街中を歩く時は、無意識にレトロなものを探しています。
鎌倉で見た「フジカラー」の看板。
丸ポストとの相性もバッチリです!
渋谷センター街付近の脇道に出る出口の地下、
「グルメタウン」の文字がどことなくレトロ。そして、
「第一勧銀ビル」とな!
ハートの銀行・第一勧業銀行が富士銀行とかと合併して、みずほ銀行になったのはいつのことだったかな?
ビル名はそのままなのね。
日本橋三越にある地下鉄への入口。
ステンドグラスっぽい装飾が素敵。「鉄」が古い字?!
地下の「買場(かいば)」と地下鉄への入口です。
余談ですが、三越さんでは「売場」を「お買場」と呼びます。お客様が主役だから。
先月下旬~今月上旬にかけて二週間、ここを使って通勤してました。
自由が丘デパートにある飲食店街の看板。
レトロポップな看板!
自由が丘デパート3階はすべてがレトロ。
誰といようと、昔懐かしいものにすぐ足が止まる。
付き合ってくれる友人たち、ありがとう。
万世橋と旧万世橋駅跡にはちょっとした思い入れがあり、当ブログでも何度も記事にしました。
(最後にリンク貼ってあります)
なので、江戸東京たてもの園に移築された「万世橋交番」も見るのが楽しみでした。
過去記事の悲運の万世橋駅と、短命だった昌平橋駅でも触れましたが、明治45年に中央線のターミナル駅として華々しく開業した「万世橋駅」。
その後震災・戦災・時代の流れなど、悲しい運命を辿り衰退していき、ついには閉業します。
しかし、悲運だったのは駅だけではなかった!
後日知ったのですが、こちらの交番も、万世橋駅の運命と共にあったようなのです!
素晴らしいこのデザイン。
煉瓦造りの交番なんてオシャレ過ぎる。
入口の屋根?を支える部分の意匠も凝ってますよ。
丸ポストとの相性も抜群。
さて、何が悲運だったかと申しますと、ある方のサイトに詳しく載っているので、ほぼ転載させていただきます。
「この交番は波乱万丈の運命をたどり、ここ江戸東京たてもの園で安住の地を得ました。
万世橋駅(昭和18年廃業)が中央線起点駅として、明治45年4月1日開業。
美しい赤レンガの万世橋駅舎は建築家・辰野金吾氏によるもの。
万世橋駅の右端に誕生した交番が写真そのもので、
須田町派出所(万世橋交番の前身)であった。
その後、東京駅や神田駅の開業による万世橋駅の衰退・関東大震災による被害を受けながら生き残り、
昭和8年交通博物館開業により交番(須田町派出所)は、万世橋のたもとガード下に移転。
昭和30年頃まで使用されていたという。
しかし、その後は倉庫のような扱いを受け、ボロボロに
傷んだ交番建物を平成4年、冷たい雨の中、そっくりそのままの姿で徹夜作業によって
大型トレーラーにより江戸東京たてもの園に運びこまれた。
そして、現在のような美しい姿に修復され、
多くの見物客を楽しませている」
随分長い間、放置されていたようです><
検索すると、放置されたいた頃の画像が1枚だけありました。
その放置されていた間の、多分、移設直前くらいですが、私何度もその場所通ってます。
何故気付かなかったのか悔やまれます。
しかし、
旧万世橋駅は70年の時を超えて、2年前に商業施設として再生され、
万世橋交番は一足早く、平成4年に修復されて明治の建物を伝える役割を果たしている。
移設を決断してくれた方々に感謝してやみません。
☆万世橋駅関連の記事☆
※70年の時を経て*旧万世橋駅再生の日
※70年の時を経て~旧万世橋駅ホームへの階段~
※悲運の万世橋駅と、短命だった昌平橋駅
※ノスタルジック東京⑤神田須田町*レトロ建物探訪
※万世本店から旧万世橋駅跡を見る
※微妙な位置で日向ぼっこ
3月下旬、念願だった江戸東京たてもの園に行ってから、もう3ヶ月近くが経ってしまい
季節もすっかり変わりました。
今回の記事は、銭湯・商家・旅館など。
園内のゾーンとしては、その1にアップした看板建築が多いゾーンです。
大正期から現在の港区白金で営業していたという、
小寺醤油店。
青梅市にあった万徳旅館。
建物は創建当初に近い姿に、室内は旅館として営業していた昭和25年頃に復元しているそう。
(江戸時代末期~明治時代初期)
右・明治初期現在の文京区向丘に建てられた仕立屋。
左・昭和初期の銭湯、足立区千住元町の子宝湯。
仕立屋の内部は、大正期の仕事場を再現。
子宝湯
これは素晴らしい!ガラス窓や玄関上の彫刻など凝っています!
