては9月19日のブログで紹介した。)

その日は日曜日で、遊び場は大勢の子どもたちですごい混雑をしていた。
本能的に「ちょっとまずいかな。(何がまずいかわからないが)」と感じたが、
娘は平気で大勢の子ども達の中に入って、一緒に遊んでいた。
このときに水ぼうそうの病原菌を持った子がいて、その子から感染したのだろう。
屋内の施設で天井も低いし、感染しやすい条件が揃っていたのだ。

病院で塗り薬をもらって、自宅療養することになった。
3日目が一番ひどくなるとネットに書いてあったので、明日はもっとひどくなるのだろう。
かわいそうだが、我慢してもらうしかない。
幼稚園は来週の1週間、休ませることにした。
(写真は昨日行なわれた日本人学校、幼稚部の発表会の様子です。さて、私の娘はどの子でしょうか?)

雨期が明けたみたいです

2007年10月19日 | ミャンマーでの生活
今日は朝から強い日差しがギラギラ照りつけている。
おとといの雨が雨期最後の雨だったようだ。
日本なら「梅雨明け宣言」を出すところだが、ここミャンマーではそのような宣言はなく、各自で感じ取っているのだろう。
でも、天気予報などあってもほとんど見ないミャンマー人。
季節の移り変わりにもあまり関心を持たないようで、妻も
「雨期が終わったからといって、それがどうしたの?」
と全く意に介さないようす。
季節の移り変わりに敏感なのは日本人だけ?
(写真は午前7時に撮影した自宅マンションからの風景です。)

朝から晩まで授業

2007年10月19日 | 日本語学校
今週からまた新しいクラスが始まったので、火曜日、水曜日、木曜日の3日は朝7時半から夜6時まで、ほとんど連続で授業を受け持っている。
今日こなした授業は、
1時限 7:30~9:30 日本語能力試験2級の対策講座 58名
2時限 10:30~12:30 日本語能力試験1級の対策講座 22名
3時限 13:30~15:30 中級クラス(新) 50名
4時限 16:00~18:00 中級クラス 63名
3時限目が新たに加わったことにより1日8時間、教壇に立つことになった。
朝は6時半には出勤しているし、帰りは午後6時半になるので、丸々12時間は働いていることになる。
4コマ目になると、ほとんど意識が朦朧としてくる。
普段は校長という役目なので受け持つ授業は少ないのだが、今回の騒動の影響によって、新しく赴任してくる予定だった日本人の先生(女性)が来られなくなったので、そのしわ寄せが一気にかかってきたのだ。
10年前はまだ若かったので1日8時間の授業も平気だったが、もう40歳半ばの身にはさすがにこたえる。

授業をキャンセルしようかと思ったが、たくさんの学生さん(50人)が集まってくれたので、中止にするわけにはいかなかった。
さらに、来月には先月実施されたIT技術者試験に合格した学生100名に初級クラスを開かなければならない。
どうやって、教師をやりくりすればいいのか、頭がいたい。
でも、今のミャンマーの国内状況にもかかわらず、たくさんの生徒さんが来てくれることに本当に感謝している。

人材開発センター建設中止

2007年10月18日 | ミャンマーでの生活
報道された通り、日本政府の無償資金援助によりヤンゴン市内(ヤンゴン大学内)に建設予定だった「日本・ミャンマー人材開発センター」の建設が中止になった。
今回の騒動による制裁の一環である。
このセンターには日本に関する書籍を中心とした図書館、視聴覚室、教室、多目的室などが入り、ビジネス講座や日本語教育が行なわれる予定だった。
確か5年前から、コンサルタント会社の人やJICA(国際協力機構)の人が私の学校を訪ねて意見を求めて来た。
私は「センターで日本語教育をすれば、私たちと競合することになる。官が民の事業を妨害することになりかねない。」と反対の立場だった。
しかし、日本語の学習者にとっては、図書館の利用などメリットがあるだろうから、総論的には賛成とした。
この事業の予算は5億円。中止になってよかったのかどうか、複雑な気持ちになった。
学生たちに聞いてみると、「中止になってよかったです!」ときっぱり。
意外な返事にびっくりした

以下は関連記事。(外務省のブリーフィング記事)

わが国政府は、ミャンマー連邦政府に対し、「日本・ミャンマー人材開発センター建設計画」(the Project for Construction of the Myanmar-Japan Center for Human Resources Development)の実施に資することを目的として、総額4億900万円を限度とする額の無償資金協力を行うこととし、このための書簡の交換が平成17年6月27日(月曜日)、ヤンゴンにおいて、わが方小田野展丈駐ミャンマー国大使と先方ソー・ター国家計画経済開発大臣(Soe Tha, Minister for National Planning and Economic Development)との間で行われた。
この計画は、市場経済化のための経済・経営講座、交流事業、日本語教育の3事業の実施を目的として、ヤンゴン大学敷地内に「日本・ミャンマー人材開発センター」を建設し、今後、我が国によるミャンマーの経済構造改革、市場経済化のための人材育成や学術・文化交流を実施する際の拠点とするものである。
同センターにおいては、経済・経営講座の実施により、市場経済化に対応し得る人材を育成し、ミャンマーの経済構造改革を促進するとともに、相互理解促進事業や日本語教育の実施を通じて二国間関係が更に強化されることが期待される。
 なお、わが国はアセアン新規加盟国のうち同様のセンター建設のための支援をベトナム、カンボジア、ラオスにおいて実施済みであり、今般ミャンマーにおいて同センターを建設することは、わが国が積極的に推進しているメコン地域開発イニシアティブの一環である。