OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

今日で15周年☆

2021年09月19日 | ご挨拶・お知らせ・転機

2019年滋賀京都の途中ですが・・・

ご訪問ありがとうございます
ブログを始めて今日で丸15年が経ちました!
16年目突入です。

マイペース更新で、続きモノを連続して書けないことしばしばですが
一度も休止することなく続けて来れたのは、ご訪問下さる皆さまのおかげです。
いつもご訪問下さる皆様も、時々チェックして下さる方も、何かの検索で読んで下さった方も、
本当にありがとうございます。


毎回書いていますが、
blogを始めた2006年はまだ社員OLで、その後派遣OLに変わりしばらくは事務職でしたが、
2013年に自然派素材の菓子製造・販売の小さな会社に移り、
blogタイトルが合わなくなりました。
でもこのままでいこうと思います。

10周年の時もやったのですが、
ブログ上での、この15年を極々簡単に振り返ってみたいと思います。
※内容は10周年の時のを短く編集+5年分にしています。


2006年☆

まだ大手カード会社の社員でした。事務職です。
なのでブログ名は「OL主婦の~」なんです。
エコ・環境問題や生き物に関しての話題を広めたくて始めました。
でもまだ知識も浅かったし、最初からそれを前面に出すと興味のある人しか見に来ないと思い、身近な話題を主に書いていました。
しかし今見ると、画像も暗いし絵文字も多くて初々しい。


2007年☆

3月に会社を辞めました。
でも翌月から同じ会社の違う部署で派遣社員として働きます。
この頃の記事には書いてませんが、実は不妊治療のために会社を辞めました。
自転車を買い、近所の川沿いや畑・田んぼ沿い、緑地の多い住宅街などのんびり走って、本当によくもまぁ毎日走った!
地元を満喫していました。地産地消を意識していたので(今もですが)よく農家のお宅の前で売っている地場野菜を買いに行ったり。
バードウォッチングもするので、野鳥友達ともよく出掛けました。
この頃から散策記事に絡み、エコ記事や、外来植物のことなど身近な環境のこともボチボチ書いています。
この年に「OL主婦のごはん日記」という新たなブログも始めています(8ヶ月でやめた^^;)。


2008年☆

この年をザッと読み返してみると、何が本当のエコなのか環境に負荷をかけないのか、常に模索していたのがわかります。
お菓子ひとつにしても、どういうものを買えばゴミが少なくて済むか、またゴミが出るにしても環境負荷が低い素材にしたり、パン屋さんやお惣菜屋さんにタッパー持ちこみを試したり
数あるエコの中でも地産地消と3Rは常に意識していました。
合成洗剤をやめたのもこの年で、石けん・重曹・クエン酸・セスキなどのナチュラル素材で家事をしていましたね~
(今も使い分けています)
そしてハーブ&アロマの教室に通い、特にアロマテラピーにハマった年。
この年の終わりにアロマテラピー検定1級とエコ検定に合格しています。


2009年☆

いよいよ?エコ・環境問題の記事が大半を占めます
普通のお出掛けや旅行記事も、もちろんありますが、
ネットでも会社でもエコ友達が出来ました。
ほぼ月イチで環境イベントに出掛けていました。

とにかく環境問題への知識欲が半端なく、講演会や環境展、小さなカフェでのイベントにも参加してました。
中でも、パームオイル問題のトークイベントや、外来種問題の講演、ほかには枝廣淳子さんの環境講演や野口健さんの環境講演が強く影響を与えています。
しかしなんといってもアースデイ東京2009のボランティアに参加したことが一大イベント
メンバーとは終わった後も交流があり、どれも忘れられない思い出です。
環境に配慮した買い物・フードマイレージ・オーガニック・地産地消・フェアトレード・自然保護・野生動物の現状・排水を汚さない生活など、記事はあげればキリがありません。
2007~2010年くらいまでは、家事と買い物を中心に、可能な範囲で行動の指針がエコでした。
そういえば事務職派遣と並行して、土日と平日も少し自然食品店で働いていました。
自然食やカフェのブログ、ゆるゆる自然食Lifeを始めたのもこの年。
古民家カフェやナチュラルテイストのカフェめぐりも始めました~


