ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

懐かしのインヤーレイクホテル(2)

2008年01月30日 | ホテル情報
でも、このホテルが嫌いになったわけではない。

ホテルのすぐ目の前がインヤー湖畔で、朝散歩するのがとても気持ちが良かった。

このホテルのフロント係の男性Mさん(当時40歳くらい)と親しくなって、彼の車(マツダのジープ)で町を案内してもらったり、彼の家で食事をご馳走になったりした。

Mさんはラングーン外国語学院(現ヤンゴン外国語大学)で2年間日本語を学んだこともあり、日本語がとても上手だった。

その後、彼とは何年か日本語で文通が続いたが、突然脳梗塞で亡くなったという知らせを聞いた。
彼の夢は日本に行くことだったが夢が叶わないまま人生を終えてしまった。

先週、ほぼ25年ぶりにこのホテルに来る機会があった。
25年前のことが本当に懐かしく思い出された。

(注:ホテルは最近、外国資本によって全面的に改装され高級ホテルとして生まれ変わっています。)

懐かしのインヤーレイクホテル(1)

2008年01月30日 | ホテル情報
25年前の1983年3月、初めてヤンゴン(当時はラングーン)に到着した。
ヤンゴンで最初に泊まったホテルがインヤーレイクホテルなのである。
(写真は現在のもの)

1970年代に旧ソ連の援助によって建設されたホテルで、当時では最も豪華なホテルだった。
しかし当時は国営ということもあって、サービスはひどいものだった。

まず部屋の鍵がかからない。
従業員がノックもせずに平気で入ってきて、「何か手伝いましょうか?」と聞いてくる。

バスタプにお湯を入れようとしたら、黒くて砂まじりの水が出てきた。
結局、お湯が出ることはなかった。

天井にはたくさんのヤモリ君がいて、「ケッケー」と大きな声で泣いている。

エアコンも音だけ「ゴー」とやかましく、ほとんど冷気が出ていなかった。
うるさいのでスイッチを切った。

まどのカーテンにはカビが生えていた。

到着したのが夜でお腹がすいたので、ホテルの食堂で食べることにした。
1階のロビーの奥が食堂になっているのだが、薄暗くてだだっ広いスペースに誰もいなかった。
奥からウエイターらしき男性が出てきたので、メニューを持ってくるように頼んだ。

ウエイターの最初の一言が
「あまりお勧めできないけど、食べますか。」だった。

注文して料理が出てくるまで30分かかった。
注文したのはミャンマー風鶏肉カレーだったが、あのまずさは半端ではなかった。
料理と一緒に出てきたパンも固くてまずくて食べられなかった。
デザートのバナナも黒く萎びていた。