アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

スズキジムニーABA-JB23Wの下取り価格及び販売価格

2016年10月30日 | Weblog

三年落ちジムニーの、下取り価格がなんと105万円

値引き―13万7892円でした。

それにメンテナスパック車検付でした。

69万円で、新車に成りました。

つまり、1年約20万円しか値下がりしない事になりますね。

通常の軽乗用車は、凡そ3年落ちで半額が普通ですが、

ジムニーは、約1/3しか値段が落ちないのです。

以前命の助かったジムニー ですから、再度購入す事に致しました。

僅69万円で新車になるのですから

 

 


真説 国定忠治 平成弐拾八年 其の十六

2016年10月13日 | 近世の歴史の裏側

怪僧 田村仙岳

 細野は最後に五万石騒動の総括とも言うべき「終後の結末」の中で二人の仲介者の果たした。

役割の大きさを指摘している 

 十六歳の若き日 百姓の一人として動員を駆けられ 騒動の中にいた細野は、

 還暦に手か届こうかという年齢に達して初めて 五万石騒動の裏面まで見通すことか可能と考える

 一人は田村仙岳 いま一人は南大類村(現高崎市南大類町)観音別当小園江丹宮である。

二人とも高崎藩と城付五万石村々にかかわりを持つ宗教者である。

細野の評価は小園江に高い 小園江は宿大類村の筆子羽島権平及び久保田房次郎から

訴願について相談されて支持する立場にいた 

両人とも藩主の信任厚く 藩政の諮問にあずかることが多かつたと言われ

五万石騒動においても農民の訴願の扱いをめぐって 小園江は徴税方式の改定を 

仙岳は延納を建議したという。

細野は「小園江か四公六民の農民寄なれば田村は六公四民の藩寄り」と評した。

藩議は一ケ年のみの延納と決して従わない者は捕縛して厳罰に処す方針に固ったのある 

藩の内情に通じた二人は 一揆勢の性急な暴発は犠牲者を生み出すことを危惧し

村々の知己友人の関係者に慎重な対応を求めたのである。

 

                                      つづく


真説 国定忠治 平成弐拾八年 其の十五

2016年10月12日 | 近世の歴史の裏側

快僧田村仙岳

 細野は最後に五万石騒動の総括とも言うべき「終後の結末」の中で二人の仲介者の果たした役割

の大きさを指摘している 

 十六歳の若き日 百姓の一人として動員を駆けられ 騒動の中にいた細野は 還暦に手か届こう

かという年齢に達して初めて 五万石騒動の裏面まで見通すことか出来たのである 

 一人は田村仙岳 いま一人は南大類村(現高崎市南大類町)観音別当小園江丹宮である。

 二人とも高崎藩と城付五万石村々にかかわりを持つ宗教者である。

 細野の評価は小園江に高い 小園江は宿大類村の単子羽島権平 久保胆房次郎から訴願に

ついて相談されて 支持する立場にいた。

両人とも藩主の信任厚く 藩政の諮問にあずかることか多かつたと言われ 五万石騒動においても

農民の訴願の扱いをめぐって 小園江は徴税方式の改定を 仙岳は延納を建議したという

細野は(小園江か四公六民の農民寄なれば田村は六公四民の藩寄り)と評した、

 藩議は一か年のみの延納と決し 従わない者は捕縛し 厳罰に処す方針に固まった 

 藩の内情に通じた二人は 一揆勢の性急な暴発は犠牲者を生み出すことを危惧し

 村々の知己友人の関係者に慎重な対応を求めた 

小園江は氏子や単子のいる東郷の村4 田村は清水寺檀徒 信者の多い西郷の村冷の指導層の 

関係者に藩の内情を伝え 身辺保護に当たった 

 このため大慾代三人か斬首されるなど 指導者の多くか処罰された中で 東郷 西郷村4からは

一人の犠牲者も出すことかなかった 

                                                   続く快僧田村仙岳

 細野は最後に五万石騒動の総括とも言うべき「終後の結末」の中で二人の仲介者の果たした

役割の大きさを指摘している 

 十六歳の若き日 百姓の一人として動員を駆けられ 騒動の中にいた細野は 還暦に手か届こう

かという年齢に達して初めて 五万石騒動の裏面まで見通すことか出来たのである 

 一人は田村仙岳 いま一人は南大類村(現高崎市南大類町)観音別当小園江丹宮である。

 二人とも高崎藩と城付五万石村々にかかわりを持つ宗教者である。

 細野の評価は小園江に高い 小園江は宿大類村の単子羽島権平 久保胆房次郎から訴願について相談されて 支持する立場にいた 

両人とも藩主の信任厚く 藩政の諮問にあずかることか多かつたと言われ 五万石騒動においても

農民の訴願の扱いをめぐって 小園江は徴税方式の改定を 仙岳は延納を建議したという

細野は(小園江か四公六民の農民寄なれば田村は六公四民の藩寄り)と評した、

 藩議は一か年のみの延納と決し 従わない者は捕縛し 厳罰に処す方針に固まった 

 藩の内情に通じた二人は 一揆勢の性急な暴発は犠牲者を生み出すことを危惧し

 村々の知己友人の関係者に慎重な対応を求めた 

小園江は氏子や単子のいる東郷の村4 田村は清水寺檀徒 信者の多い西郷の村冷の指導層の 

関係者に藩の内情を伝え 身辺保護に当たった 

 このため大慾代三人か斬首されるなど 指導者の多くか処罰された中で 東郷 西郷村4からは

一人の犠牲者も出すことかなかった 

                                                   続く


立正大学秋期デリバリーカレッジの講演に行きました。

2016年10月09日 | Weblog

昨日、桐生市市民文化会館 

4階国際会議室にて、行われた。

立正大学秋期デリバリーカレッジの第1回

街頭紙芝居の時代「黄金バットから国策紙芝居」の講演でした。

西の西陣・東の桐生』絹織物の町」の伝統有る。

町は、市民の文化を大切にしていました。

和服の方も多く

着こなしも、ごく自然な着付けで

歩み方も違和感が全くありません講演内容も懐かしい紙芝居のお話でした、

講師の堺 正一氏も造詣が深く、実演もして戴きました。

紙芝居のルーツは紙人形から始まり、昭和5年から現在の紙芝居になったと、

伺いました。最後に堺氏自ら実演をされ、

実際に川越のしょうちゃんで、有名な方です。

次回の浅岡氏の講演が楽しみです。

 


真説 国定忠治 平成弐拾八年 其の十四

2016年10月06日 | 近世の歴史の裏側

仙岳も一緒に いわゆる農民側との団交に臨むか ひとたび激昂して暴徒化してしまえば

話し合いどころではなくなる。 寺の玄関脇に吊るされていた沢庵用の大根を役人に

向かつて投げつける大根投げの騒ぎに発展した。

このとき居合わせた農民は仙岳に次のような罵声を浴せている。

「百姓方は日頃田村師を蛇蝸視して居たもので在るから 大勢は張り裂けんばかりの大声にて 

清水寺の田村坊主は隠密に来て居るのだ 坊主を引き摺り出して、殴き殺せなどと口々に罵り

中には師を目がけて瓦牒杯を投げる様な事態になってしまった。」

 

 仙岳は農民からは藩の隠密と見做されされ 嫌悪される存在であった 

 両者の対決は 岩鼻県知事小室信夫から東京の明治新政府民部省まで巻き込み

 農民側に二万数千両の訴訟費用と多くの犠牲者を出して終結する 

 大惣代三名は斬首 流刑一人 牢死三人 二か年以上十か年の徒罪十数人という

  見るも無惨な結果となったのだ、

                                つづく