2010年☆

家の新築(夫の実家を二世帯住宅に改築)と引っ越しで駆け抜けた1年
家を建てること自体に多大なエネルギーを要することと、予算や二世帯という事情もあり、いろいろなジレンマと戦った年でした。
「環境を考えた新築」シリーズは、エコを最優先にはできないものの、もがいていたのがわかります(笑。
でもナチュラルインテリアなど、自分のやりたいようにやらせてくれた夫には感謝しています。
9月には自然食品店を辞め事務職派遣のみに戻ります。
11月には伊東に住む実父が他界しました。
いまひとつ納得がいかない死に、いろいろな後悔が頭をめぐりましたが友人の言葉で救われました。
そういえば、右肩と右肘を壊し、痛い1年でした(今もですが)。


2011年☆

3月11日14:46、小田急線町田駅のホーム。
ようやくの思いで翌12日午前3時に帰宅するも、自分の帰宅難民なんて被害のうちに入らないと思い知ることに
とにかく絶句、言い表せない衝撃、胸がしめつけられ心が痛い毎日。仕事以外は出掛ける気にもなれない。
4月に入って義母が誘い出してくれ、やっと外に出始める。
自分にできることは「被災地や風評被害にあった地域のものを買う」ことや「大震災を忘れない」ことでした。
それは今も同じです。
この年の富山旅行でたまたま立ち寄った無人駅の、その趣きのある駅舎に惹かれ、無人駅めぐりに目覚める
ナチュラルお掃除の記事も多い。純喫茶にも惹かれ始める。


2012年☆

父の他界後、伊東の母宅へは毎月行っていました。
散策や義父のリサイクルシリーズ、エコ雑貨、引っ越して落ち着いた家の中の様子などの記事も多いです。
冬の旭山動物園、嵐のワクワク学校2012、秋田・青森旅行(秋田の横手で「内蔵」の存在を知る)、宝塚の舞台やTOKIOの武道館ライブへも。


2013年☆

元々歴史あるものや古いものが好きなこともあり、前半は皇居東御苑(江戸城跡)によく行きました。
中でも城門や石垣にハマる。

本郷の井戸ポンプを見付ける散策へもよく行きました。
めまいと頭痛にも悩まされたな~~
しかしなんといっても、この年に長らく従事していた事務職にピリオドを打ちます
派遣で入り、社員になり、また派遣に戻るという3段階でお勤めした仕事も本当にこれで最後!でした。
2010年に自然食品店は辞めてしまったけど(肩や腕を壊し、父の病気のこともあり)、やっぱり自然食材にかかわる仕事がしたいなという気持ちは、ずっとありました。
そんな時、出会いました。
食材はほぼ自然派で、合成添加物とは無縁のおやつ。
自分的には年齢がネックだったけど門を叩き、アルバイト入社を果たします。
福島・宮城の旅では、大内宿に会津鉄道駅巡りや震災の爪痕と仮設商店街をめぐる
嵐のライブへも初めて行きました。


2014年☆

2010年頃からハマりだしたカフェめぐりに加え2012年頃には喫茶店もめぐり始め、この年もよく巡った。
街角レトロ散歩など、とにかくよく出掛けた印象があります。
嵐のワクワク学校2014にも当選。
仕事は入社してから1年は、売場はもちろん本店厨房の片付けや通販の発送作業など、製造以外はなんでもやりました。
1年経ったこの年の半ばくらいから、催事・出張販売に行くようになる(自分からやりたいとアピールした)。
毎回5~7連勤でよく働いたなぁ・・
埼玉にある、減量化リサイクル化総合プラント「石坂産業」さんの工場見学をさせてもらったのもこの年。
嵐のライブはこの年も当選して行ったし、会社の女子にSMAPのライブへ連れてってもらった。
この年の後半から膝のこわばり?違和感に気付く


2015年☆

とにかく忙しく、更新頻度は低い1年。※今よりはあったな^^;
でも暇を見付けてはよく出掛けていました。鉄道博物館のハシゴもした。
お出掛け記事とウチのナチュラルインテリア・雑貨が多い気がする。それしか書く時間がなかったような・・
9月には会社で2号店(自由が丘)がオープン、その運営をなんとなく任されるようになり、催事販売と二足のわらじ。
しかし忙しい中、V6の20周年記念ライブに連れてってもらった。
この年は嵐ライブは落選だったけど、なんだかんだで毎年ジャニコンに行けていた(笑。
レトロ建築巡りもやたらと行っていたと思う。


