アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の七拾 忠治処刑の詳細の弐拾壱

2013年12月11日 | 近世の歴史の裏側

 

前回の記述より

忠治は、宿屋の新井屋善治平で最後の一夜を送ったことかわかる。

秋汲平などは、大戸の分限者加部安に泊った。当日の見物人が、

千五百人とあるのも珍しい記事で、いかに多くの大衆が、

忠治の処刑を見に集ったかがわかる。当日警固に、

 右囚人警固人足の儀は、組合六ケ村は目印の壱ケ村壱本ッツ、

 目印は六色ニわけ、大戸村赤、大柏本村桃色、本宿料黄色

 萩生村白、須賀尾村浅黄色、三島村黒、右の布三尺位ニ切。

人足は鉢巻きをさせ、村役人は帯え挟、御仕置の場所え失々ニ

分地いたし、其所え相詰申候。外ニ鉄砲持人足艦札持参ニテ

壱ケ村三人ツヾ村役人添。

というわけで、刑場を警戒する為に、村ごとに色を変えた幟を

立て、同じく色で区別した鉢巻きをし、村役人は腰にはさんで、

万一の時の混乱の目じるしとしている。

なを、忠治処刑の詳細の壱拾九で、丸山不二夫著書の加部安左衛門

"江戸期在郷商人の事績"みやま文庫 2010発行の内容は上記を引用

したと、私は考える。

                     続く