アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

曲がっていてもキュウリは、きゅうり

2013年05月31日 | 家庭菜園

ミニ菜園の初収穫は、キュウリです。

 

曲がっていてもキュウリは、きゅうりです。

早速、今夕浅漬けで、頂ます。

 

皐月も一輪、咲いていました。

父からの皐月で、樹齢70余年

 


 


片原饅頭 群馬県前橋市

2013年05月30日 | Weblog

 

 なぜか、急に米麹の酒饅頭が食べたくなり、メーバシまで行きました。

私が、高校生の頃、前三デパートの、はす向かいにあり並んで買いました。

小遣いが無く私は、友達のスクーターで行き、驕りで食べた味が

麹のほのかな香りと、風味が忘れられずに

期待を裏切りませんでした。

 

経木(きょうぎ)で包まれ、経木が饅頭の下にも

敷いてあり、経木の紐も懐かしく


開けた途端、懐かしい香りにうっとり

まだ、有った昔ながらの包装された、風味豊かな饅頭が

濃し餡も、甘さ控え間で小豆の香りが残っていて、食物繊維も多く健康的な食べ物です。

皆様にもお奨め申し上げます。


懐しのわが家へ

2013年05月29日 | 近世歴史と映画

 

辛うじて浦町駅に転り込み、ここから乗車して東北線沼町駅に下車。
八里の道を増沢に向かい進んだが、誰一人語るものはない安否を

気づかい待ちわびている妻子をしのびながら・・・
漸くにてわが家の敷居をまたいだのは27日午前2時頃。
家内に支えられて倒れるように家の中に転り込んだが、

顔面ははれあがり、四肢は凍傷に冒され、股引は脱ぐ事が出来ない。
仕方なく切り開いて脱ぐあり様である。
その上、二目とはみられぬ容貌に家族等皆泣き悲しんだの当然である。
それでも生きて還ったことを家族等はせめてもの事として喜んだ。
その后、病者のように床に臥しなどして数日を経たが凍傷の手当ての

療法も判らぬうち症状が悪化するものが続出した。
中沢由松氏の如きは回復せず、十数年廃人同様に過ごし、

遂に死亡したのは誠に同情に値するものである。


さて省みるに彼等7名の行動は、一命をかけて忠実勇敢にその本文を

尽くしたために五連隊の遭難に引き替え、三十一連隊の雪中行軍隊は

完全に八甲田の猛吹雪に耐え、一人の落伍者も出さずに決行することが出来たのである。
これはまさに此のかくれた犠牲者の行為の賜である。

此の功績は称賛して余りあるものであり見聞そのまま埋れ行くのを愁い、

奇跡的に生還した案内者7名の中、当時の生存者4名の御来席をとくに願い

収録したもので、実録であります。


粗文ではありますがその時にこんな事もあったのかと読者の

御記憶や知識の片隅にとどめおき願えれば幸いでございます。

彼等7名の偉業を称える東道旌表(せいひょう)碑と解説文
『東道』とは、道案内の意味で
『旌表』とは、褒め讃えるという意味である


再考、八甲田山雪中行軍 9

2013年05月28日 | 近世歴史と映画

 

