忠治処刑前夜の、前回の記載内容を、
私は、現在の常識では下記の通りと考えている。
殆どの内容は、概下記の内容である。
忠治は、特に其の酒を所望した。加部安の酒は
非常によい酒であるから、ぜひ一杯飲ませてくれと
言ったのである。飲むと、いい気持になってホ口酔い
機嫌で寝につき、忽ち雷のような鼾を、かいたという。
其れは、忠治は召捕り後、籠により上州より江戸にて、
吟味には、恐らく拷問も有ったかもしれなし、それ以前に、
木崎宿から玉村宿などで、対応に弄び、劣悪且食事も十分に
は取れずにいた、体は極度に、疲労困憊し精神状態も
判断の能力も低くそして、また、上州への旅は辛く苦痛の
日々と考えるのが、私は妥当と思う
その状態で、上記の下線部分の表現は、長旅に疲れ果て、
数か月間は、或いはそれ以上長時間にわたり、酒を飲んでいない
衰弱の激しい忠治の体には、例え一口の酒も、五臓に浸みわたり
そして、眠って鼾をかいた状態は、現在では、決して熟睡で無く
鼾をかくという事は、眠っていても己の耳には、周辺の音は、
騒音として入っていて、熟睡する事が出来ず、結果として眠りが、
浅く、大切な睡眠がしっかり採れて居ないと言う事で、記憶力や、
集中力が低下し、思考力も落ちた状態ですから、翌日の処刑を
脳裏では考えていたと考えるのが妥当だったと思います。
随って、下線部分は極めて創作に近く、加部安の牡丹を飲んだのは、
事実としても、其れは、当時上州の三分限者の加部安が忠治の為に
牡丹を与えて、飲んだ事は、有るが赤城録に記載されている。
内容を読み下しそれを、基に下線部分の表現になったと考えられる
続く