心穏やかに・・・

孫育てonlyの日々も少なくなり
和太鼓を楽しみながら時々仕事も行って
愛犬ムクと一緒に充実した毎日を送っています

素晴らしき高野山  後編

2014年10月03日 | 四国お遍路

 【壇上伽藍(だんじょうがらん)】

二日目の朝 8時半~9時40分の70分間 お参りや見学でしたが とてもじゃない短すぎます。

ここもめっちゃ広くて広くて・・・お堂もい~~っぱいあって・・・

 

     

         入り口です

     

   まだまだどんどん歩いて行きます  この道 蛇腹道 というんだそうです

    

慈尊院の≪百八十町≫から始まった距離を表す石塔・・・ここは≪三町≫ 

 

      

             東塔 が見えてきました

           

      

            不動堂  確か日本で最古のお堂・・・と説明があったような

       ≪一町≫発見!

      

           神社もあります

 

       

        鐘楼  大塔の鐘 高野四郎  と呼ばれるそうです

     

     

          三鈷の松

松の葉っぱは普通2本くっついていますが  これは3本

落ちているのは拾ってOK お一人だけ見つけてラッキー!叫んでおられました。

わたしは 何番札所だったか・・・記憶あやふやですがそこで見つけて今も大事に持ってます。

 

     

     

           御影堂

      

           帰り道 横から撮ってみました  御影堂

先達さんいわく・・・

   北大路欣也主演 映画≪空海≫ で入定されるシーンをここで撮影。

   雪が降り積もってる中を・・・監督さんの描いたイメージ。

   前日までは晴天 翌日の予報も晴れ・・・

   諦めていたところ奇跡的に深夜から雪が降り始め 

   朝には30cmほど積もり 最高の画が撮れた。

   「この映画を観ると 空海(のちのお大師様)の一生がよくわかるから 

    ぜひDVDをレンタルして観てごらん」

どういうわけか こういう話だけはしっかり覚えてるんです。 

 

      

        僧侶がお経をあげておられる姿を見かけました

 

 

      

             六角経蔵

     

よいしょよいしょ! とみなで 下方にある角のような棒を持ち上げ気味にして時計回りに一周

 

     

              金堂   いわゆる本堂         

       

         

            根本大塔 (こんぽんだいとう)    

堂内は 立体曼荼羅  本尊:胎蔵大日如来様を囲んでたくさんの仏像がそびえ立ってます。

いかに大きな建物であるか・・・下の正面からの写真を見ればわかるかと。

     

           

        入り口扉の両脇に掲げてありました・・・  

 

   

 

 

まだまだたくさんの写真があるのですが いまとなっては何が何やらさっぱりわからなくて・・・

何しろお堂がい~~っぱいあるんです。

今回記録するにも ネットを参照する・・・ということで情けない思いをしました。

先達さんから聞いた話も多少メモってありますが それを省き 

【高野山真言宗 総本山金剛峯寺】 ≪訪ねる≫よりンクさせてもらいました。

 

写真と建物のの名前が一致してないものがあったら・・・ごめんなさい!

 

 

 【奥之院】

9時50分~12時まで約2時間でしたが  ここも広すぎて時間が足りません。

 

     

  奥之院入口  一ノ橋を渡ります。

     

毒舌芸能人≪有吉≫似の案内人さんからお話を聞きつつ 

そうそうたる有名人・・・皇族はもちろんのこと 歴史上の主だった人々すべて 

 (徳川三代目家光が祖父・家康を祀ったのが始まり・・・と聞きました)

北は松前藩 南は薩摩藩の大名・武将・奥方などのお墓を横に見ながら奥へ進みます。

     

神仏習合の時代に建てられたものが多く 苔むした鳥居の奥に苔むした石塔があります。

年月の流れを感じます。

 

現時点で確認されているのは30万基 そのうち約20万基は名前が確認されているそうです。

 

ちなみにわたしたち一般人でもお墓建てられるそうで 座布団一枚分の広さが百万円。

しかし世界遺産となった現在は すぐ近くにある霊園にしか建てられないそうですが。

建ててはみたものの・・・墓守をする家族も途絶え 無縁仏となるものも多いそうで

石塔を山のようにド~ンとかためて 供養されている場所がありました。

 

≪今もお大師様が生きておられる≫  という信仰なので 

決められた装束を纏った3人の僧侶が一日に2回食事を届けるんだそうです。

運が良ければ(?) その食事の上げ下げする光景が見られるとのことでして・・・

見ることができました!  食事を下げる時間に遭遇したのです!

通り道を塞いでいる人たちにそっと手を横に振って(避けてくださいって感じ)

神妙な顔をされ 静々と足を運んでらっしゃいました。

御廟橋を渡ってからは撮影禁止のため カメラには収められなかったのですが。

 

 

そうこうしてるうちに一番奥にある 地下3mにあるお堂に到着し

62歳の3月9日 入定されたお姿そのままというお大師様の姿を15m先に拝見しながら 

やっと結願の報告・お礼。。。

これでやっと満願・・・感無量・・・涙が滲んできました。

 

そのあとまたぐるりといろんな方(海外の方々も)のお墓を見て

最後に 第二次世界大戦の戦没者慰霊の碑に向かってお経を唱え

その後 お守りやお札などのオススメを聞き バタバタッと皆さん授けていただいてました。

というわたしも 家や(玄関中の見上げる場所に置くもの)自分のお守りを授かってきましたけどね。

 

     

      感動も冷めやらぬうちに バスに乗り込み一ノ橋に戻り 昼食

 

その後 お軸やお数珠を作ってもらうための相談時間がありまして・・・

各寺院でご本尊の御影をいただいており それで掛け軸ができるのです。

また1回参加するごとに お参りした寺院の数だけ数珠玉をいただいており

(すべて違う梵字が刻まれてます)

今回プラス20玉をいただいて108個集まりお数珠ができるのです。

わたしはお数珠だけ作ってもらうことにしました・・・出来上がりは約2ヶ月後

楽しみにまっているところです。

 

     

行きには撮り損なった  修復中の 【中門】

 

     

同じく 突然の出現に驚き撮り損ねた (ちょっと傾いてますが)  【大門】

走行中のバスの中から撮り収め この一年のことをいろいろ思い出しながらの帰り道でした。

 

以上で 【高野山お礼参り】 終了です。

     

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最後に・・・・・・・・・・ 

24回にわたっての 毎回ダラダラの 【お遍路記録】 

目を通してくださった方々 そのうえコメまでくださった方々

大きな励みとなり おかげ様で最後まで記録に残すことができました。

本当にありがとうございました!

やったね! という気持ちでいっぱいです。

 

 

     家族の協力 健康 少しばかりのお金

     どれ一つ欠けてもできなかった今回の 【お遍路の旅】 

     途中で折れることなく 結願・満願できたこと 

     全ての人・物に 「ありがとうございました!」 という気持ちでいっぱい。

     ほんの少しだけ そう・・・ほんの少しだけだと思うけれど

     すべての人・物に感謝の気持ちを持てるようになったような気がする。

     また出かけたい!  御朱印を重ねて行きたい!

     そうすれば・・・ 

     もっともっと穏やかな気持ちで毎日を過ごせるのかも?

     な~んて思ってしまう。

     どこへも出かけなくても  今居るここで 今この時から

     心がけ次第でできることなんでしょうけどね。