OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

谷根千散歩・その5

2013年05月25日 | お出かけ

先週、谷根千エリアを歩いて来ました。
その5、といっても約2年振り。シリーズ化してるわりには久し振り過ぎる・・

しばらく訪れない間に、新しいお店が何軒もオープンしていました。

まず午前中から並ぶというパン屋さん、「ボンジュールモジョモジョ」にて動物パンを購入。
        
根津の超路地裏にあります。グーグルマップのGPSも曖昧だった・・
そして撮影の許可を快く頂いたのに、路地が狭過ぎてうまく撮れませんでした。


ランチまで時間があったので、かねてより入ってみたかったギャラリーカフェへ向かうも、
 
まさかのクローズド。定休日でもないし開店時間もとっくに過ぎてたのに・・

ええ、谷根千では珍しくないのです^^;きっと何か事情があるのね。

すぐに気を取り直して、谷根千のランドマーク・カヤバ珈琲へ。
        
愛されて再生・復活した古民家カフェです。今回の記事はコチラ


そしてランチはまた根津に戻り、ゆうカフェでビーフシチュー。
         
やわらかくてうまうまです♪今回の記事はコチラ
ゆうカフェも古民家再生カフェです。元は昭和初期の米屋さんだったそう。

どこを歩いても、レトロな建物・風格のある建物・古いけど味のある家屋や店、、、何かしらに出会えます。

   
手打ち・釜揚げうどんの「釜竹」の石蔵。明治43年築だそう。


話題のベーグル屋さんやフロランタン専門店などが並ぶオシャレな一角。
へび道にあります。
 


今では珍しい、ノコギリ屋根の会社。
 
 

谷中・初音小路。ディープな横丁。
       


そして2年前の散策時にはなかった、谷中・かき氷専門店の「ひみつ堂」

日光の天然氷と自家製の天然果汁“純粋氷蜜(ひみつ)” を使った絶品のかき氷だって。
しかも手動のかき氷機だそうで、入ってみたい!

      
     
こちらも2年前はなかった「和栗や」のソフトクリーム。
大人気のようで、店内は混雑していたため、ソフトクリームだけ買いました。


そして、存在感・風格あり過ぎの「串揚げ はん亭」。
明治からある総けやき造り3階建ての日本家屋で、登録有形文化財です。
     
この家屋の一角にある「茶房はん亭」にて甘味で一息つきました。
ここは初めて入ります。記事はコチラ


一応おおまかな予定は組んだのですが、
途中で行ってみたい場所や店を思い付いたり思い出したり・・
結局、根津~千駄木~谷中を2往復しました。

歩いて、見て、食べて、、、の繰り返し。谷根千散策は広いが故、忙しい♪
まだ未訪問エリアもあるので、まだまだ終わらない谷根千散歩です。

それにしても、谷根千に来るとデジイチが欲しくなります。(常に欲しいけど)
昭和の風景や古い建物をちゃんと撮りたい!



こちらも開いているのを見たことがない古民家ギャラリー&週末カフェ。
        
   
「間間間(さんけんま)」さんです。気になります・・




上野動物園&谷根千散歩
トリノ・エジプト展&谷根千散歩その2
谷根千散歩・その3
谷根千散歩・その4

コメント (6)
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江戸城跡☆石垣にも歴史あり

2013年05月21日 | お出かけ

今までは何気なく通り過ぎてしまっていた「城門」と「石垣」。
今年に入って皇居東御苑を訪ね歩くたびに、城門や石垣にもそれぞれに歴史があることを知り、すっかりハマってしまいました。

城門については一部アップしたので(まだまだあるけど^^;)、今日は石垣のことをこれも一部アップしたいと思います。
※画像は3月に撮影したもの



皇居東御苑(江戸城跡)内、本丸跡と二の丸跡をつなぐ坂道、「汐見坂」。

この坂の両脇の石垣をよく見ると、石の積み方が全く異なることに気が付きます。

これは年代による技術の違いだそう。

右側の石垣は三代将軍家光時代の石垣で、
「切込み接(きりこみはぎ)・布積み」※という年代的に新しい技術
隙間なく整然と積み上げられています。威厳もあり厳かな印象。