2016年☆

休みはあるけどとにかく多忙。
途中から正式に自由が丘店の責任者になり、店舗運営はもちろん家でやる仕事が増え、気の休まることがない。
LINEで指示や伝達、シフト作成に、毎日ツイッターや時々スタッフブログ、たまに食ベログの編集・・
なんだかんだ楽しんでいる自分がいた。頑張って頑張ってやっと掴んだ自分の居場所。
しかし膝も痛いし、右肘も痛い。
しかも夫がGISTという年間に10万人に対して1人から2人くらいとされる、まれな希少がん(腫瘍)で入院
いろいろなことと戦う毎日です。
この年の12月に純喫茶・初の遠征、大阪純喫茶巡り


2017年☆

1月に箱根の老舗旅館でイヤな思いをしたのも今や思い出。
掛川花鳥園へも行った(3年ごとに行っている)
長引く膝の痛みは半月板損傷と判明する→3年近くに及ぶ膝の痛みは
ちなみに現在半月板水平断裂に悪化しています。
任されていた2号店の自由が丘店が閉店、朝からたくさんの常連さん、午後は行列になり華々しく閉店日を迎えました。
そしてこの年の記念日旅行は四国!と大阪。
生きているうちに行けないと思っていた「別子銅山」の遺構や、ホビートレイン目当ての宇和島駅その他へ連れてってもらえた。
ここから炭鉱跡や銅山跡に興味が深くなる。


2018年

1月は夫と長野・松本旅行へ。このあたりの2~3年は記念日旅行以外にもプチ旅行へ行っていた。
4月は初の名古屋純喫茶り巡り。5月にはキャンベルタウン野鳥の森(埼玉)へ。
8月にインスタグラムを始める。
記念日旅行は岩手宮城。釜石鉱山跡や宮城県の化女沼レジャーランド跡にも行けた。
12月には嵐のアニバーサリーツアー「5×20」東京ドーム!!
レトロ散策はやたらと台東区と文京区を歩いていたような。
遊廓跡や花街跡を意識しだしたのもこの頃。


2019年

この年も仕事は忙しかったけど、レトロ建築めぐりに相当行っていました。
5月には熱海の純喫茶・レトロ建築めぐり。熱海は伊東の母宅へ行く際によく立ち寄るけど、ガッツリ2日間巡った。
7月には、高校生の頃半年間一緒に暮らしたこともある伯母が他界し、急遽鳥取へ。
何十年振りに会う従姉弟やその子供たち。
記事にも書きましたが、最終日は従姉夫婦が倉吉のレトロスポットへ連れて行ってくれました。
記念日旅行は滋賀・京都へ(只今更新中)
そして11月には嵐のライブ「5×10」札幌ドーム(友人が当選・私は東京落選)。


2020年

来ました2020年。1月前半はまだまだ普通に過ごしていましたね。
1月半ばに新型コロナウィルスの感染者が確認され、1月後半にはマスクが品薄になり、
仕事先の店舗で「さっきマスク入ったからどうぞ」と1枚分けて頂けたことは忘れません。
でもまだ2月は友人や同僚と何回も出かけていました。
2月の名古屋純喫茶巡りもマスクはしつつ決行。
3月、伊東の母宅へ行って帰宅後、東京の感染者が急に2ケタに増えたのを覚えています。
4月に入って初めての緊急事態宣言が出され、仕事と生活の買い物以外はどこへも行けなくなりました。
これ以降、伊東母宅へは行けていませんが
秋に少し感染者が減った頃、急遽予約して記念日旅行は行きました(記事アップは相当先になります・・)。


2021年

2020年夏くらいには、我ら一般人にもコロナ対応が色々わかってきて、
引き続きマスク・ソーシャルディスタンス・黙食・換気・密を避けるなど感染防止対策はしつつ、
ごくたまに友人と出かけたり、夫と映画も観に行ったり。
友人とも現地集合・現地解散。一緒に電車乗るとどうしてもしゃべっちゃうから。
それも4月以降はしていない。お酒を飲みにはこの1年半皆無です。
あ、でも仕事ですが宇都宮へ出張は行きました。休業前の人の少ない旅館へも。
今でも仕事の休憩時間にはレトロ建築探しをしています。
今の趣味が、密でない純喫茶や人のいないようなところを歩く趣味で良かった。

いつかコロナ禍のことはまとめて書きたいな・・と思ってはいます。


別ブログ・ゆるゆる自然食Lifeは、12周年を迎えました!
当初は自然食カフェや古民家カフェ、オーガニック・無添加食材などを綴っていましたが
2011年頃から純喫茶へも行くようになり、今でも可能な範囲で自然食材を使った生活はしていますが、記事は純喫茶濃い目になっています^^;
こちらもよろしくお願い致します!