何年か前に、北千住駅近くでこのような銭湯を見たことがあります。
こんなに大きくはなかったけど、まだあるかな?
ノスタルジック東京7~台東区浅草橋・鳥越・三筋・蔵前~で見た銭湯も素晴らしかった。
結構深いんですよね~
本郷在住の頃お世話になった「菊水湯」「日生湯」「七宝泉」「鏡湯」もみんな、一方は深かった。
今ではすべて閉業しています。
気のせいか、男湯と女湯の境目が低い・・
脱衣所もデザインがすごい!天井凝ってる!
柱時計もいい趣き。
こちらも男湯と女湯の境目が若干低いので、お店の広告看板で高さを作っているのかな。
レトロ!!
懐かし過ぎる~
本郷や白山の銭湯でこのような脱衣籠、リアルに使ってたから(笑)。
いや~楽しかった^^
台東区下谷の言問通りにあったという居酒屋・鍵屋。
震災・戦災を免れた鍵屋は1856年(安政3)に建てられたと伝えられているそうです。
建物と店内は昭和45年頃の姿に復元。
そして、、、
商家や商店があるゾーンの入口脇では、この交番が街を見守っています。
こちらについては次回の記事で・・・。
5月下旬~6月上旬まで2週間ほど都心の催事へ出勤していたため、
江戸東京たてもの園!その1☆看板建築から随分経ってしまいました
今回は様々な建築様式の住宅・邸宅・古民家です。
訪問は3月後半のまだ桜が二分咲き位の頃、
邸内の画像がどの住宅の分なのか記憶がなく、しかし撮影した順番にはなっておるので、
撮影時間と、各種サイトから判断しています。
(説明文もHPなどからほぼ転載)
大正14年に大田区田園調布に建てられた、
田園調布の家(大川邸)
居間のテーブル・食堂のテーブル・サイドボード・寝室の整理タンスなどは当時から大川家で使われていた物だそうです。
ダイニングとキッチンの境目にある収納式カウンターが素敵。
上部をただの収納にせず、すりガラスなのがオシャレ。
でもキッチン側はちゃんと棚になってる!
足踏みミシンもありました~
昭和17年に品川区上大崎に建てられたという前川國男邸。
日本の近代建築の発展に貢献した建築家の住宅だそうです。
大正14年文京区西片2丁目に建てられた小出邸。
赤いベルベットのソファーが素敵な洋室もありましたが、何故か和室の画像しかありませんでした(笑)。
明治43年頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てに増築された
デ・ラランデ邸。
「武蔵野茶房」というカフェとして利用されています。
今度来た時は入ってみよう。
徳川家の家臣団・八王子千人同心組頭の家(江戸時代後期)。
かまどの土台が、板の間にくっついており、土間に降りる必要のない配置になっています。
初めて見ました。江戸時代によくあるのかな??
こちらは吉野家(農家・江戸時代後期)のかまど。
私のかまどのイメージは、こういった土間のかまど。
でも板の間続きになっているかまどの方が楽だなぁ^^
綱島家(農家・江戸時代中期)の井戸ポンプ。
三井財閥として名を残した三井同族十一家の総領家、三井八郎右衛門高公氏の第2次世界大戦後の邸宅、
三井八郎右衛門邸。
本邸であった邸宅が戦災により焼失したので、昭和27年に港区西麻布3丁目に新しく本邸を建築したのだそう。
横から見た外観が好きだなぁ^^
キッチン奥の食器棚?が素敵!
客間と食堂部分は、明治30年頃京都に建てられたものを、西麻布に移築したとのことです。
天井や欄間のデザインが凝っています。
和洋折衷とはこのこと!
二階は和室。
見えにくいけど、手前の彫刻は鳩かな。
襖絵はリアルにコチドリが描かれています。
明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った
高橋是清邸の主屋。
高橋是清は本所押上から赤坂へと移り住み、明治35年から昭和11年(1936年)の2.26事件で暗殺されるまでの約30年余りを、この家で過ごしたそうです
高橋是清邸玄関。
大正11年昭島市の西川家別邸。(画像右側)
昭和12年に、現在の板橋区常盤台に建てられた写真館、
常盤台写真場。
建物の全体を撮っておかなかったのが悔やまれます。
左右非対称で変わった造りです。
長々とお付き合い下さり、ありがとうございます。
撮りきれてない建築物もありますが、とりあえず次回に続きます。
(次回は銭湯・商家など)