共に励まし合って


 位置を知り方向を定めばほっと安心したのも束の間、大尉は意外にも「汽車賃なり」といつの間に

準備したのか金2円づつを7名に渡し口を一文字に結んでいった。

「過去2日間の事は絶対口外すべからず」と唯一言。

無情にも吾等を置き去りにして隊員を引卆し、何処ともなく暗闇の中を出発して行った。

同伴をすがることも出来ず、吾々はただ呆然として失神同様となってしまった。
やっと気をとり戻したものゝ、暗夜、しかも土地不案内の雪路に放り出すように残された、

吾々7名は生きた心地もなく田茂木野村を目指して、病者の群れのごとく、

辿り進む哀れな身の上となってしまった。
沢内鉄太郎氏は途中やぶ蔭を見付けては幾度か眠りをとろうとした。

睡魔に襲われたのである。
ほとんど意識を失い吾々は幾度か呼んだが答えない。
省みれば24日に増沢を出発して以来、2昼夜不眠不休その上、

途中僅か一食をとっただけである。
だから空腹と疲労のため遂に仮死状態となってしまったのである。
彼は八甲田の地理に詳しい数少ない存在で、終始一行の先導をし、

数十名の生命が常に彼の双肩にかかったことが幾度かあったのである。

このような恩人を見捨て置くことができるだろうか。

吾々は極度の疲労をも省みず、死なしてなるものか死なば諸共と互に励し合い、

抱き起こそうとしては共に倒れ、起きては抱き、抱きては転び、正に雪だるまのようになって、

漸く田茂木野村と思われるに辿り着くことが出来た。

 未だ夜中であったがの所々の家は起きており何やら騒々しさが感じられる。

一刻も早く睡眠と食事を取りたいものと、さる家に宿を頼んだが無念にも、

断られ暫く軒先きにて立往生したが、田茂木野村であることを知る事が出来た。

聞けば五連隊捜索隊の宿泊する為であるとか。
やむなく乞うて土間を借り木炭を譲り受け、鍋を借りて「ワッパ」の儘煮て、

氷となった飯を解かし之を食べた。

時午前4時頃、精神もうろうとして昼夜の区別がつかない。

又自我の意識もはっきりしない。

死んでいるのか生きているのか只夢心地でしばらくの間、うたた寝をしていたのである。
いつまでもこのようにしていることもできないので、一同は覚悟を決めて同地を出発、

正午頃漸く待望の青森に転るように辿り着くことが出来た。

 

途中、人・馬橇が陸続として一里以上も長く続いて擦れちがった。

これは五連隊遭難兵の捜索隊であったのである。




再考、八甲田山雪中行軍 8

2013年05月27日 | 近世歴史と映画

 

あれが青森の灯だ


 やがて午前零時と思われる頃、前方より数知れぬ人影や提灯が横隊を、

なし前進してくるのを微かに認めた。


一同奇異を感じたが、隊長の元気な「救援が来た。」との言に躍り上るような

気持ちでしばらく待った。

期せずして吾々の足がその方向に進路を変えたのに大尉は何を思ったか

「同じ方向に進むべからず」といった。

早くも提灯の列は縦隊と変り、目前に迫って来た。

止むなく避けようとしたが、隊列は直進して来る。

不思議なことに今まさに突き当たると思ったときに右に折れ、

忽然として灯火が消え吾々の囲は又元の暗闇、

一同唯唖然として立ちすくんでしまった。

狐狸の仕業か? 亡霊か? 心の錯乱か?

不思議な現象に直面して、心は惑い方向を失いさまよう中に微かな汽船の

ドラの音に正常な意識をとり戻した。

その方向は遥に右方から聞こえる。
眼をこらし全身の神経を集中してその方向を見ると、

電灯らしい光が点々と見えてくるではないか。

青森であるとを直感し、初めて夢から醒めた心地であった。



中国「7月バブル崩壊説」

2013年05月27日 | Weblog

「中国の経済危機は2013年7月か8月に起きる」と予測した。

国務院発展研究センターの内部報告が、専門家の間に静かに出回っている。

  同センターの李佐軍研究員が湖南省の母校、華中科技大学で2年前に内部向けに行った報告で、胡錦濤政権時代の経済政策のツケが今年3月の習近平政権発足後、数カ月で噴出し、民間企業や銀行、地方政府が相次ぎ経営破綻に追い込まれる、と見通した。

  その根拠となるのが巨額のデフォルト(債務不履行)懸念だ。李氏の報告では直接触れていないが、貸借対照表(バランスシート)に反映されない「シャドーバンキング(影の銀行)」という銀行の資金運用。さらに李氏が指摘する地方政府の債務で、この2つは密接に結びついている。

  08年9月のリーマン・ショックを受け、中国の胡政権は同年11月に4兆元(現在のレートで約66兆円)の緊急経済対策を打ち出して、世界最速で金融危機から脱出した。

  だがその過程で、銀行や地方政府が不健全な資金流通を肥大させる副作用が生じ、胡政権は顕在化を強権で抑えてきたフシがある。一方、習政権は「負の資産」を引きずり続けることができず、3、4カ月内にデフォルトなど処理を進めるというのが李氏の見解。市場関係者の間でささやかれている中国「7月バブル崩壊説」の根拠といえる。

 中国社会科学院が4月25日にまとめた報告では、銀行による簿外の資金運用規模は明らかになっているだけで、12年に14兆5710億元に達している。同年の名目の国内総生産(GDP)に対して約29%の規模だ。2年間で約2・6倍に膨れあがっている。

 このうち約半数は、銀行が年利10%など高利回りをうたって個人投資家らに販売している「理財産品」と呼ばれる金融商品が占める。だが、この金融商品は裏付けとなる資産が不透明で、地方政府による地上げなどグレー資金に回されている可能性が高い。

  銀行は簿外で「資金池(プール)」という信託会社などを経由し、中央政府の中国銀行業監督管理委員会などの規制や監査をすり抜ける手口を編み出した。ただ、昨年暮れには中堅の華夏銀行が理財産品の期日に元利金を支払えなくなり、個人投資家が上海で座り込む騒ぎを起こした。