2019年11月、札幌へ行った時の写真です。
今の滋賀京都が終わって、ノスタルジック東京シリーズを少しアップしたらとりかかろうと思います。








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2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)

2021年09月08日 | 旅行・小旅行

いつものように間が空いてしまいましたが、まだまだ続く2019年の滋賀京都。

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)

最初に書きましたが毎年恒例、主人との秋の記念日旅行。
(実際の結婚記念日は11月末だけど仕事状況により毎年10月か11月半ば)

記念日旅行の宿泊地は夫が決めます。
彼はゆっくりしたく、「温泉と食事」に重きを置くのでレトロや風情だけでは選んでもらえません。
でも2019年は「滋賀に行く」と言ったので、ひそかに「わぁ~い」と思いました笑

別に亭主関白とかそういうのではなく、行けば結局はどこでも付き合ってくれるのです。
(炭鉱跡や鉱山跡は道が悪い・狭いから嫌がるけど)

さて、彦根では前回記事の「花しょうぶ通り」を歩いて、彦根城へ行く時間はなかったので、同じエリアの
袋町遊廓跡を急いで撮り歩きました。本当に急いでいた。

なので撮り方が画一的で申し訳ないです。



袋町遊廓。袋町という地名は今は無く、現在の河原二丁目の一角になります。
持っている「全国遊廓案内」によると、彦根町遊郭として記載がありました。
明治9年創立、貸座敷65軒、娼妓約85名、なぜか福岡、佐賀、埼玉の女が多い、とあります。

現在は小料理屋・スナック街になっています。


当時の屋号もかかげたままです。
こうしてスナックなどに転用されていると入ってみたくなる。

横長の木造建築・大和塀や弁柄格子・手すりの透かし彫りなど
色街風情というのか、花街のような雰囲気もあります。混在していたのかな。
どちらにしても、やっぱり城下町に遊里あり。川もあり。

















植木がいっぱい。
路地に弁柄格子に店先の園芸。
過去と現在の境目のような錯覚に・・・浸っている暇はなく^^;




こちらもすごく風情があります。
お住まいのようでした。


2階の大和塀が素晴らしい料亭。
うわーー入ってみたいなぁ!




左側の透かし彫りとか、もっと接写してくればよかった。






こちらはもう営業してなさそう、斜め入口の元スナック?
いい雰囲気だから建物このまま活用されるといいな。

全体的に空き家は少なく、転業スナックや普通にお住まいだったり、寂れた感はありませんでした。
いや2年前だから今はわからないけど・・
中には昭和中期か後期かに建て替えたっぽい小さなビルもありますが、それも時を経て味が出ています。
しかしながら、木造の遺構の存在感が印象に残りました。

後から色々調べたら見逃しているものが多かったので、いつか再訪したい本気で。

次は醒ヶ井のヴォーリズ建築や、そのあとは鉱山跡へ!



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2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)

2021年08月19日 | 旅行・小旅行

2019年秋の滋賀京都、1日目豊郷町を出た後は彦根へ向かいました。


これまでの記事☆

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)

彦根にはヴォーリズ建築や彦根城近辺にも見たい建物がたくさんありました。
でも、いつも特に見たいものがない主人が、今回の旅行では珍しくいくつか訪問希望を言ってきたので(そのひとつが豊郷小学校旧校舎群)、
時間的な折り合いをつけなければなりません。
いつもいつも私の行きたいところ付き合ってくれますし。


彦根に着いて最初に歩いたのが「花しょうぶ通り」
その入口(出口?)に建つのが、

大正7年築の滋賀中央信用金庫銀座支店
(旧明治銀行彦根支店)登録有形文化財









和風建築の理容室。



「くるパー看板」は新しい。
これ見付けると嬉しいです。


風情ある和風建築や近代建築も並びます。








午後の日差しと影のツートンになってしまったけど、看板建築が素敵な「宇水理髪館」
登録有形文化財。
インスタの投稿で何度か目にして、滋賀へ行くなら是非見たいと思っていました。


タイルとか斜め取っ手とか、窓ガラスもドアの感じもバランス良くて素敵です。


上部のアーチの装飾はバリカンのオブジェだそうです。
グリーンの部分もオシャレ、緑青になった銅板にも見えるけど実際はタイルかな?



