精神薬を14年飲み続けて、完全に依存してしまっていたわたしが断薬できた5つの理由。
①愛する人との子供が欲しいと望んでいた。
わたしは過去、種類だけで10種類の精神薬を処方されて、それを朝・昼・15時・夜・寝る前に飲んでいた。
例えば、「デパケンR200mg錠」だけで、1日6錠。1200mgを摂取していた。
この量は調べればすぐに分かることだが、殺人的な量です。
これを医師は、わたしの体調に合った量だと言って処方していて、それを信じてわたしは飲んでしまっていた。
ある時、カウンセリングの先生に「あの先生はとにかく薬を多く出す人だから気をつけたほうが良いよ」と、言われ、疑問を持ち、病院を変えた。
次に行った病院は、先日断薬した事を言ったら「良かったですね。今がそのタイミングだったんですよ」と言ってくれた先生になるんですが、
「子供が欲しいので薬を減らしたい」と言う理由で通っていた。
減薬の方法を勉強して思う事は、先生はなるべく離脱症状が無い様に。。体や精神に負担が無い様にと慎重に薬を減らしてくれていて、
10種類飲んでいた薬を2種類まで減らしてくれていた。
しかし、薬に依存していたわたしは後少しを止める事ができないどころか、体調の不良を訴え、また薬を増やしてもらっていた。
でも、先生がかなり薬を減らしてくれていたお陰で、結果的に止める事ができた。
感謝です。
②意識改革
断薬を決意する前にある本を読んで、今まで精神のせいで体調が悪いと思っていた事に、疑問を持つ様になった。
具体的には二つ。
一つは、今のわたしはストレスになるような事を何一つやっていない事に気づいた事。
ストレスもないのに、精神的にストレスに思っているのはおかしいと気づいたのです。
二つ目は、「今のこの状況に満足出来ないわたしは、この先どんな恵まれた環境に置かれても、一生満足することはないだろう」と、思った事。
そう思えたことにより、やっと「過去」でも「未来」でもない、「今」を生きる事ができるようになった。
その結果、「わたしはなんて幸せなんだろう」と、やっと思える様になった。
③母との和解。母からの言葉。
今までわたしは大人になりきれていない大人だと思っていた。
それがなぜなのか分からないままでいた。
わたしはいつも寂しかった。母から愛されたかった。
6月に実家に帰った時に、自分の気持ちを勇気を持って伝えた事で、少し距離が縮まったようで、とても嬉しかった。
そんな時に言った、母の言葉。
「まだ、薬飲んでるの。。。」
そんな寂しげな言葉だった。
わたしは母を悲しませる親不孝な子供だと思った。
なんとかして、元気になって、母に「もう薬飲んでないよ!」って言いたかった。
④体の改革
これは意識改革にも当てはまるのですが。
ウォーキングを始めた事。
ウオーキングを始めた事でわたしの中で大きく良い方向に変わった事が二つ。
一つ目は、自然を感じられる様になった。
今まで自分の体調の事ばかりに目が行ってしまっていたのですが、歩く事によって、周りにはこんなにも素晴らしい自然があるんだって事にきづいた。
その自然に目を向けるようになって、心がとても落ち着き、気持ちの良いものになった。
二つ目は、面倒くさいという、固定観念が少しなくなった。
病気になってとにかく何もかもが面倒臭かった。
「こうなったらこうすれば良いだろう」とか、「今はこうだからしなくてもよいかな」とか、言い訳ばっかり考えて、逃げる事しか考えてなかった。
体を温める、食事の改善を心がけようと思った事も良かった。
適度な運動や体を冷やさない事などが大事だと分かっていても、病気を理由に「体調が悪いから、できないのは仕方ない」くらいに思っていた。
人任せ、薬任せなのは良くないと思える様になった。
⑤精神薬は恐ろしいもの。精神の病は存在しない。と言う事に気づかされた。
最終的な断薬の決意はこれに尽きる。
TokyoDDCクリニックの内海聡医師が書いた本「精神科は今日もやりたい放題」を読み、精神医学の闇を知り、「心の病に薬はいらない!」を何度も読んで、断薬に臨んだ。
この本に出会わなければ断薬は失敗に終わっていたのではないかと思うし、そもそもこの本に出会わなければ「最低限の薬を一生飲んで生きよう」と思っていたに違いない。
ただし注意点。わたしはたまたま薬を減らす方向で頑張っていて、あと一歩のところの背中を押してくれるきっかけになり、自分自身で止める事が出来たけど、
何種類もの薬を未だ飲んでいる人が、自分の判断で減薬・断薬するのはとても危険だということ。
必ず薬を減らす事に協力してくれる病院か、断薬のお手伝いをしてくれるカウンセラーなどの指示の元、行って欲しいと思います。
少しでも、精神の病で苦しむ人が元気になってくれるようにと願っています。