日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

ベトナム・フエ①

2020-07-21 07:00:00 | 海外旅行

フエへはダナンから入った。

ダナンから北へ車で3時間半。

結構遠かったが、のんびりとしたベトナムの風景を見ながら走ったので、飽きることもなかった。

 

途中、食事したレストランの裏の湖の景色。

 

 

 

フエはベトナム中部の都市でベトナム最後の王朝「阮(ぐえん)朝」の都が置かれていた場所。

阮朝は1802年~1945年まで続いた全13代皇帝からなる王朝で、阮朝が栄えたこの街には、さまざまな建造物が数多く残っている。

ベトナムで最初に世界遺産登録されたのが「フエの建築物群」、これには歴代皇帝の時代に建てられた建築物すべてが含まれている。

 

 

最初に見学したのが12代阮朝皇帝「カイディエン帝廟」

ここは市街地から遠く離れた森の中にあった。

カイディン帝は、1916年から25年までの9年間統治した皇帝。

カイディエン帝が親仏だったため、この廟は今までの中国式建築から西洋風の建築へと大きく変わった廟となっていると言う説明があった。

 

 

これは龍? どう見ても魚の頭にしか見えなかった。

この階段を上がったところ(踊り場)にはたくさんの像があった。

 

 

 

よく見ると中国の兵馬俑の様な感じで、人と動物の像だった。

カイディエン帝の棺を守っているとのこと。

 

そこにあった建物は石碑を安置したところで、石柱、壁、屋根、すべてに装飾が施されていたが色がない。

当初は着色していたのだろうか。

これらはフランス文化を積極的に取り入れたものだと思う。

 

 

 

 

メインの建物の啓成殿に入った。

外側と比べて内側は豪華な色のついた部屋だった。

 

[啓成殿]

 

入り口と室内の天井には一面に水墨画のような9匹の龍の画が描かれていた。

ベトナムで「9」は「完全」を象徴する最高位の数字ということらしい。

 

 

 

外国製の陶器やガラスを使用して、壁をすべてモザイク模様にしてあった。

中には日本のものもあるらしい。

 

 

[黄金のカイディエン帝の像と豪華な装飾の室内]

 

この像の下には帝の遺体が眠っているとされている。

回りには当時の遺品もたくさん展示されていた。

 

カイディエン帝廟は西洋と東洋の融合で素晴らしいのは分かるが、あまりにもゴチャゴチャしすぎていたという印象しか残らなかった。

 

 

次に回ったのは「トゥドゥック帝廟」、トゥドゥック帝は阮朝4代目。

 

[帝廟前の大きな池]

 

 

 

墳墓への入口、カイディエン帝廟と同じく、ここにも石碑を安置するお堂があり、左右には塔柱が立っていた。


この手前の方にも兵馬俑のような石像がいくつかあった。

 

[陵墓]

 

陵墓はあるが、帝の埋葬場所はここではなく不明らしい。

 

 

廟の建物部分に移動した。

修復工事中で、2階建ての楼門になっていた。

この奥に「和護殿」、「鳴謙堂」、「良謙殿」などがあったが華美な装飾はなく、質素だった。

 

 

 

 

2人の皇帝の華美な廟、素朴な廟を見たが、自分としてはあまり派手なのはどうも好きになれない。

好みの問題だと思うが・・・・

 

 

トゥドゥック帝廟の次に寄ったのがティエンムー寺

フォーン川の向こう岸からでも見ることができる、八角七重の塔が象徴的のティエンムー寺は阮朝王朝の時代よりももっと古く、400年前に建てられたらしい。

古い歴史を持つ仏教寺院で、天女の予言を記念してこの場所に建立したので別名 「天女の寺」と呼ばれている。

 

[ティエンムー寺の前のフォーン川]

 

 

慈悲塔(トゥニャン)の高さは21.24m。

八角七層になっているが、登ることはできない。

 

 

 

[近くから見た慈悲塔]

 

塔の奥に寺院の敷地への塔門がある。

 

[塔門の裏から見た慈悲塔]

 

塔門には入り口が3つあり、表側には鮮やかな立体的に造られた護神像があり、「霊姥寺」の扁額が掛かっていた。

 

[霊媒寺の額]

 

その奥の境内には本殿のダイフン寺があった。

 

 

 

この後、フォーン川沿いに王宮へ向かった。

 

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シマトネリコ

2020-07-20 07:00:00 | 植物

 

 

 

 

ある時、新興住宅地を車で通った時、その辺り一帯が何となく白っぽく霞がかかったように見えた。

住宅地の家々にシンボルツリーとしてシマトネリコが植えてあるのに加えて、通りにも植えてあったからだった。

ちょうど花の時期だったから全体が白っぽくなっていたのだった。

 

10年ほど前ごろからシンボルツリーという言葉が使われるようになって、最近では頻繁に耳にするようになった。

シンボルツリーとはその名の通り住宅や建築物を象徴する、背の高い樹木のことで、新築された植栽スペースのある家で良く見かける。

そしてその樹木にも人気度ランキングがあり、このシマトネリコも人気の上位に入っている。

他にはオリーブやソヨゴ、アオダモ、ヤマボウシなどがある。

 