 高利回りが保証可能な資金運用先は乏しく、地方政府などの融資先がデフォルトを起こせば、連鎖反応が広がって金融システムリスクを引き起こすことも十分ありえる。

 さらに、4兆元の緊急経済対策などで、財政支出を求められた地方政府が資金調達機関の「地方融資平台(プラットホーム)」を通じて集めた債務残高が、同委員会の調べで12年末に9兆3千億元に達したことが分かった。理財産品などの資金が流れ込んだ可能性が高いが、債務残高のうち37・5%にあたる約3兆4900億元は16年までに返済期限を迎える。しかし、返済へ財政的余力のある地方政府がどこまであるか疑問だ。

 加えて、「中央と地方の債務を合わせると最大で名目GDP比90%に及ぶ」と見る市場関係者もいる。国債など中央政府の公表ベースの債務が7兆7600億元。さらに隠れ債務も含む地方政府分が20兆元、これに高速鉄道網の建設ラッシュを続けた旧鉄道省の分や、年金部分まで加えた債務を合わせると最高で50兆元前後になるというのだ。

 こうした厳しい財政状況の習政権に突きつけられたのが格付け機関大手フィッチ・レーティングスによる14年ぶりという「格下げ」だった。

 フィッチは4月9日、人民元建て長期国債格付けを「AAマイナス」(最上位から4番目)から1段階下げ、「Aプラス」として市場に衝撃が走った。ムーディーズ・インベスターズ・サービズは4月16日の段階で、国債の格付けを「Aa3」(最上位から4番目)に据え置いたが、「ポジティブ」から「安定的」へと見通しを引き下げている。

 他方で、「7月バブル崩壊説」に異を唱える専門家も少なくない。最大手の中国工商銀行など国有商業銀行は06年以来の上場で経営体力を備えており、「不良債権を独自に償却する余力が十分ある」というのだ。理財産品でも投資家に金利だけ支払えば不良債権化せず「自転車操業を続けることも可能」だからだ。

 まして3月末段階で過去最高の約3兆4400億ドル(約350兆円)もの外貨準備高を誇る中国は、「地方政府がデフォルトに陥っても、共産党政権の鶴の一声で債務処理ができる強み」がある。李氏のいう「経済危機」がどの段階で臨界点を迎えるか。まだ見えぬ「闇」の中にある。

                                                 2013526日(日)(上海支局長・河崎真澄)産経新聞 引用


充電噴霧器の電池交換

2013年05月26日 | 家庭菜園

10年以上前の充電噴霧器ニッカド電池ですでに寿命

ウエブで色々捜しましたが、単1型セル10個のバッテリーは

受注生産で15,000円以上で容量は4AH程度

最新のリチウムイオンバッテリー充電噴霧器でも

20,000円以上、

そこでGELタイプバッテリー天地無用に交換しました。

価格はモノタロウで、2,180円容量は2.3AH

結果、電池容量は半分になりましたが、15リットル2回

連続噴霧しましたので、家庭菜園ですので充分です。

おまけに、500グラム軽くなり充電時間も12時間から1.5時間に

短くなりました

GELタイプバッテリーは、ゲル状の電解液を使用しており、自己放電の抑制に優れ、長寿命、安全性の向上を実現しました。

バッテリー内部に発生するガスを極板に吸収し、電解液に還元するため、バッテリー寿命が尽きる(バッテリー交換時期)まで

液面点検や補水などのメンテナンスが不要です。高性能極板と電気抵抗の低い微細マットセパレータを使用したことにより、

高いエンジン始動性能が得られます


 


再考、八甲田山雪中行軍 7

2013年05月26日 | 近世歴史と映画

 

あゝ惨五連隊の凍死兵


 やがて途中鳴沢から数町手前の小高い丘で軍銃の逆に立っているのをみた。

大尉が渋い顔をしていった。

「どんな馬鹿が銃を捨てたのか」と憤慨の様子。

吾等に命じてその銃を担がせて進むと又も一丁発見した。

これをも担がせて鳴沢の峡をよじ登り、小屋より北方へおよそ十五・六町

(今の銅像の地点)に達した時は午后時頃と思われる。

 此の地は北西に面し、青森市を一望のもとに眺めることができる場所。

遠く函館と相呼びあうことが出来る地で高さ千二百尺、

冬季になって寒風が吹けば何物でも吹き飛ばすと云う難関の高所である。

此処より田茂木野村へと目指して下っても暴風は尚止まない。

すでに案内者各自は疲労が甚だしく、意識ははっきりせず眼はもうろうとして白雪も色彩を帯び、

着衣は上下共(麻織製)氷結して少しも曲がらず棒のような足で夢遊病者のように降りて行った。

ふと黒色の物を発見し近寄って見ると凍死兵!