それに対し、
左側の石垣は、二代将軍秀忠時代の石垣で、「打込み接(うちこみはぎ)・乱積み」※という年代的に古い技術
横方向の石が不揃いで、ところどころ隙間にも小さな石を詰め込んであります。どこか野性的な印象。

※打ち込接、切込み接は積み石の加工状態
※乱積み、布積みは積み石の積み方

   


石垣を見て、石を加工する技術や積み重ねる技術の進歩が分かり、だいたいの年代がわかる、ということを知りました。

ところで今では想像もつきませんが、
かつては「日比谷入江」と呼ばれる海面が江戸城のすぐそばまで迫っており、東京湾を見下ろすことができたことから「汐見坂」と名付けられたそうです。
そして江戸時代の初期頃に大量の土砂で埋め立てられ、大名屋敷が建ち並ぶ景色が広がっていたんだって。それも今では丸の内高層ビル群です。

あと、今は石垣のみですが、汐見坂の坂上には「汐見坂門」という門があったのだそう。




お次は、江戸城へ登城するための門のうちのひとつ、三番目の門、中之門跡。
(登城は、大手門・大手三之門・大手中之門・中雀門の四つの門を通らなければならなかった)

中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、目地がほとんど無い「布積み」の石垣で、丁寧に加工された大形の石材が隙間なく積む「切込み接」の技法で積まれています。
平成17年(2005)から平成19年(2007)まで20ヶ月かけて解体・修復工事が行われました。
解体・修復の際には様々な遺物が出土・発見されたとか。


また石垣に使われているのは、瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩で、
西国大名から献上されたと考えられます。
こうした石垣は、大名の登城路や天守台主要な部分だけにみられるものです

今は土台の石垣のみですが、江戸時代はこの土台に櫓や多門が建ち並び重厚な門があったらしく、圧巻だったことでしょう。


中之門を通って左に進むと、大形の石材が積まれた石垣が見られます。
本丸正門の中雀門前の石垣なのですが、焼け焦げたようになっています

明暦の大火(振袖火事)の際、燃えた天守台にあった石垣で使えるものに関しては、中雀門前の石垣に転用して築くよう命じられたんだとか。
リサイクルされていたのですね、いやリユースか。


 
そして四番目の門、本丸正門の中雀門跡。

中雀門は、文久3年(1863年)の火災で本丸御殿が焼けた時に類焼したそうで、石垣の表面は熱によりこげた跡がありデコボコになっています。





凄まじい火事だったことを、物語っています。


そして、ここがかなりの大きさの門であったことがうかがえる門柱の跡。


登城には四つの門を通る必要があったと書きましたが、江戸城本丸前は先ほどの「中之門」と「中雀門」の、二重の堅固な構えで守られていたのですね~


石垣が物語る歴史を垣間見ながら往時を想像し、散策するのもいいものです。
江戸城の歴史の名残はまだまだ都心の各地にあるので、少しずつ歩いてみようと思います。



☆千代田区観光協会、皇居参観ガイド等、参考。



城門記事→江戸城跡☆城門あれこれ 
         江戸城跡☆城門めぐり~北桔橋門・乾門~
        江戸城跡☆城門めぐり~平川門~

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ある日のポッポ

2013年05月16日 | 

変わり映えしませんが、ポッポの画像です。
GW、伊東へ行って来た時に撮ってきました。




母の手から、ひまわりの種をもらおうとしています。
エサ箱にいっぱい入っているのに・・



母がちょっとふざけて手を引くと、
ぐいーんと首を伸ばしてget



レタスもよく食べます。



で、、、例によって、おべんと^^;