自分も30年ほどに植栽関係の仕事に携わったことがあるが、その頃はまだシンボルツリーという言葉はなかった。

でも、「門かぶりの松」がある家や何かの記念日には庭に木を植えている家は多かった。

それがシンボルツリーと言うおしゃれな名前になったものだと勝手に思っている。

先ほどのランキングだが、その頃に庭木として使われていて人気のあった樹木とは全く違っているのが興味深い。

植木だけでなく、世の中すべてのことに当てはまるが、そういったブームや流行は、誰か仕掛け人がいて、作り出しているものだと思っている。

 

 


シマトネリコ

 

熱帯や亜熱帯の山間に自生するモクセイ科の常緑樹。

風にそよぐライトグリーンの葉が爽やかであり、その樹形の様子から「庭で育てる観葉植物」とも称される。

常緑樹特有の陰鬱な雰囲気がなく、落葉樹に近い感覚で楽しむことができる。

初夏に白い花が咲く。

新芽は淡い緑でのちに濃緑に変わる。

丈夫な樹木で、寒さにはやや弱い。

 

-------------------植木ペディアより----------------------------------

 

 

 

 

 

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廃線跡

2020-07-19 07:00:00 | 雑談

かつて鉄道路線の跡をたどる「廃線歩き愛好家」がブームになった時があった。

廃線跡とは、「かつて実際に運行されていた路線」の遺構のこと。

その時は変わった趣味を持っている人もいるのだ、というくらいの気持ちだった。

ところが実際に旅先などに偶然廃線跡があったりすると何となくノスタルジックな気分になるので、そういった趣味を持った人の気持ちに共感できるようになった。

 

 

幸福駅(こうふくえき)

帯広市にあった旧国鉄広尾線の駅、1987年に廃駅となった。

かつては駅名が縁起が良いとのことで有名になり、大勢の人が乗車券や入場券を求めて賑わった。

ここは廃線後も観光地として整備されている。

 

 

 

 

幌加駅(ほろかえき)

北海道、上士幌(かみしほろ)町にある旧国鉄士幌(しほろ)にあった駅、1987年に廃線となった。

 

 

駅名の看板は保存団体によって再建されたもの。

 

 

タウシュベツ川橋梁

糠平湖にある旧国鉄士幌線のコンクリート製アーチ橋。

北海道遺産に選定された「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」の一つ。

湖に沈んでいて、雪解けとともに現われる。

老朽化が激しくて、毎年「見られるのは今年が最後」と言われ続けている。

 

 

 

 

第五音更川橋梁(だいごおとふけがわきょうりょう)

 

 

旧国鉄士幌線のコンクリート製アーチ橋

この橋梁も「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」の1つになっている。

 

 

 

碓氷第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)

 

 

 

通称「めがね橋」と呼ばれ、旧国鉄信越本線の横川駅と軽井沢駅間に架かる橋梁の一つ。

この区間がアプト式の鉄道だった時代に使われていて、現在ではアプトの道として横川駅(信越本線)からめがね橋を結ぶ全長5km、片道約1時間30分のハイキングコースになっている。

 

 

堀田橋梁(ほりたきょうりょう)

大分県九重町の恵良駅から、熊本県小国町の肥後小国駅まで通っていた宮原線(みやのはるせん)。

1984(昭和59)年に廃線となった。

この橋梁のアーチは4つあるらしいが、反対側に回らないと見えないようだ。

アーチは苔むして朽ちていて、登録有形文化財として登録されているが、下には物置小屋として利用されているような跡があった。

 

     

     

     

     

    このような遺構はまだまだたくさんあるので、もしも見つけたときはその背景を調べてみたら面白いかも。

    目に見えるものだけでなく、もっと深い物語などがあるかもしれない。

     

     

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    ドロミテ街道②

    2020-07-18 07:00:00 | 海外旅行

    ポルドイ峠を越えてコルチナ・ダンペッツォに着いた。

    コルチナ・ダンペッツォの街は、三千メートル級の山々に囲まれた「黄金の盆地」と呼ばれ高級リゾート地として人気がある。

    街全体はかわいい雰囲気で、メインストリートはおしゃれなショッピング街があり、華やかながら落ち着いた分意味を持っていた。

    石畳になっているどの通りに面した建物も花で飾られていた。

    少し歩けば花いっぱいの公園があり、街歩きに疲れたら回りの壮大な山々とそれに連なる針葉樹林の風景を眺めながら、休憩するのに最高だった。

     

     

    [メインストリート]

     

     

    街は小さくて歩くとすぐにこのような風景が見られる。

     

     

     

     

    泊まったホテルもかわいい感じだった。

     

    翌日はコルチナ・ダンペッツォから15kmほど北東にあるミズリーナ湖へハイキングに行った。

    この湖は自然湖で、海抜1750m、周囲は約3kmあり、「ドロミテの真珠」と呼ばれていて、2009年には「ドロミテ」として、周囲の自然遺産と共に世界遺産に登録された。