是が五連隊雪中行軍遭難兵であった。(後刻判明)

嗚呼彼等はこの難所で一命を失ったのか、 仰向けに打倒れ銃を握り締め眉毛に雪が凍りついている。

一同は深く冥福を祈りつゝ吾身に引き換えこの惨たらしき屍をしばらく呆然として眺めていた。

いつしか暗黙の夜となった。

しかし大尉の「手を触るゝべからず」との命に空しく同情しつゝ山を下ること約一~二町、

又数個の凍死体を目撃し同情の念を投げつゝ下り続けた。




再考、八甲田山雪中行軍 6

2013年05月25日 | 近世歴史と映画

 

空小屋発見


 五名は行けども進めども新湯らしき所に着かず、暫く途方にくれたが、

この儘では凍死あるのみと凡そ2時間程探し求めた結果偶然!全く偶然!

待望の新湯でなく一戸の空小屋を発見した。(三戸郡出身の開拓者仮住宅)

蘇生の心地で転り込み、闇を手探りして燃料を探すと幸いにも梁の上に板が多数あるのを発見し、

早速焚火して初めて暖をとることが出来たが、既に五名は力尽きて気力が衰え無言の儘に車座となった。

そのうち誰れ云うとなく、「吾等は生きて帰る見込みがあるだろうか?」

答えていうには、「食糧は大尉等一行に預けて置いて来たので一食もない。

吹雪は益々烈しくなるし、さりとて新湯に着くのはむづかしく此の地の鬼と化すに近いであろう」と、

一同遭難の刻一刻と迫りつつあるのを感じ、悲嘆にくれながら語るうち誰れかが云った。

「吾等はこの儘では唯死を待つだけであるから彼等を残して増沢へ引き返してはどうだろう。」

との名案が出たので慎重に協議した。

しかし意見は容易に決らず、空しく時を過すだけである。

各自思案の末「若し我等五名が不幸にして途中遭難!と仮定すれば大尉等一行も

同様無惨な途を辿るであろう。そうなれば彼等の消息を何人が世に伝えようか。

伝える者がない。また吾等の事をも何人が家族に伝え得るだろうか途中命尽きて

倒れるものがあるかもしれないが、

すぐ引き返し一行を連れて来て此の小屋で一 夜を明かそう。」との結論的意見に一同は共鳴した。

 留守一人(沢内吉助 増沢本家)を残し、上らない足を引きずるようにして再び戸外に出た。

あゝ その決意は真に悲壮の極といっていゝであろう。

然るに外界は魔の暗夜、依然として吹雪は烈しく前の方から吹きつけ身を支えがたく、

先程通った路は早くも跡形もない。

又もや肩で雪を押し、泳ぐようにして進んだが幸い路を間違わずに赤川で待ちわびている一行に再会し、

隊長に小屋の発見を伝えたところ即時に同意して下さったので直ちに一行と共に引き返したが、

不幸な事に又もや路後がなくいくら行けども小屋が見当たらず、さては方向を間違ったのでは、

なかろうかと不安に思 い、一同声を限りに叫んだが猛吹雪に遮られ応答がなく

最后の力もまさに燃え尽きるかと思われたそのとき、後方でかすかに燈火を振っているのを目撃したので

その方向へ引き返し、漸くにして辿り着いた頃は東の空がほのぼのと白みはじめ午前5時頃と思われた。


 しかし小屋は全員を収容するにはせまいので、隊長は仕方なく半数を屋外に、

残し二列縦隊に整列させ一二・一二の掛声をかけて歩調をとらせ、各自を励まし小屋の回周を行う様に、

命じて屋内の者と交互に暖と食事を摂らせた。


 しかしながら増沢出発以来初めての食事なので早速食にありつこうとしたらワッパの飯は氷結しており、

小刀を借りて切り取り火にあぶって食べるに喉を通らず、その三分の一も食べれる者はない。

頼みの餅も同じように氷結し石のように堅くて歯が立たず、

止むなくホド蒸しのソバ餅を食べて腹を満たし2時間程休憩した。
大尉徐に吾等にいうに「最早新湯に行く必要はない。

君等は此処から引返すよりは一緒に青森へ出る方が便利ではないか」との言葉に一同は喜び、

それに同意して午前7時頃、同小屋を後に出発した。
相変わらず先頭を命ぜられて進むほどに雪は小降りになったが、

酷寒は益々加わり積雪既に身の丈を越すあり様で、

胸で雪を押しながら立ち泳ぎの状態で前へ進んだ。

隊列を前方から眺めればさながら首の行列のような壮観ではなかったろうか。





上州砂漠

2013年05月25日 | 家庭菜園

この所の、乾燥状態で、砂漠状態です。

幸い、ミニ菜園に壺庭ですので、

 

       

 

24時間休みなく散水、庭木の一部は枯れ始め

キュウリも枯れ、枝豆も発芽せず

 

困ったさん、参ったさんです。

幸い、自家水ですので、急場を凌いでいます。

 

梅雨が来るまでの辛抱です。

どうか、水のお恵みを!