そしてティッシュの空き箱の角をかじる。

角をかじるのが塩梅いいようです^^;
向きを変えてあげて、4角かじりました。


今年で41歳いや42歳かな?まだまだこども元気です(笑




ポッポの過去画像・記事は、カテゴリーの「鳥」からどうぞ^-^

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これがホントの生茶

2013年05月12日 | 暮らしの中で

伊東の母宅に、摘みたての生の茶葉がありました。
お隣の奥さんにいただいたそうです。

母が静岡へ移住して10数年ですが、
これは母も初めてのことだそう。





お隣の奥さんに教えてもらった通りお湯で少し煮出して
鍋のまま、30分ほど放置。飲む直前に少し温め直して



湯呑みに注いでいただきます。

色は薄いけど、フレッシュなお茶の味です。
時間がたつにつれ、味が濃くなるので
好みに合わせて放置時間を調節します。

ちょっと手間はかかるけど、これがホントの生茶!

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江戸の名残り☆日比谷公園

2013年05月08日 | お出かけ

地元散策したり、1泊で伊東の母宅へ行ったりで、数日PCから離れてました。
前回の続きです。


皇居外苑や桜田門近辺を歩きまわった後、
警視庁の真ん前(真横!?)にある日比谷公園へ入りました。

そういえば日比谷公園は、江戸時代は大名の屋敷があった場所で、江戸城の遺構がわずかにあったな~と思い出したので(そんな理由^^;)

でも、しばし遺構のことは忘れ新緑に癒やされ涼みながら、のんびり歩きました。

日比谷公園は、日本人のための都市公園として
日本人の設計者によりつくられた日本初の洋式公園だそうです。






新緑の向こう、クラシックで風格のある建物は、、、



松本楼です。入ったのはもう20年くらい前ですが、カレーが美味しかった。

森の中に鎮座するこの建物は、大変な歴史があります。

・1903年に銀座から移転してオープンし、
・日比谷焼打事件など、度々政治活動の舞台となり、
・1923年、関東大震災により消失、
・東京に空襲が始まると海軍省の将校宿舎となり、
・終戦後にはGHQ宿舎として接収され、約7年に渡り営業できない日々が続き、
・1971年11月、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化、2代目建物も焼失の憂き目にあう。
(Wikipediaより抜粋)

ということは建物は3代目なんですね~しかも今年で110年!!
これぞまさに歴史あるお店ですね。

   
創業当時から松本楼を見守ってきたという、大木「首かけイチョウ」。樹齢400年くらいだそう。
日比谷交差点で切られかかっていたところを、移植は無理だという反対の声に対し、東大農学部教授・本田静六博士が「首にかけても移植してみせる」と語ったことから「首掛けのイチョウ」と呼ばれているんだって。



  
開園当初からある鋳鉄製の水飲み場。今はもちろん使えません。


 

有楽門から


そして有楽門を入ったところにある「日比谷見附跡」コレですよ、江戸の名残り。


      
江戸城外殻城門のひとつ、日比谷御門の一部。
江戸城にはかつて36ヶ所の城門があり、警備・見張りの施設(見附)が置かれていました。
都内にはほかに、市ヶ谷見附・四谷見附・赤坂見附など地名として残っています。

日比谷見附は野面積み(のづらづみ)の石垣で、江戸時代初期の築造なんだって。
城の外側から順に、高麗門・枡形・渡櫓・番所が石垣で囲まれていましたが、石垣の一部だけがここに残ってるのだそう。

日比谷公園がかつて江戸城外郭の一部であったことを、感じられる場所なのです。

石垣の上は歩けるようになっています。(ベンチも有り)

当時、石垣の西側は濠となっていましたが、公園造成時に面影を偲び心字池とした、と書いてありました。


今年に入って城門や石垣に興味を感じるようになり、今まで何気なく歩いていた日比谷公園を、全然違った視点で見ることができました。


おまけ画像☆
    
日比谷公園から東京駅へ歩いて戻る途中、東京駅丸の内南口に新しく出来た「KITTE」を通り抜けました。
エスカレーターに大行列で、なかなか上へ行けないようでしたよ
私達はほかに目的があったので素通り^^;