柱の装飾には看板建築やモダン建築でよく見る、アカンサスの葉。



いい風景。

こちらも見たかった旧川原町郵便局舎、現在は「逓信舎」



夕方だったので、午前中に撮影してみたい。




レトロな薬局にはピョンちゃん。
浅草で見たことのある体育座りのピョンちゃんも。



もう少し奥へ歩いていくと、かわいい美容室!!

美容室ですが、
レトロ理容室特集☆その1にも載せました。
※この特集は画像あり過ぎてまだまだ続きます^^;


いや~感動しました。ノーマークだったから。
円柱っぽいデザイン、スモークガラスのドアに四角い取っ手、右側の格子や模様もかわいい。


くるパー看板も秀逸。フォントも良き。


もっと進むと、斜め取っ手にタイル使いの理容室!

レトロ理容室特集☆その2に掲載済。


タイルをもっとちゃんと撮りたかった!
なんなら販売品をなんか買うので、中を見せてもらいたい笑←※時間なし

こちらの和風建築はガラスも素敵でした。







どんだけ撮るんだ^^;










あとで知ったのですが、2016年に
この花しょうぶ通り商店街から芹町にかけたエリアが、彦根市内では初めての
重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定されたそうです。

江戸時代は城下町の南東部に形成された町人街で、城下町と中山道を結ぶ町だったそう。
江戸時代から昭和の戦前期に建てられた町家風の建物が88軒残っており(2016年の情報では)、
そのうち国の登録有形文化財が5軒。
路地にもいい雰囲気の家屋が点在していましたが、あまりゆっくり出来なかったのでいつか再訪したい。

次回も急ぎ足で撮影、袋町遊郭跡です。

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2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)

2021年08月13日 | 旅行・小旅行

2019年秋の滋賀京都、続きです

これまでの記事☆
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)

豊郷小学校旧校舎群の周辺も見て廻りました。

日立の旧ロゴがある古い看板。

日立とか東芝とかナショナルの旧ロゴがある看板、好きです。
しかし倒れたままの冷蔵庫が物悲しい。



板塀がある和風建築も点在。




タイルを多用した日本家屋もわりとありました。



ちょっとした路地を進むと、




ベンチがありますね~
ご商売されていたのかな。


こちらもタイル使いの和風建築です。
煙草屋さんの跡もあります。




住居部分の玄関はこちらかな、なかなか存在感のあるお宅です。



「水」の文字がある和風建築。
妻壁や破風に水文字があるのは、火災から家屋を守るおまじないだそうです。
比較的関西圏に多いのだとか。


こちらにも煙草店。シャッター狭っ!!
でもかわいい。



こちらの、ドアだけ残してある壁が謎。
奥に廃屋があったような。おぼろげな記憶。

そういえば、豊郷小学校旧校舎のウサギとカメにちなんで?
あちこちにウサギとカメがいました^^




ここには東芝の旧ロゴ!



豊郷駅にも行ってみました。






そうえいばここ数年ガッツリな無人駅巡りしてないなぁ。
秩父鉄道以降してないかな、それもほんの一部だった。
目的地のついでに寄ったりとかはあったけど。下灘駅とか真土駅とか・・


レトロ建築巡りをメインでするようになってから、無人駅巡りが出来なくなったような気がします。(時間的に)


なんか古そうなショッピングセンターもありました。



トヨサトショッピングセンターとあります。
ドアが開いているので入ってみたかったけど、あまり時間も無かったので断念。

このあと彦根に向かいます。





コメント (2)
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2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)

2021年07月31日 | 旅行・小旅行

間が空き過ぎで申し訳ないです
豊郷小学校旧校舎群、前回はウサギとカメに特化して階段のみでしたが、最後は校内の様子です。

これまでの記事☆
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)

