アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾六午年 其の壱拾弐

2014年11月18日 | 近世の歴史の裏側
 


お徳の訂正「その四」屋敷跡よりの検証

平成四年財団法人群馬県埋文化財調査事業団五目牛南遺跡
発掘調査報告書(歴史時代編)の中に発掘調査で屋敷跡は1号から3号まであり、


当時のお徳の財力と影響力が推測できる。


                          つづく


真説 国定忠治 平成弐拾六午年 其の壱拾

2014年11月12日 | 近世の歴史の裏側

お徳の訂正「その参」屋敷跡よりの検証



同様に048号遺構でも、 地面では直径約0.8m深さ約5mで4.6mで、
毎分0.6ℓ湧水が確認されている此の遺構も密かに隠れることも可能で
地面から約2mでは、最大直径約2mで此処も隠れて事も可能であるが、


この048号遺構では 
047号遺構とは少し異なり削り取られた部分が断面図で解るように極端に上下が薄く木板を掛ける様になっている。
この構造ならば、一人が木板に乗り隠れる事は十分可能である当時は 現代のように照明は明るくなく見つける事は困難と考えられる。

                                       続く

真説 国定忠治 平成弐拾六午年 其の九

2014年11月11日 | 近世の歴史の裏側
お徳の訂正「その弐」屋敷跡よりの検証


四本の井戸が確認されたが四本の井戸の内、三本が、
抜け道と思われるが発掘調査報告書では抜け道とは確認出来ないが、
井戸「047遺構」断面図では地上から1.8m位から横に大きく削り掘られていてこれが従来抜け道と
言われていた個所で先ず、047号遺構は、
地面では直径約0.6m深さ約5.2mで4.5mでは毎分1.6ℓ湧水が確認されている、
地面から約2m深さでは、最大直径約1.6mで、此処で忠治などが、密かに隠れていたと考えるのが妥当であろう。
下の画像を参考にして戴きい


真説 国定忠治 平成弐拾六午年 其の七

2014年11月09日 | 近世の歴史の裏側
お徳の訂正「その壱」屋敷跡よりの検証


平成四年財団法人群馬県埋文化財調査事業団五目牛南遺跡 発掘調査報告書

(歴史時代編)の1号屋敷跡の発掘成果によれば お徳の屋敷跡に

画像で解るように井戸は「047遺構」から「050遺構」迄4本確認されている。


                                       続く