そうそう日比谷公園ではこの日、なにかのイベントをやっていて、ステージにあのエアバンドのボーカルの方が来ていました。


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皇居外苑散歩☆二重橋と皇居正門~工事中の桜田門

2013年05月04日 | お出かけ

GW前半、4月のよく晴れた日曜日に、夫と皇居外苑や日比谷公園を散歩してきました。

午後からの遅い出発。まずは東京駅で下車して新丸ビルの地下から大手町へ。
東京駅やその周辺は激混みなので、永楽ビルの地下にあるナチュラルカフェでランチ、また東京駅方面に戻って皇居外苑までテクテク。
(皇居外苑は前にアップした皇居東御苑とは違います)


皇居正門近くから見た、皇居前広場。

画像では伝わりませんが、結構広いです。真夏は相当暑いかと・・。


皇居正門です。

皇居正門はかつては西の丸大手門であり、
元々はこの門のすぐ前に高麗門(こうらいもん)があって
枡形門(ますがたもん)となっていたが、明治21年の宮殿造営の際に高麗門が撤去され、渡櫓門のみとなって、翌年から名称も正門と改められた・・とのことです。
なんで高麗門とっちゃったのーー!!


正門の手前にかかる、正門石橋です。右奥に見えるのは伏見櫓(ふしみやぐら)。

ここで記念撮影をする人が多いのですが(絵になるし)、これは二重橋ではありません
江戸時代は土で出来た「土橋」でしたが、現在は石で出来た橋で「正門石橋」が正式名称となるそうです。

そして本当の二重橋は、、、


こちら、正門鉄橋(せいもんてつばし)です。

皇居参観ガイドによると、ここは以前は木製の橋だったそうです。
堀が大変深いために、江戸時代には橋桁を上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたために「二重橋」と呼ばれていましたが、現在は鉄製になりましたので
「正門鉄橋」が正式名称になります。
よって現在は二重橋とは言わないのだそうな。
地下鉄の駅名にもあるのに、今は二重橋という橋はないのね・・



そして工事中の桜田門(逆にレア)

前に来た時も工事中だった・・
桜田門と警視庁のコラボが撮りたいのに。


ここからはおまけ画像(オマケの方が多い!?)
  
一応、警視庁だけ撮ってみた。


  
刑事ドラマでも時々見る、警視庁の横の道。涼しい~




桜田門を出たところから見た国会議事堂方面。



国会前交差点から見た警視庁、の裏側。


GWにこんなとこ歩いてる夫婦なんて、2~3組しかいなくて(それでもいた)快適でした^-^;

次は緑と涼しさと、歴史の名残りを求めて日比谷公園へ。。。



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駅のホームにエコマーク

2013年05月01日 | リサイクル

昨日は残業で22時まで会社にいました~
週の始まり+月末+入金約定日が重なり、今までにない業務量でした
私が派遣であの部署に入って丸6年、初めてかもしれない。(21時まではよくあったけど)


さて本題、
ノートやトイレットペーパー、レジ袋など身近なもので見かけることの多いエコマーク。

駅のホームにて、ふと視線を落とすと、、、

  
タイルにもエコマークがついていたりします。
JR東日本品川駅の横須賀線、横浜・久里浜方面ホームのベンチ脇にあります。

JR東日本の、駅や電車などから出るガラスビンを再利用しているそう。

あるのは前から知っていましたが、ラッシュ時はいつも満席の長いベンチが、
この日は夜遅かったので、座っていたのは私ともうひとりだけ。これはチャンスと撮影しました。
(夜のホームで地面にスマホを向けるアヤシイ女^^;)

JR東日本は、太陽光発電や雨水利用、93年から切符のリサイクルなど、ほかにも様々な環境活動に取り組んでいます。
この表示、かなり端っこにあって全然目立たないので、もっと人が並ぶあたりに表示すればいいのになぁ・・と思いました。
(踏まれちゃうから端っこなのかな)

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