    また、ミズリーナ湖は、1956年にコルチナ・ダンペッツォで冬季オリンピックが開かれた際には、初めて自然の氷の上で行われたスピードスケートの会場になったようだ。

     

     

    湖を一周したのだが、この日は天気が良く、湖面が穏やかで周囲にあるドロミテの山々が映って素晴らしい風景だった。

     

    ここはイタリアで一番空気のきれいな場所らしく、正面の建物は、呼吸器疾患を患った子供のための療養施設らしい。

     

     

    後ろの山はソラピス山(3205m)

     

     

     

    ドロミテの山ので、ひときわ威容を放つ山が「トレチーメ(Tre Cime di Lavaredo)」。

    名前の通り三つの峰が天空にそびえているのだが、ここからはそのうちの2つが良く見えた。

     

    ドロミテ地方は山に囲まれたは小さな湖が多く、すぐそばにはランドロ湖もあるが、そこはパスしてもう少し北に向かったところにあるドッビアーコ湖に寄ってみた。

    ドッビアーコの街外れにあるこの湖は緑の山の中にひっそりとたたずんでいて、湖畔にはキャンプ場が広がり、湖の周りには花が溢れるホテルやレストランが数軒あるだけの、物静かな場所で、ハクチョウやカモが悠々と泳いでいた。

    ここでも湖面に映るドロミテの山がきれいだった。

     

     

     

    春なのに紅葉したようなプラタナス?があり、その下にはキンポウゲがたくさん咲いていた。

     

     

     

     

     

    コルチナ・ダンペッツォのホテルのご主人が言うには、北イタリアのボルツァーノとオーストリアのインスブルックを繋いでいる鉄道路線の辺りはまだまだ知られていないようで、ドロミテを目的に来てついでに寄る人が多いらしい。

    けれども魅力ある街も多いので、もっとたくさんの人に知って欲しいと。

    またこの辺りは国境が近いのでイタリア語とドイツ語表記も多くなっていた。

     

     

     

     

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    ドロミテ街道①

    2020-07-17 07:00:00 | 海外旅行

    ドロミテ地方はヨーロッパを横断するアルプス山脈の一部にある山岳地帯で、そこには切り立った岩山や、湖、渓谷など数々の絶景を見ることができる場所。

    北イタリア、ボルツァーノから始まるドロミテ街道は、いくつかの峠を越えてコルチナ・ダンペッツォまでの約110kmの山岳道路が続いている。

    5月末から6月にかけて、高い山に雪が残っていて、麓は緑で花がたくさん咲いているという風景が見たくてこの季節を選びドライブした。

     

     

    ポルツァーノは古い歴史のある街で、イタリアとオーストリア、スイスとを結ぶ交通の要となっている。

    小さな街だけど、家々の窓には花がいっぱいで広場には屋台などが出ていてイタリアよりもチロル地方に似ているかわいい街だった。

     

     

     

     

     

    1時間ほど走って最初に現われたのがドロミテの宝石と呼ばれている「カレッツア湖(Lago Carezza)」で、湖を一周する道が整備されていたので歩いてみた。

    30分ほどで一周できた。

    歩きながら見る場所に寄って湖の色は深い青になったり、コバルトブルーになったり微妙に変わっていた。

    名前を知らない花もいっぱい咲いていた。

     

    深い針葉樹の林に囲まれた湖の背後にはカティナッチョ山が見えていた。

     

    ラテマール山群の峰が連なって湖面に映っていた。

     

     

    太陽の当たり方によるのか、この辺りの湖の色はコバルトブルーだった。

     

     

    [湖の周りに咲いていた花]

     

     

    車は更に高い場所にあるポルドイ峠へ向かった。

    こんな標高の高い場所なのにさすがにイタリアだと思ったのは自転車で走っている人が多かったこと。

    あちこちで本格的な格好をしてサイクリングしている人が見られた。

    ドロミテはヨーロッパ中のサイクリストがあこがれる場所らしい。

     

    ポルドイ峠は標高2239m、ロープウェーで標高2950mのサッソ・ポルドイ(Sass Pordoi )展望台へ行くことができる。

    でも、この時はロープーウェイには乗らずに反対側の山に登ってみることにした。

    山と言ってもハイキングコース程度のものだったが、まだ雪が残っている中にいろいろな花が咲いていたので、身近に花を見ることができるこのコースを選んだ。

     

    雪の中を歩いたので結構きつかったが、途中に無人の教会らしき建物があったので休憩をとった。

     

     

    歩きながら下を見るとこのような風景になっていた。

     

     

    標高が高くなるほど足下の雪が深くなっていったが頂上を目指して登った。

     

     

    やっと着いたところには山小屋があったが、まだ営業していなかった。

     

    右の山がサッソ・ルンゴ(3,181m)

     

    山小屋の裏に回ったところからは、ピッツボエ(3152m)? が見えた。

     

     

    標高の高いポルドイ峠で見た花はカレッツア湖とはやはり違って、高山植物が多かった。

     

    [ポルドイ峠の花]

     

     

    ポルドイ峠をあとにして次はコルチナ・ダンペッツォへ向かった。

     

     

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