毎回触れていますが設計したのは、
キリスト教伝道のために青年英語教師としてはるばるアメリカから来日した、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
近江八幡に根を下ろして学校教育・医療・出版など社会事業に尽くし、建築家として日本全国に名建築を残しています。
すぐに思い浮かべる建物は豊郷小学校もですが、東京の山の上ホテル(旧 佐藤新興生活館)・大阪の大丸心斎橋店・京都の東華菜館・兵庫の神戸女学院などなど・・ 
滋賀県では一般宅も含めたら数えきれないです。

日本で戦前までに1000以上の建築、
戦後も含めると現役時代に2700余りの建築物を手がけた記録が残るそう。
多くの教育機関の建築を手掛けたヴォーリズさんですが、小学校は日本でここだけということです。

そして多くの方が、ヴォーリス建築を「暖かい建築」「住む人・使う人の気持ちに寄り添った建築」というような
表現をします。ヴォーリズ建築の魅力を「内部空間の豊かさ」と評する方もいらっしゃいました。




ぬくもりを感じる木材がふんだんに使われている校内。


中央1階の正面玄関から左右に伸びた廊下の長さは、なんと全長100m。















窓も大きく、廊下や教室はとても明るい。



教室の右の壁に配置された3列3段の窓。
下の2段は廊下を歩く生徒にぶつからないよう、あえて内側へ開くつくりになっているんだとか。


そして、有名音楽アニメ「けいおん!」に登場する学校のモデルとなっており、けいおん!ファンの聖地巡礼コースとなっています。
豊郷小学校を訪れた多くのファンから楽器やグッズなどを寄贈、シーン再現などがされています。


以下、全国町村会サイトにあった滋賀県豊郷町による町おこしレポートを参考に抜粋・転載させていただきました。
※一部文言を変えている箇所もあります

竣工以来、町のシンボルとして町民に愛された豊郷小学校旧校舎。
最初の記事に書きましたが、町を二分する議論や騒動・紆余曲折を経て校舎は別の場所に新築し旧校舎は保存することとなり、
教育委員会、 町立図書館、子育て支援センターなどの入居する複合施設として再出発することになりました。 

それに合わせて改修工事が行われ、2009(平成21)年5月30日、旧校舎72回目の竣工記念日にリニューアルオープンの式典が挙行されたそうです。 
ところがその場に、あまり見慣れない集団が・・。
DVDと見比べながら校舎の写真を撮る人、大きな荷物を持った明らかに 遠方から来たと思われる人たち。。 

実は竣工式の前月4月に放送が始まったアニメ「けいおん!」に、豊郷小学校の旧校舎が登場していたのである。
アニメ「けいおん!」は、女子高の軽音楽部を舞台に高校生の青春を描いたアニメだが、主人公たちの通う高校として描かれた校舎の外観や内装が 旧校舎そっくりだった。
これに気付いたファンが、旧校舎内部の見学が可能になる竣工式典の日に駆けつけたのである。  

そして町の担当者の友人が、聖地巡礼に詳しかったことから町おこしは大きく展開する。  

さっそくほかの町の町おこしを扱った報道や研究論文を調べあげ、レポートを作成。
商工会や観光協会など関係各所に 「豊郷でもこんなにすごいことが起ころうとしている。ぜひ取り組んだ方がいい」と持ち込んだ。
レポートは町長にも見せに行った。町長も乗り気になった。
役場、商工会、 観光協会等から有志10人程が集い、後に「けいおんでまちおこし実行委員会」と名づけられるグループを結成することとなった。

 

ある日あるグループが、アニメのオープニング映像の再現をしたいと来た。
キャラクター そっくりの扮装をして旧校舎の内外で同じアングルでビデオ撮影したいのだという。
旧校舎を管理する教育委員会は、初めは「いったい何の話や?」 と驚いた様子だったが、「別に何も壊したりせえへんならまぁ使いいなぁ」と大らかに対応。
その後、完成した再現映像がインターネット上で 公開されると話題を呼び、アニメの舞台としての豊郷小学校旧校舎がさらに注目を浴びることとなり、ついにはアニメファンの「聖地」として 認知されるようになった。
町の担当者は「何にも邪魔にならないということもあり、別にいいかという感覚だった」と。 

では、町民のファンに対する反応はどうだったか。
「いい年をした大人がカメラをぶら下げて駅からぞろぞろと歩いている。 何事かと町民は驚いただろう」

しかし、ファンが大勢詰めかけたからといって何も事件は起こらなかったし、
そのうちファンの存在が気にならなくなり始めたという。
それどころか「文句つけるところがないほど、ファンのマナーは実にいい」ということだった。

旧校舎には子育て支援センターも入居しており、支援センターのスタッフや子供を連れてくる保護者も、廊下ですれ違うたびに挨拶を欠かさないファンに、安全だという認識が広まったという。

旧校舎の掃除にやってくるファンもいる。
バケツや雑巾を持って「掃除させてもらっていいですか」とやって来たときには、 教育委員会も驚いたというが、現在では旧校舎内の廊下のワックスがけまでファンがやってくれるそうだ。

喫茶コーナー脇のアニメグッズのコレクションもすべてファンからの寄贈
キャラクターグッズなど小物から等身大のパネル、
劇中で主人公が使っているものと同じ楽器まで軽く1000点は超えているという。

旧校舎外でのファンと地元商店との交流も徐々に広がりつつある。
旧中山道沿いに古くからあるうどん店。一見ふつうのうどん店だが、違うのは壁の至るところにアニメキャラクターのポスターが 貼られていること。
ご主人がファンの求めに応じてポスターを貼らせたところ、ファンから「聖地」として認知され、「巡礼」の対象となったようだ。
夕方、旧校舎が閉館した後のファンの集いの場にもなっており、
ご主人の誕生会をファンが開くなど、心あたたまるエピソードも生まれている。

こうしたファンの「巡礼」は、少なからざる経済効果も生んでいる。


酬徳記念館にあるこれらもすべてファンによる寄贈。
ごくごく一部です。




町の担当者は、3階の音楽室の黒板なら落書きをしても良いが、他には書かないように、とルール化することにした。
そして、 黒板の落書きを毎日撮影し、「今日はこんな落書きがあった」とインターネットのブログを通じて紹介することも始めた。 

実はここに戦略が隠れていた。「自分が書いた落書きがブログに紹介され、ファンにとっては旧校舎を訪れた記念になる。 そして黒板に落書きをすること、他のファンの書いた落書きを見に来ることそのものが、繰り返し旧校舎を訪れる動機になる」と。

ちなみに施設側では黒板の管理はしていない。
「誰かが来てチョークを補充していって、汚いと思ったら誰かが消していく。 まったくの自治」。
黒板下に落ちたチョークの粉も、いつの間にか雑巾がけされているそうだ。


一般的な傾向として、アニメファンに対してとかく偏見の目を向けがちだが、
豊郷町の対応はそのような偏見とはまったく 無縁であり、むしろファンを信頼した。
「コスプレ」による撮影、指定した場所での落書きの容認など。
それはポスターを貼らせたりキャラクターグッズを置かせた町内の店舗にも言える。

こうした行政側の懐の深さとファンへの信頼が、ファンによる自治や地元との交流につながったのだろう。
※全国町村会サイトにあった滋賀県豊郷町による町おこしレポートより





劇中に出てくるティーセットもファンからの寄贈。




オルガンも!?すごい。。。

ドラムも・・?ファン、すご過ぎる!






私は「けいおん!」を観ていないのですが、
実は主人が観ており、熱烈なファンというわけではないのですが、ここへは来てみたかったそうです。
私は滋賀のヴォーリズ建築を見たかったので、珍しくお互いの希望が合致しました笑









小学校としての当時の名残も楽しみながら。。






2019年の倉吉市の円形校舎・旧明倫小学校を思い出します。

最初の記事に書きましたが、壮絶な事態となり紆余曲折あって解体は免れ保存された旧校舎。
外部の人間からしても本当によかったと思います。頭が下がります。


どこの教室からだったかな。
現・豊郷小学校も見えました。

そして結局は当時の町長により、建設された新校舎。
これはこれで良さそうには見えますが、当時の町民の方はどう思われているのか・・


次回は、豊郷小学校付近のレトロ建築巡りです!
気長にお待ちいただければ幸いです


コメント (4)
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